渡辺崋山ー切腹した文人画家ー
今日も生きてます。
もう少しで元号が発表されますね。
私は平成生まれで少し寂しい気持ちもありますが、どんなものになるのか日本国民として楽しみです。
さて、今日は谷文晁に影響を受けた作家を紹介します。
谷文晁についてはこちらをご覧ください↓
渡辺崋山(わたなべかざん)
渡辺崋山像
崋山の弟子、椿椿山によって崋山の死後12年後の嘉永6年(1853年)に描かれたもの。
渡辺崋山は1793年に田原藩士の子供として江戸に生まれます。
藩の財政が悪化すると崋山のお父さんの年棒が減らされ一家は困窮します。
そんな中、絵が得意だった華山は絵を売って家計の足しにしていました。
1809年、画家である金子金陵、谷文晁に学び、才能が開花します。
20代から画業で成功していた崋山でしたが、才能豊かな人だったんですね、田原藩士として活躍します。
その功績のひとつとして多くの餓死者がでた天保の大飢饉で、いろいろな予防策をとり、田原藩内に一人も餓死者を出さなかったというものがあります。
あらかじめ食料備蓄庫を築いておいたことや『凶荒心得書』という対応手引きを書き、倹約、領民救済の優先を徹底させ飢饉に備えていました。
1837年、漂流した日本人を乗せたアメリカの舟を日本が砲撃したモリソン号事件を知った華山は、幕府の打ち払い政策に反対する『慎機論』を書きます。
出版はされず放置していました。
しかし、1839年、南社の獄で幕府の意見とそぐわない思想が取り締まられると、放置していた慎機論が証拠となり、渡辺崋山は投獄されてしまいます。
投獄生活の中で困窮し、華山は絵を売って生活の足しにしました。
しかしそれが幕府に伝わり、問題視されたという噂がたちます。
1941年、華山は藩にに迷惑がかからぬよう、自害してしまいました。49歳でした。
波乱万丈人生です。
鷹見泉石像 天保8年(1837年)の作。東京国立博物館蔵。国宝
佐藤一斎像 文政4年(1821年)の作。東京国立博物館蔵、重要文化財
滝沢琴嶺像 天保6年(1835年)の作。個人蔵、天理大学付属天理図書館寄託
市河米庵像 天保8年(1837年)の作。京都国立博物館蔵、重要文化財
耳の毛まで描いてる↑
書画や風景画もかかれてますが、私の好みで肖像画ばかり紹介してみました。
当時の肖像画は短にその人に似ているということよりも、その人の徳を表現することが大切とされていたそうです。
崋山のかいた肖像画を見ると、かかれた人間の素質が感じられませんか?
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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展示中です!
中目黒アート花見会Vol.4
「Sakura Pink」展
メイン会場:MDP GALLERY
住所→東京都目黒区青葉台1‐14-18
会期:2019年3月22日(金)-4月13日(土)
時間:11:00-19:00
※最終日は18:00まで
日・月・祝祭日休廊
「中目黒の桜まつり」の開催期間に併せ、今年で4回目の中目黒アート花見会「Sakura Pink」展が開催されます。
「花見をしながら、アートを楽しむ」をコンセプトに、桜をイメージした作品をMDPギャラリーを拠点に、中目黒エリアの飲食店などの協力店舗にも作品を展示する「お花見ART WALK!」も同時開催!
「桜、桃色、Pink」をテーマに、さまざまなアーティストによるイラストや油彩、日本画などの平面作品、立体作品など様々なアート作品を展示致します。
ご来場いただいた皆様に、桜とアートを楽しめる空間を提供いたします。