リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

アモール

今日も生きてます。

 

クロネコヤマトに宅配を頼むことが多いのですが、毎回同じ方がお届けしてくださります。

 

なるべく一ヶ月に何度も荷物を頼まないようまとめてまとめてと心がけていますが、先日同じ日に午前と午後2回に分けて配達させてしまい申し訳ない…。

 

ちなみにクロネコヤマトロゴマークがねこになったきっかけは社長が海外の運送会社が子猫をくわえる母猫のロゴと意味→「母猫が子猫を運ぶように丁寧に運ぶ」に共感したからだそうな。

 

デザインは娘さんの絵をヒントにしたそうですよ。泣ける話ですな。

 

個人的にはクロネコヤマトのロゴって豚だと思ってた。

 

しかし運送会社のなかで一番丁寧に運んでくれるのはクロネコだと思っています。これからもよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今日も池上英洋さん荒井咲紀さん著筑摩書房「美少女美術史」を読んでます。

 

 


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プシュケーとアモールの物語の後半です。

前半の内容はこちら↓

プシュケー - リアル絵描き日記

 

アモルとプシュケのことを知ったウェヌス(おかんですな。)は、プシュケを捕まえようとします。

 

プシュケは女神たちに助けを求めますが、皆断られてしまいます。

 

ついにはウェヌスのもとに向かいます。

 

そしてウェヌスはプシュケを捕らえると、様々な難題を与えました。

しかし、どんな難題も不思議な助けを受けて乗り越えてゆきます。

 

 

業を煮やしたウェヌスは息子アモルの介抱で衰えた美貌を補うために冥府の女王プロセルピナに美をわけてもらってくるようプシュケに命じます。

 

美をわけてもらったプシューケーでしたが、自分の美しさも衰えアモルの愛も失うのではと不安になります。

 

お決まりの展開ですが、箱を開けないよう警告されていたにもかかわらず開けてしまいます。


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↑ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「箱を開けるプシュケー」1903年

 

 

しかし、そこには冥府の眠りが入っていました。

 

 

傷の癒えたアモルは妻から冥府の眠りを取り去って箱に集めます。

 

そして主神であるユーピテルに、どうにかしてくれることを頼みます。ユーピテルはアモルが良い女を見つけたら紹介することを条件にとりなしを了承します。

 

粋な計らいなんでしょうか?

 

ユーピテルはプシューケーに神の酒ネクタールを飲ませ神々の仲間入りをさせました。



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プシューケーはもう人間でないのだから身分違いの結婚ではないと説明され、ウェヌスもやっと納得しました。

 

ハッピーエンドです。

 

 

いかがでしたか?

 

 

今日は物語の後半でしたがプシュケについてはもう少し続きます。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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プシュケー

今日も生きてます。

 

ホットケーキってたまに食べると美味しいですよね。

お店のパンケーキとはまた違った美味しさ。

 

 

さて、池上英洋さん荒井咲紀さん著「美少女美術史」を読んでいます。面白いです。マニアックかと思いましたが真面目な本です。

ゆっくり読んできましたが美少女美術史も中程までになりました。

 

昨日はギリシャ神話の中の美少年について取り上げましたが、今日はギリシャ神話の中の美少女、プシュケーについてです。

 

この二人をモチーフにした絵画はとってもロマンチックなものが多いです!


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↑は彫刻ですがダイナミックな構成ですね。

 

 

美少年がたくさん出てくるギリシャ神話ですが、それに比べると美少女は少ないそうです。

男神に愛された女性はいずれもある程度成熟した大人でした。

 

 

 

今日はギリシャ神話の中では数少ない少女が主人公の話のあらすじを紹介したいと思います。

 


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↑はフランソワ・ジェラール「プシュケとアモル」

ロマンチックな良い絵や。

 

 

 

簡単なあらすじ

 

人間の王国の三姉妹の末っ子プシュケーはとても美しかった。

 

 

それが女神ウェヌスの反感を買い、ウェヌスは息子のアモール(クピドともいう)に、愛の弓矢でプシュケーに卑しい男と恋させるよう命じます。

 

 

命令にしたがったアモールは間違って愛の弓矢を自分の胸にさしてしまい、プシュケーの虜になります。愛の弓矢がささると恋をしてしまうのです。

 

