秋田蘭画
今日も生きてます。
秋田蘭画というものをご存じでしょうか?
江戸時代に秋田で少し流行った絵の派閥です。
江戸時代の鎖国中にもオランダとは交流がありました。
蘭学が盛んになると洋画への関心も高まります。
最初に洋画を研究したのは蘭学者・平賀源内(ひらがげんない)です。
平賀鳩渓肖像
木村黙老著『戯作者考補遺』(写本)より
↑粋な肖像画ですね。
1773年に出羽秋田藩の佐竹義敦に招かれ、平賀源内は秋田に向かいます。
そこで鉱山開発の指導を行い、また秋田藩士小田野直武に蘭画の技法を伝えました。
そこから秋田蘭画の一派がつくられていくわけです。
ちなみに小田野直武(おだなおたけ)の描いた作品↓
小田野直武『東叡山不忍池』
(1770年代)
小田野直武『児童愛犬図』(1770年代)
秋田市立千秋美術館所蔵
小田野直武が平賀源内から洋画を学ぶエピソードとして有名なものがあります。
以下引用です。
源内は直武に西洋画を教えた。この際、「お供え餅を上から描いてみなさい」と直武に描かせてみせ、輪郭で描く日本画では立体の表現は難しく、西洋絵画には陰影の表現があるのでそれができると教えたという逸話がよく知られているが、これは後代の創作との見方が強い。源内自身は「素人としては上手」という程度の画力であるが、遠近法、陰影法などの西洋絵画の技法を直武に伝えた。
この餅の話、人生で10回ほど聞かされました笑
(知ってるのにオチは違うかもと思って最後まで聞いてしまうのが私の悪いところです。)
秋田生まれというと教えたくなるんでしょう。
西洋画の遠近法の方に慣れ親しみ、日本画の奥行きや立体の表現に新鮮さを感じるので餅の話を聞いてもなんとも思わないんだよなー。
話は戻ります。
小田野直武は杉田玄白らによる『解体新書』の
絵を描いたことでも有名です。
玄白と源内は親友であり、源内が小田野直武を紹介したのではないかとおもわれます。
直武は『解体新書』の序文に「下手ですが、断りきれないので描きました…」といった謙虚なことを書いているそうです。
人柄がわかりますね。
その後小田野直武は秋田藩主にも絵の指導をするようになります。
そして才能が開花したのが佐竹曙山でした。
佐竹曙山についてはまた明日。
今日はここまで
最後まで読んでいただきありがとうございました。