オスカー・ロイテルスバルド
今日も生きてます。
ほぼ毎日ブログがほぼ毎日?ブログになりつつありますが、気長ににお付き合いくださいませ。
☆展示告知☆
秋田のギャラリー杉(さん)にてチャリテイー展に参加します。
「チャリテイー展」
売り上げの一部が災害遺児愛護活動に寄付されます。
会場 ギャラリー杉(さん)
会期 11/23-12/5
地元での開催ですが私も何日か在廊を予定しております!
さて、今日も…いや、久しぶりに作家を紹介したいと思います。
(「視覚芸術の巨匠たちー世界のだまし絵作家20人の傑作集ー」創元社アルセッケル著より)
オスカー・ロイテルスバルド(1915-2001)
写真からなんかカリスマ感はただよってますね。
オスカー・ロイテルスバルドは1915年ストックホルムで生まれました。芸術好きの家族から大きな励ましを受けて育ったそうです。
現実的には不可能な図形を描き続けていたオスカー・ロイテルスバルドですが、きっかけは授業中にラテン語の文法ノートに落書きだったそうです。
立方体を円形につないで六つの角のある星形を生み出そうと試みていたときに、立方体が奇妙で不可能な構造をつくることに発見しました。
その後様々な不可能なデザインの実験をし始めました。
エッシャーの存在や、ペンローズの論文が不可能な図形の研究を続けることに対して信頼性を与えてくれました。
1963年にストックホルムの有名な画廊で最初の個展を開きました。
しかし美術批評家たちは無関心と軽蔑を持って反応しました。ロイテルスバルドショック!
さらに抽象画家であった妻からもなんの励ましもありませんでした。妻は夫のロイテルスバルドの素描が嫌いで、ばかげたことに時間を費やしていると考えていたそうです。私だったら耐えられません。涙
ロイテルスバルドはエッシャーに大きな称賛を表明した手紙を二通書きましたが、返事はありませんでした。
しかしマルセルデュシャンと会ったとき、デュシャンは不可能な図形を描き、ロイテルスバルド自身に作品を発表するように励ましました。
↑このことを知ったとき私はデュシャンのこと好きになりました。
そしてロイテルスバルドが自分の作品が認められそうにない事実を受け入れるようになりました。ルンドの王立大学でずっと権威のある美術史の教授職を受け入れ、17年以上そこで教えました。
そんなロイテルスバルドの作品が後続者たちを魅了し始めたのは1960年代後半になってからでした。
彼の作品が収録された本が出版されると、展覧会が八か国で企画されました。(おめでとう!)
1980年スウェーデン政府は彼の功績を讃えてロイテルスバルドのの作品を切手にし、約二年間発行されました。
私の画家の一生のイメージがロイテルスバルドの人生です。サクセスストーリーは心が温まります。教授職受け入れたとき、挫折や屈辱を感じたんだろうなあ。
彼の作品は和紙かスウェーデンのリンネ紙に墨で描くことを好みました。写真の中に日本画のような印が押されていますが、どこかで日本画か山水画から影響をうけたのかもしれませんね。
今日はここまで。
最後まで読んで頂きありがとうございました