サンティーニャーーツィオ教会
今日も生きてます。
世界で食べたいものランキング
①トルコのトルコ風アイス
②ナポリのピッツァ
③中国の中華粥
④ロシアのピロシキ
フランスのエスカルゴやアメリカのハンバーガーもいいなあ。タイの屋台とかも気になります。メキシコのタコスもいいなあ。国内だと沖縄のソーキそばが食べたいなあ。築地でお寿司も食べてみたい。
いろいろ考えてると幸せです。
まあでもとりあえず今晩は日本のカレーということで。
さて、池上英洋さん著の「西洋美術史入門〈実践編〉」を読み進めています。
サンティアーツィオ教会編最終日です。
私は実際見たことないのですが、実際にこの天井画を見た人の旅行記を見ると緻密で幻想的とかすごいとか目がくらみそうとか…映像などより科学的な技術が進んだものに慣れている現代人の目でも感動するような作品なんだなということがわかります。
ほかの時代にはどう受け取られていたのでしょうか?
ちなみに昨日はなぜこの天井画をだまし絵にしたかということについて書きました。
だまし絵の理由
宗教改革後、各地でプロテスタントの勢いが強まり資金繰りに厳しかった
↓
実際に天井をつくるよりだまし絵の方が経済的!
サンティーニャーツィオ教会ー天井画がなぜだまし絵なのかー - リアル絵描き日記
資金繰りが困難だったことからもわかるように、カトリックはプロテスタントの勢力に押しまくられていました。昨日も書きましたが、失われた信者・地域・資金のためにイエズス会は世界伝道を続けていきます。
日本にはザビエル来ました。
しかし1588年に長崎では26人の殉教者、1622年にも同じ長崎でイエズス会士を含むキリスト教徒55名が処刑されています。ほかにも世界伝道の過程でたくさんの犠牲者が出ました。
そのような状況下でこの「四大陸の寓意〈イエズス会の伝道の勝利〉」は制作されました。プロテスタントの勢いは強まる上、世界伝道では犠牲者がたくさん出ているにもかかわらず、この壁画に描かれていることは当時のイエズス会の現実とは真逆です。
壁画にこの主題を選んだことが願いや祈りに近いようにも感じます。
1773年に外圧によりイエズス会は教皇自ら会の活動を禁止してしまいます。
(1814年に解除)
そういった中でこの天井画も批判にさらされたようです。
1713年に逸名な作家の書物にポッツォが手を加える前の教会の方が美しかったと書かれていたり1781年、クリストフニコライの旅行記に「観るものをしてただ一つの固定視点へと強制させること自体、イエズス会の独善的な考え方を示すもの」と批判されていたりします。
(※この天井画の下、床の中央に丸いの真鍮板が視点位置として嵌め込まれている。)
床の中央の位置から観なければこの天井画を正確に観ることができないのですが、その美術作品の鑑賞方法と注文主であるイエズス会の上から教義の押し付けるような体制を結び付けて批判されました。
作品は完成した時から変わらぬ姿かたちですが、時代が変わると作品の評価も変わって行くということがよくわかります。
今素晴らしい評価を受けている作品も、何百年と経ったら全く違う見方をされるのかもしれません。興味深いです。
今日ここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。