ロセッティ
生きてます。
締め切り前できりきり舞いでした。計画性が足りないです…。反省。
もっと早く絵が描けるようになりたいなあ。
もっと上手になりたいし、たくさん描きたいです。
そしていつのまにかもう二月も終わりそうです。
このままですと2018年はまばたきしている間に終わってしまうかもしれません。こわいです。家の中ですと低速モードになってしまいゆっくり動いてしまいます。ナマケモノのゆっくりさに共感してしまいます。ナマケモノかわいいなあ。
今調べたらナマケモノ一日に20時間睡眠をとるようです。師匠!
さて、だいぶ間が空いてしまいましたが今日はラファエル前派のメンバーであったロセッティについてです。
ダンテ・ゲイブリル・ロセッティ
1828年ー1882年
作家について調べていく中で気になるところの一つは家庭環境です。ロセッティの父親はイタリアからの政治亡命者でロンドン大学のイタリア語の教授でした。イタリアの政治亡命者が集う家で育ったそうです。
それからロイヤルアカデミーに入学し、フォード・マックス・ブラウンという画家に師事します。ロイヤルアカデミーは中退しますが、ミレイやハントと共にラファエル前派を結成し、それが解散するとバーン・ジョーンズやウィリアム・モリスと共に第二次ラファエル前派を結成し、制作を続けています。
ロセッティは社交的で自宅に多くの友人を迎え時には一年以上も仲間を滞在させることがあったそうです。
晩年に近づくにつれて、目を患ったり、野心を込めた詩集を酷評されたり、ウィリアム・モリスとの関係が疎遠になったり…制作は続けていますが、亡くなる最後の十年は心身ともに健康を害し、隠遁生活を送っていたそうです。
常に仲間と一緒に制作しているイメージですね。
生前は画家よりも詩人としてのロセッティの方が有名だったそうです。絵は限られたパトロンにのみ制作しあまりロセッティの作品が大勢の目に触れることはなかったようです。
ちなみにウィリアム・モリスと疎遠になってしまった理由はウィリアム・モリスの妻と愛人関係になってしまったからなのでした。
あまり作品が見られることのなかった割には当時のイギリスの美術界にロセッティが与えた影響は大きかったそうです。おそらく社交的だったため付き合う人の数が多かったからだと推測します。
美術史の中では同じ時代の印象派モネやルノワールの方が有名でロセッティは影薄い感じがしますが、たぶんイギリスでは有名な画家なんだろうなあ。
明日は作風についてみていきたいと思います。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。