アンティノウス
今日も生きてます。
フェルメールトリビュート展の日程が変更になりました。
10月19日ー11月4日が会期です。
そして19日にレセプションパーティーが行われます。
詳細は追って連絡します。
レセプションパーティーとどこかの土日は在廊しようと思っておりますが、日程変更になったことで秋田で行われる女流作家展と会期が重なってしまいました。
秋田でもどこかの土日在廊しようと思っていたのですが…どうしましょ。検討します。
さて、今日は池上英洋さん川口清香さん著「美少年美術史」を読んでます。
皇帝たちの寵童で、いかに皇帝が少年を愛していたかということをかきました。
今日はその中でも有名なアンティノウスについてです。
アンティノウスは76年第14代ローマ皇帝ハドリアヌスの愛人でした。
ハドリアヌスの彫刻
ハドリアヌス帝は女性には見向きもせずに10代のアンティノウス一人に夢中だったそうです。
↑はお酒と豊穣の神、バッカスの姿をしたアンティノウス
アンティノウスはギリシャ文化圏であった現在のトルコで生まれました。
髭を伸ばすギリシャの風習を真似するほどギリシャに関心があったハドリアヌス帝にとって、アンティノウスはギリシャの香りを感じさせてくれる存在でもあっただろうと本中に書かれています。
ハドリアヌス帝に会う前、アンティノウスが何をしていたかはわかっていません。
ハドリニアヌスが帝国領土を何度も巡回しましたが、その傍らには常に幼いアンティノウスの姿がありました。
しかし130年の巡察中、アンティノウスはナイル川を下る船から落ちて溺死してしまいます。
当時ハドリニアヌス帝は54歳、アンティノウスは18歳前後でした。
悲しかっただろうなあ。
ハドリニアヌス帝は歴代皇帝最大の別荘をつくり、そこに数百体ものアンティノウス像をつくらせそれらに囲まれて過ごしたそうです。
病んでますな。
帝国の領土全土からは2000体以上のアンティノウス像が量産され、今も数百体が現存します。
皇帝たちの寵童の中でも突出した扱いです。
ハドリニアヌス帝は通常は皇族に限られる神格化を元老院の承認なしにアンティノウスに宣言し、都市アンティノウスを建設し、アンティノウス座という星座もつくりました。
何をしてもアンティノウスは戻ってこないのに物悲しくなりますね。
しかしそのお陰でアンティノウスのことは後世まで伝わってますね。数多くの像とともに。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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