 

変わってプシュケーはというと、求婚所が現れないことを心配した両親がアポロンの神託を受けます。

 

「山の頂上に娘を置き、『全世界を飛び回り神々や冥府でさえも恐れる蝮のような悪人』(ラテン文学ではおなじみの恋の寓喩である)と結婚させよ」

 

というものでした。人々は悲しみましたがプシュケーは一人で神託に従い山に向かいます。

 


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ゼピュロス(春と初夏のそよ風を運ぶ西風の神)が宮殿へとプシュケーを運んでくれました。

その宮殿ではすべてが心地よく用意され、夜になると寝床に夫が現れました。

 

 

エンジョイしていたプシュケーですが、家族が恋しくなり、姉二人を宮殿に呼びます。

姉二人は嫉妬から夫は実は大蛇でありプシューケーを太らせてから食うつもりであると嘘をつきました。そして夫が寝ている隙に剃刀で殺せと。

何てやつらだ!

 

そしてプシュケーは寝ている夫を殺すため明かりを持って近づきます。

そこには美しいアモールの姿が…!

驚いてろうそくを落としてしまったプシュケ。

アモールは火傷を負い、怒ってその場を去りました。

 

 

姉の嘘に気づいたプシュケは今度はアモールは姉達と結婚するつもりだと嘘を教えました。

 

姉達はゼピュロスが宮殿へ運んでくれると思い、断崖から身を躍らせたが、風は運ばず、姉達は墜落してばらばらに砕けました。

 

プシュケもなかなかひどい!笑

 

 

今日は前半までにしますが、ここまでだけでも物語として充分面白いですね。


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明日に続きます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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ガニュメデス

今日も生きてます。

 

今日は世界堂に額装を頼みに行きました。

 

これからのシーズンは芸術の秋ということで展覧会が多くなっているのでしょうか…

 

いつもは過疎っている世界堂の額売り場に行列が…待ち人用にパイプ椅子まで準備されてましたよ。

 

地理的に恵比寿の額縁屋ジンプラにいくか迷いましたが、美少年美術史の本を持っていたので読みながら待つことにしました。

 

もしこれから新宿世界堂の額縁コーナーに行かれる方は暇潰しグッズ持参することをおすすめします。

 

 

 

 

 

ということで今日は池上英洋さん荒井清香さん著「美少年美術史」からです。

 

古代のギリシャ・ローマでは少年の美しさに価値を見出だし(少女の美は見出だされていなかった。)、年長者が少年にあらゆる手ほどきをするという関係「パイデラスティア」が習慣としてありました。

 

 

ギリシャ・ローマの神話でもその影響はあり、様々な美少年が登場し、画家はそれを主題に作品を残しています。


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今日はパイデラスティアの慣習の影響が見られるギリシャ神話の少年ガニュメデスについて書きます。

 

ギリシャ神話の中には主神ゼウスがあらゆる美男美女にあらゆる手段で接近したり関係を持ったりするエピソードがでてきます。

少年ガニュメデスの話はその類いのひとつです。



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コレッジョ「ガニュメデス」

 

 

あらすじは

 

トロイアの王子だったガニュメデスは幼いながらも大変美しいと評判でした。

それを知ったゼウスは鷲に変身し、彼をさらってしまいます。

 

という話です。

拉致の話ですね。

 

 

ちなみにゼウスがなぜさらったのかというと、お酌をさせるためでした。

神々の飲み物であるネクタールは、飲んでる限り永遠の命を保証してくれるもので、それのお酌というのは重要な役目だったようです。

 


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レンブラント・ファン・レイン

「ガニュメデスの誘拐」

 

レンブラント・ファン・レインのガニュメデスは全力で怖がっていてなんかかわいいですね。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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巫女の掟

今日も生きてます。

フェルメールトリビュート展の開催日程が変更になりました。

 

フェルメールトリビュート展

⚪10月19日ー11月4日

⚪MDPギャラリーwebsite

http://mdpgallery.com

19日にレセプションパーティーがあります。

 

