名画「ヴィーナスの誕生」雑談。愛と美の女神になぞらえられた美女は誰なんだろう?
今日も生きてます。
去年からペンタブで絵を描いています。
あまり上達してないかも…涙
ですが、アイディアスケッチしたり、構図を考えたりすることは紙よりデジタルのほうが都合がよさそうです。
PC上で良いなあと思ったブラシの表現をアナログに転換する作業が面白そうです。
もっと魔法使いのように頭の中のものを形にできたら楽なのにな~。
どんな道具を使っても、結局進むのは一歩ずつですよね。
長生きしましょう。
さて、「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでいます。
前回はボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」について取り上げました。
昨日のブログ↓
誕生ではなく漂着した瞬間?世界的名画ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を知る。
今日もこの作品のあれこれについて雑談していきます。
実はイタリアに行ったときにこの作品を実際に見ました。
大きくて迫力ありました。
ツアーでしたので、どんどん皆さん先に進んでしまって…もっとゆっくり見たかったなあ。
額が付いているとまた印象が違う気がします。
「ヴィーナス」自体はギリシア神話のキャラクターで様々な画家が描いています。
ポンペイの壁画
↑は1960年に出土されたポンペイの壁画です。
貝に横たわっているヴィーナスが描かれています。
この「貝」は絵的には女性器を象徴しているという解説もよく見ます。
古代ギリシアの詩人「ヘシオドス」
古代ギリシアの詩人であったヘシオドスが、ギリシアの神々のことを書いた「神統記」の中でヴィーナスが「貝」に乗って移動したというものは見当たらない。
風刺作家ルキアノス(120-180)
この貝に乗る表現というのはアテナイで活躍した風刺作家ルキアノス(120-180)の著作の中で「貝に乗ったヴィーナスが運ばれる」といったような表現を確認できるようです。
ところでボッティチェリのヴィーナスの誕生は、当時フィレンツェの裕福な銀行家であったメディチ家が注文したものです。
詩人アンジェロ・ポリツィアーノ
モチーフや構成から、詩人アンジェロ・ポリツィアーノの詩集「La giostra」(馬上槍試合)の中に描かれている文章が参考にしているのでは?とも言われています。
詩人アンジェロ・ポリッツィアーノは、詩人であり、メディチ家の家庭教師もしていました。つまりボッティチェリもポリッツィアーノもパトロンは同じメディチ家だったのです。
ジュリアーノ・デ・メディチ
「La giostra」(馬上槍試合)は、1475年に馬上槍試合トーナメントでジュリアーノ・デ・メディチが優勝したことを祝って書かれたものです。ジュリアーノ・デ・メディチは当時富と権力のあった銀行家メディチ家の息子です。
この行事の中で、美の女神役をジュリアーノの愛人であったシモネッタ・ヴェスプッチが演じます。ジュリアーノ・デ・メディチはシモネッタに夢中でした。
ちなみにシモネッタは夫があり、人妻です。
禁断の恋ですな。
詩「La giostra」(馬上槍試合)の中では二人の恋を描いているという見方もできます。
ボッティチェリが描いた「ヴィーナスの誕生」は、シモネッタ・ヴェスプッチがモデルです。参考にしている詩「La giostra」(馬上槍試合)がシモネッタ・ヴェスプッチとジュリアーノ・デ・メディチを描いているとすれば当然のことかもしれません。
人妻との禁断の恋愛に夢中なパトロンを喜ばそうとしている芸術家2人が思い浮かびますね。
また、ヴィーナスのポーズは、当時メディチ家が所蔵していた彫刻作品をモデルにしているといわれています。
クニドスのアプロディーテー
Ludovisiコレクションの「クニドスのアプロディーテー」。
ローマ時代の複製の大理石像(胴と腿)。
頭部、腕、脚、手に持っている服などは後世の復元
ボッティチェリがこれを見たのでは?と推測されます。
このポーズは「慎み(恥じらいとも)のヴィーナス」と称されるようで、他にも同じようなポーズをしているヴィーナスがたくさんいます。
『メノファントスのアプロディーテー』 紀元前1世紀、ローマ国立博物館所蔵。
ボッティチェリのヴィーナスはいろんな文献や古代からの表現を統合させて「ヴィーナスの誕生」を描いたことがわかりますね。
モデルになったシモネッタは20代前半で若くして亡くなってしまうのですが、ボッティチェリはその後も絵画にシモネッタ像を使用しています。美しくて印象的な方だったためか、パトロンを慮ってそうしたのかもしれません。
ちょいと長くなってしまいましたね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。