あやしい喜多川歌麿
今日も生きてます。
彫刻刀をいただきました。
ありがとうございます!
今日もあやしい美人画(東京美術 松嶋雅人箸)を読んでいます。
今日の一枚は「喜多川歌麿」の「山姥と金太郎 盃」です。
山姥というのは、山奥に棲む老女の妖怪で、人を食らうとされています。
他の人が描いた山姥↓
佐脇嵩之『百怪図巻』より「山うは」
(山姥 - Wikipediaより引用)
↑は二枚にくらべると、喜多川歌麿の描いた山姥は若くて艶っぽい雰囲気ですね。
(ボサボサなヘアスタイルですが。)
山姥がだっこしているのは金太郎です。
(まさかりかついだり、熊と相撲をとったりする人です。)
金太郎の母親は山姥だったのです。
金太郎と山姥が山で暮らしているのを源頼朝が見かけ、金太郎をスカウトします。
その後金太郎は鬼退治や妖怪退治など、大活躍していきます。
艶っぽい山姥を多く描いた喜多川歌麿は江戸では人気の美人画の絵師でした。
↓の作品などは有名ですね。
ポッピンを吹く女
1753-1806
歌麿は背景を省略し、それまで全身を描かれていた美人画を、顔を中心とする構図を考案しました。
歌麿が描いた美人画の多くは、遊女や花魁、茶屋の娘など無名の女性です。
しかし歌麿の浮世絵になると、モデルの名前はたちまち江戸中に広まったそうです。
これに対して江戸幕府は世を乱すものとして度々制限を加えるほどでした。
「寛政三美人」 歌麿画
しかし、豊臣秀吉の花見を題材にした浮世絵「太閤五妻洛東遊観之図」を描いたことがきっかけとなり、幕府に捕まり手鎖50日の処分を受けます。
当時、豊臣秀吉を絵の中ににそのまま登上させることを禁止されていたからでもあります。
この刑のあと、喜多川歌麿はげっそりして病気になってしまいます。
その後も喜多川歌麿の人気は衰えず、むしろこれが最後かもしれないと注文がどんどん舞い込むようになり、過労のせいかなくなってしまいました。
雑誌もテレビもスマフォもなかった時代、浮世絵の影響力ってすごかったんですね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。