聖セバスティアヌス④
今日も生きてます。
聖セバスティアヌス最終回です。
そもそもなぜ殉教されるような場面で痛そうな表情をせずにうっとりとした表情をしているのでしょうか。
キリスト教徒にとっては殉教するということは天国に行くということです。なので苦痛に歪む表情より法悦状態で天を見上げる表情で描かれました。もちろん画家が発注した人間の趣向に合わせる場合もあります。
セバスティアヌスの作品だけではなく、キリスト教の芸術作品の中にはうっとりした表情が描かれているものを見受けられます。
ベルニーニ「聖テレジアの法悦」
カラヴァッジョ「法悦のマグダラのマリア」
法悦という言葉がわからなかったのですが↓
ほう えつ ほふ- [0] 【法悦】
幸せ状態ですな。
ちなみに聖セバスティアヌスは三島由紀夫の著作「仮面の告白」の中で登場人物が性に目覚めるシーンで出てくるそうです。また三島由紀夫自身が聖セバスティアヌスに扮して撮らせた写真もあります。載せられませんが探すと出てくるので気になる方はどうぞ。
そしてマンティーニ作「聖セバスティアヌス」と同じポーズを撮った自分の等身大のブロンズ像をつくらせていたそうです。闇を感じますね。
今度からセバスチャンという名前の登場人物に会ったら色眼鏡で見てしまいそうです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。