バーン=ジョーンズ
今日も生きてます。
第二次ラファエル前派が19世紀に流行っていた中世主義に影響を受け、中世の装飾写本を参考にしたり、中世が舞台の物語『アーサー王伝説』を絵のテーマにしていたということを前々回辺りから書いてます。
今回から個々のメンバーについて書いていきます。
1833-1898
イギリスのバーミンガム生まれ。
額縁製造と塗金を専門とする職人の家に生まれます。生まれてから数日後に母親が亡くなってしまい、さみしい家庭環境で育ったようです。しかし「一人きりでも決して不幸ではありませんでした。いつも絵を描いていたから」と本人が言っていたように小さなころから絵を描いていました。
オックスフォード大学でウィリアム・モリスに出会い、聖職者の道を捨てて画家・デザイナーになることを決意します。 ウィキペディアでエドワード・バーン・ジョーンズを調べると美術家と出てきます。(私の中では生粋の画家ですが)絵を描く以外にもデザインの仕事などをしていました。
そしてロセッティに出会い、オックスフォード大学学生会館討論室の壁画制作に参加します。
また友人のウィリアム・モリスが始めたモリス商会(デザインとモノづくりの会社)の仕事を一緒にこなしていました。
エドワード・バーン=ジョーンズとウィリアム・モリス共作の『The Worship of the Magi』の窓、トリニティー教会
バーン=ジョーンズは最初ロセッティに絵を教えてもらっていましたが、ジョンラスキンと共にイタリア旅行に行き。ヴィネツィア派やミケランジェロ、マンティーニの研究をします。そこで作風も少し変わってきました。
(この時にカラヴァッジョにも遭遇しているに違いない!)
エドワード・バーン=ジョーンズ『アーサー王最後の眠り』1898年
『廃墟のなかの恋Love Among the Ruins 』
1877年にロイヤルアカデミーに所属しない作家の作品も展示するグローヴナーギャラリーというものが開設されました。そこで開かれた第一回展でバーン=ジョーンズの作品は展示され、多くの話題を呼びました。
そしてパリ万博で「欺かれたマーリン」が展示されると好評になり、だんだんラファエル前派の新しいリーダーとして認識されるようになります。
欺かれたマーリン
成功の道を進んでいったバーン=ジョーンズはオックスフォード大学から名誉学位を授与したり、バーミンガム芸術家協会の会長になったりします。
1896年友人のウィリアム・モリスが亡くなると精神的な打撃を受け二年後にバーン=ジョーンズも亡くなっています。
肖像画です。素敵です。
この作品素敵すぎる…
ギリシャ神話に水面に映る自分に恋してしまうナルキッソスの話があり、絵画作品もたくさんあります。上のヴィーナスの作品もそこからイメージを広げた作品かと思います。
下は連作です。
彫刻家が作った彫刻に女神がいのちをふきこみます。ピノキオですな。
下は落書き
バーン=ジョーンズは眠り姫の連作が有名なのではないかと思います。
眠り姫の場面を何枚かにかけて描いた連作です。城のなかでいろんな階級の人が眠る風景が描かれています。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。