秋田のギャラリー杉では女流作家展に出品します。

⚪女流作家展

⚪10月19日ー10月30日

⚪ギャラリー杉website

http://www.gallerysan.com

27日か28日に在廊する予定です。

 

 

さて、今日は昨日に引き続き巫女についてです。

池上英洋さん荒井咲紀さん著「美少女美術史」を読んでいます。

 

古代ギリシャ・ローマ時代の巫女はどのような人生を送っていたのでしょうか。

絵画の中ではひたすら意味深に、スピリチュアルに表現されていますね。


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ジョン・コリア「デルフォイの巫女」

大地の裂け目から煙が出ています。大地の女神ガイアに神託を得ようとしています。

 

古代ローマでは火床を司る女神ウェスタが信仰されていました。

その女神に使えていた巫女たちはウェスタの巫女といわれました。


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ウェスタの神殿↑

 

ウェスタの巫女は幼女の頃から神殿に入らされました。

社会から断絶された状態で30年間過ごします。


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ローマにはウェスタの巫女が暮らす家があったそうです。三階建て。

 

その期間か終わると巫女の役目から解放され一般社会に戻ります。

その後望めば普通に結婚することもできました。

ウェスタの巫女と結婚することは大変名誉なことでした。

 


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ウェスタの処女の版画

フレデリック・レイトン↑

 

巫女職のある間に処女でなくなったことがわかると生き埋めの刑が待ち受けていました。

10名ほどの記録があるそうです。

 

もちろん男性はだめで女性だけです。

女性はトランス状態に陥りやすいと思われていたそうな。

そして神託によっては時に国を揺るがすような影響力を発揮しました。

 

394年にウェスタの巫女の得意な地位は廃止されます。

ローマ帝国キリスト教を国教とし、廃止を決めた皇帝も熱心なキリスト教でした。

 

キリスト教がヨーロッパ全土に及んでいくと神秘的な巫女の少女は姿を消していきました。


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アンゲリカ・カウフマン

ウェスタの巫女に扮した女性の肖像」

 

ウェスタの巫女に扮した肖像からわかることは、その描かれた女性が汚れなき処女であること、高潔さや貞操観念を強調しています。

お見合いの写真的用途か、結婚直前の記念として描かれたものとして推測できます。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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巫女

今日も生きてます。

 

巫女というと私は犬夜叉(アニメ)の桔梗を思い出します。

小学生の頃よくみてました。

下敷きとか鉛筆のキャップとか全部犬夜叉だった気がする。なつかしや。

 

日本で巫女というとお正月の神社の巫女さんですよね。

巫女さんの衣装は着てみたいです。

 

神に仕える巫女さんですが、古代ギリシャ・ローマにも巫女はいました。

 

といくことで今日も池上英洋さん荒井咲紀さん著「美少女美術史」を読んでいます。

 

美少年美術史の中では古代ギリシャでは少年の美が称賛されていました。それは女性と性行為をすることで失われると見なされていました。

 

では女性はというと、女性も処女性がある程度重んじられていました。

(強姦の罪をおかした男性の罰金の金額は、被害者が処女であるかないかで変わった。)

特に巫女という職業は厳格に処女性が求められました。

 

なぜ巫女が処女でなくてはならなかったのかという合理的な説明はありません。

 

古代ギリシャ・ローマは多神教だったため、無数の神のための無数の神殿があり、そこには神官と巫女たちが仕えていました。

 

処女の神様は処女の巫女しか寄せ付けないというものもありました。

 

神官はどうだったんでしょうかね?

 


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向かって左の高い椅子に座っているのは女神テミス。

向かい合って立っているのはアテナイ王アイゲウス。

 

このようにして信託を受けていたのですね。

 

場所はデルフォイ

ギリシャ世界の最古の信託所です。

 

 

時の政策にも影響を与えていたそうな。

しかも賄賂を使って信託を左右するとこもあったそうです。バチ当たりなかんじがしますね。

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

巫女さんは次の次回も取り上げます。

 

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アンティノウス

 

今日も生きてます。

 

フェルメールトリビュート展の日程が変更になりました。

10月19日ー11月4日が会期です。

そして19日にレセプションパーティーが行われます。

 

