大黒天を知る
今日も生きてます。
引き続き、七福神についてみていきます。
前回は恵比寿さまの由来(蛭子命、大国主命)などを見てきました。
恵比寿さまの由来のひとつである蛭子命(ひるこのみこと)。
子供の頃、船にのせられ海に捨てられた蛭子命がいつの間にか民衆に祀られ、今は福の神として宝船に乗っているというドラマチックな展開に全米が泣いたということは記憶に新しいことと思います。
↑は歌川国貞・溪斎英泉・歌川国芳合作「宝船」
富士山や初日の出、鶴に福の神が乗った宝船…縁起の良いものてんこ盛りの浮世絵です。
江戸時代には一月二日の夜に枕の下に宝船の絵を敷いて眠ると良い夢を見られるという風習がありました。
この中で今日みる大黒天はこの人。
前回の恵比寿さまともゆかりある福の神です。
七福神は様々な神様が由来となっています。
大黒天の由来とされる神様は
大国主命(おおくにぬしのみこと)
です。
⚫大国主命(おおくにぬしのみこと)とは誰?
大国主命は日本神話の神様です。
「古事記」や「日本書紀」の中のたくさんのエピソードに大国主命が登場します。
有名どころを紹介します。
「因幡の白兎」
↑白兎海岸側の大国主と白兎の像。
大国主命にはたくさんのお兄さん兄弟がいました。彼らをまとめて八十神(やそがみ)と称します。
八十神は弟である大国主命を嫌っていました。
ある日八十神と大国主命はヤガミヒメへ求婚しに旅に出かけます。
すると一行は皮を剥がれたかわいそうなウサギに出会います。
八十神はウサギに、海水を浴びて山の頂で、強い風と日光にあたって横になっていればよくなるといいます。
(八十神鬼畜ですね…)
その通りにしたウサギは更に痛みに苦しんで泣いていました。
荷物持ちとして最後に歩いていた大国主命がウサギになぜ泣いているかと聞きます。
ウサギが理由を話します。
隠岐の島からこの地に渡るために、仲間がどれだけ多いか競争しようとワニザメに持ちかけました。
そして海にならぶワニザメの数を数える振りをしてその上を渡りました。
最後の一匹の上を渡るときに、『お前たちは欺されたのさ』と言いました。
するとワニザメはたちまち私を捕えてすっかり毛を剥いでしまいました。
イタがっていたところに八十神たちのアドバイスで更に傷がひどくなってしまったのです。
それ聞いた大国主命は、とりあえず早く水で体を洗って、がまの穂の花粉をつければ良くなるよ。と教えました。
その通りにし、ウサギはよくなりました。
そのウサギは八十神はヤガミヒメにふられます。と大国主命に言います。
その後その通りにヤガミヒメは八十神の求婚を断り、大国主命に「あなたのものになりたいわ」と言いました。
その後八十神に逆恨みされた大国主命は何度か暗殺されますが、その度に生き返り、いろいろな困難を乗り越えていきます。
優しい力持ちというイメージですね。
⚫シヴァ神とは誰?
↑チベット密教における憤怒相の大黒天
シヴァ神は、ヒンドゥー教の神様です。大黒天として七福神の一人になるまでにはどういった道筋があったのでしょうか。
(破壊や再生を司る神様、ガネーシャの父親)
↓
取り込まれる
↓
インド密教のマラーカーラー
(青黒い身体に憤怒相をした護法善神)
チベット仏教のマハーカーラー
(ヒンドゥー教を降伏させ仏教を勝利させる護法尊、財の神、福の神)
↓
取り込まれる
↓
日本密教の大黒天
(軍神・戦闘神、富貴爵禄の神)
※大黒天という名前は、
「マハー」=大
「カーラ」=黒
を意味するので大黒天。
日本では、最澄が比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりといわれています。
↓
↓
大黒の「だいこく」が大国に似ているため、大国主命と混同され、習合されます。
最初は破壊と豊穣の神として信仰されていましたが、後には豊穣の神様としての面が残りました。
そして七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となります。
神田明神の大黒天像
ちなみに恵比寿さまの由来のひとつである大国主命は、大黒天の由来の大国主命の息子です。
なので恵比寿と大黒天二人で一組で信仰されることもあります。
⚫大黒天のイメージ
七福神の大黒天の一般的なイメージは大きな袋・打出の小槌を持ち、頭巾をかぶっている姿です。
日本銀行兌換銀券一円券
(旧一円券)
正直大黒天という名前は聞いたことがあるもののなんの神様かは知らなかったのでスッキリしました。
最澄が比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったというのは面白いですね。
個人的には台所に守護神の必要性を感じたことがないので、昔は火事などの恐れがあったのか…またはインドに由来があるのか…どーなのかしら。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
明石 恵 Aya Akashi website - 明石 恵 Aya Akashi website