あやしい花魁ー日本初の洋画家高橋由一ー
今日も生きてます。
最近日が昇るのが早くなったせいか目が覚めるのも早くなってきました。
北欧などの国で白夜の日はぐっすり眠れないのかなあ。
夜通しパーティーとかするのかな…
さて、今日もあやしい美人画(東京美術 松嶋雅人箸)を読んでます。
今日の一枚↓
上の作品は高橋由一が描いた「花魁」という作品です。
基本的に絵の中の花魁や遊郭はとても美しく描かれています。
しかし高橋由一の花魁は派手な衣装や髪飾りをしているのに華やかさは全くありません。
花魁の顔も頬がこけて虚ろな目をしています。
非現実的な衣装を着た華やかな絵の世界観に引き込まれるというより、日常のなかで派手な格好してる厚化粧の変な人に遭遇しちゃった…というような感覚になる絵。
※個人的な感想です。
モデルとなった遊女は絵を見て泣いて怒ったそうです。
絶対もっと美しく描ける顔の角度とかあったと思います。
しかし高橋由一は幕末から明治にかけて生きた画家で、西洋から入ってくる作品の迫真的な描写に衝撃を受けて洋画を描いた、「日本で最初の洋画家」と呼ばれている人です。
高橋由一に描かれた風景、人、静物…全て現実的な存在感のある描写がされています。
教科書には鮭の絵が載っています。
高橋由一は佐野藩子の子として生まれます。
家は代々新陰流免許皆伝で、藩内で剣術師範を勤めていました。
由一2歳の頃絵筆で人の顔を描いて周囲を驚かせたというエピソードが残っています。
(すごい…)
祖父について家業の剣術修行と藩務に忙しい中、狩野派の絵師に学んだり、独学で絵を勉強します。
絵の道を進むことを祖父は反対していましたが、時が経つにつれて由一が生来病弱で剣術稽古も休みがちになっていったこともあり、武術を捨て画学の道に進むことを許されます。
藩の勤務に忙しい中、文晁系に属する吉澤雪菴に師事します。
あるとき西洋製の石版画にみて、全く異なる迫真的な描写に強い衝撃を受けます。
そして洋画の研究を決意します。
その後、蕃書調所(ばんしょしらべしょ:江戸幕府直轄の洋学研究教育機関)の画学局に入局し、川上冬崖に師事します。
慶応2年、イギリス人ワーグマンに師事し油彩や洋画を詳しく学びます。
翌年にはパリ万国博覧会へ出展。
明治時代に入り官職を務めますが、明治6年には官職を辞して画塾である天絵舎を創設します。多くの弟子を養成しました。
明治9年には工部美術学校教師として来日したイタリア人画家アントニオ・フォンタネージに師事します。
明治27年自宅で亡くなります。
明治時代、日本人の多くは油絵を見たことがありませんでした。
上の豆腐は油絵普及のために日本の身近な題材を描いたものです。
高橋由一の「鮭」はどこかの美術館で見たことがあります。
しかしホキ美術館ができて、写真のような油絵が流行っていた時でしたので、そういうものに見慣れていた私は高橋由一の描写をよくわかってませんでした。
写真のように描く技術を使っても、華やかで美しく演出された花魁が描かれたら、それは超リアルな夢の世界で、由一の花魁は写真のようにみえなくても、よりリアルに生々しく現実世界に存在しているように鑑賞者に感じさせている。気がする。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
〈画像引用・参考〉