詳細は追って連絡します。

レセプションパーティーとどこかの土日は在廊しようと思っておりますが、日程変更になったことで秋田で行われる女流作家展と会期が重なってしまいました。

 

秋田でもどこかの土日在廊しようと思っていたのですが…どうしましょ。検討します。

 

 

さて、今日は池上英洋さん川口清香さん著「美少年美術史」を読んでます。

 

皇帝たちの寵童で、いかに皇帝が少年を愛していたかということをかきました。


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今日はその中でも有名なアンティノウスについてです。

 

アンティノウスは76年第14代ローマ皇帝ハドリアヌスの愛人でした。

 

ハドリアヌスの彫刻

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ハドリアヌス帝は女性には見向きもせずに10代のアンティノウス一人に夢中だったそうです。

 


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↑はお酒と豊穣の神、バッカスの姿をしたアンティノウス

 

アンティノウスはギリシャ文化圏であった現在のトルコで生まれました。

 

髭を伸ばすギリシャの風習を真似するほどギリシャに関心があったハドリアヌス帝にとって、アンティノウスはギリシャの香りを感じさせてくれる存在でもあっただろうと本中に書かれています。

 


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ハドリアヌス帝に会う前、アンティノウスが何をしていたかはわかっていません。

 

ハドリニアヌスが帝国領土を何度も巡回しましたが、その傍らには常に幼いアンティノウスの姿がありました。

 


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しかし130年の巡察中、アンティノウスはナイル川を下る船から落ちて溺死してしまいます。

 

当時ハドリニアヌス帝は54歳、アンティノウスは18歳前後でした。

悲しかっただろうなあ。

 


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ハドリニアヌス帝は歴代皇帝最大の別荘をつくり、そこに数百体ものアンティノウス像をつくらせそれらに囲まれて過ごしたそうです。

病んでますな。

 


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帝国の領土全土からは2000体以上のアンティノウス像が量産され、今も数百体が現存します。

 


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皇帝たちの寵童の中でも突出した扱いです。

 

ハドリニアヌス帝は通常は皇族に限られる神格化を元老院の承認なしにアンティノウスに宣言し、都市アンティノウスを建設し、アンティノウス座という星座もつくりました。

 

何をしてもアンティノウスは戻ってこないのに物悲しくなりますね。

しかしそのお陰でアンティノウスのことは後世まで伝わってますね。数多くの像とともに。

 


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今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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ニケ

今日も生きてます。

 

メタタグというものがあるらしい。

 

産経新聞のネット記事で、朝日新聞が過去の慰安婦に関する記事の一部にメタタグをつけて検索されにくいようにしていたそうな。

 

 メタタグは、ウェブページの情報をグーグルなどの検索エンジンに提供するキーワード。検索しにくくしたり、逆に検索されやすくすることができる。通常はウェブページ上には表示されず、第三者が書き換えることはできない。

(https://www.google.co.jp/amp/s/www.sankei.com/world/amp/180909/wor1809090002-a.html)より引用。

 

私のホームページもブログもタグをつける作業したことないな。

 

アナログを脱せねばと思っておりますが、色々なサービスがたくさんあると混乱してしまいます。

 

 

さて、今日は池上英洋さん荒井咲紀さん著「美少女美術史」を読んでいます。

 

神話世界の美少女としてニケが紹介されていました。


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ニケと言えばサモトラケのニケが有名ですね。

1863年ギリシャサモトラケ島で発見されました。

 

今調べたところによると右手も発見されているらしいですね。1905年に。みてみたい。

 

 

モチーフとなっているニケはどんなものかというとギリシャ神話に登場する勝利の女神です。

ローマ神話勝利の女神ウィクトリアともどういつしされ、英語のヴィクトリーの語源にもなりました。


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ギリシャでもローマでも戦争が盛んでしたから、勝利の女神の人気は高かったそうです。

 

ニケにはゼロス(競争)やクラトス(支配)、ビア(暴力)とよくにた属性の兄弟がいました。

 

勝利は気まぐれで残酷ということで、無邪気な少女の姿でかかれたのでしょう。

 

古代に美少女という価値観が見出だされていなかったため、少女の絵や彫刻は少い中、ニケの作品は古代の少女のようすを伺うことができる数少ない作品でした。


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今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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