長谷川等伯の人生ー後半ー
今日も生きてます。
夜中まで絵を描いていて少し寝坊してしまいました。
明日からは定時に起きるぞ。
さて、今日も幻冬舎から出版されている「ゼロから始める日本絵画入門」安河内眞美さん著を読んでます。
長谷川等伯の生涯を昨日みてきました。
昨日のブログ↓
そしてちょうど有名な大作松林図屏風を描いたところで終わりました。
湿度の高くて奥深い日本の風景って感じで、心に残ります。
さて、その後等伯は61歳、大作を描きます。
大涅槃図(京都・本法寺)1599年
縦8m弱・横約5,2m、画面周囲の描表装を含むと高さ10m・横6mにもなる超大作。
東福寺の明兆作、大徳寺の狩野松栄作と共に、三大涅槃図と呼ばれるます。
そしてサインは「雪舟五代」。
自分は雪舟から五代目なのだということを強く意識しています。
この作品は京中で評判となります。
この広報活動は成功し、有力寺院の仕事を次々と手がけることになりました。
この絵の裏には亡くなった息子や親しい人たちの名前がたくさんかかれていました。一族への愛が感じられます。
66歳の等伯は優れた絵師や高僧に宮中から与えられる「法橋」の位に就きます。
その翌年67歳には次の位である「法眼」になります。
地位と権力がかたまってますな。
そして等伯は70歳。
親しくしていた本願寺の日通上人が亡くなり、肖像画を描きます。
日通上人像(京都・本法寺)慶長13年(1608年)。1幅 絹本著色 重要文化財。
そして1610年
家康に呼ばれて江戸にむかいます。
その旅の途中で病にかかってしまい、、到着後2日目に病死しました。等伯72歳。
等伯は当時画壇を支配していった狩野派に対抗していき、チャンスをつかんでいった人。
パフォーマンスや売り込みかたが上手なのも、狩野派に勝つためには必要不可欠なことだったんだろうなあ。
松の絵みたいです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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