瞳のない少女たち
今日も生きてます。
制作風景。
二月の展示にはお花を描いた作品をたくさん出品する予定です。
ざっくり分けるとカラフルな絵と黒い背景の作品を飾るつもりです。
今日も頑張ろー
さて、筑摩書房から出版されている「美少女美術史」池上英洋さん荒井咲紀さん著を読んでます。
20世紀のフランス、モンマルトル地区の「洗濯船」(バトー・ラヴオワール)と、モンパルナス地区の「蜂の巣」(ラ・リーシュ)という安アパートに現代まで名だたる天才が集まっていたことをご存じしょうか?
面白いことに「アートで町起こし」をやるようなときにこの言葉が使われるときがあります。
パリで芸術家が集まっていた町として有名です。
どんな人たちが集まっていたかというと、ピカソやモディリアーニ、パスキンやレオナルド藤田もこのアパートで暮らしていました。
諸外国から色々な人が集まり、助け合い、反発しあいながら、ゆるやかなコミュニティを作っていました。
彼らは無名の少女をたくさん描きましたが、共通していることがありました。それは瞳がない少女を描いていたということ。または描いていた時期があったということ。
それらの作品を今日は見ていきたいと思います。
「少女の肖像」
モディリアーニはアフリカの彫刻やギリシャ神殿の人像柱、イタリアのピエロ・デラ・フランチェスカから着想を得、独特の人物像を描きました。
上の作品のモデルは無名の少女。
モディリアーニの作品を見るとどうしても自殺した画家だーと思ってしまって鑑賞のジャマします。鴨居玲も同じく。
モイーズ・キスリング
「オランダ娘」
オランダの民族衣装を着た、瞳は虚ろな少女。
よく見ると帽子の装飾など細かく描かれていることがわかります。キスリングは各国の民族衣装に強い関心があったためだと思われます。
キスリングは地元秋田の美術館で本物を見ました。個人的には色彩も人物の描き方も大好きです。肖像画描いて欲しいナンバーワンです。
ジュール・パスキン
「赤い服の少女」
この作品を描いた当時、パスキンはこんなことをいっていたそうです。
「ロマン主義なんてものは、私に言わせれば服についたシミのようなものだ」(エレンブルグの回想より、池上英洋訳)
ちなみにロマン主義については昔のブログを参照していただければと思います。
そのように批判していたパスキンにとってモデルの瞳を描かないことで無個性化することはロマン主義への抵抗でした。
パスキンも酒に溺れて自殺…という作家の晩年が鑑賞の邪魔(笑)をする作家ですな。
実はパスキンという名前は偽名で本名はユリウス・モルデカイ・ピンカス作家名でパスキンと名乗っていたわけではなく、めったに実名は使わなかったそうです。
なぜなら本名が旧約聖書のユダヤ民族の指導者モーセを意味するため。
安アパートにはユダヤ人の比率が多かったのも特徴でした。
しかしパスキンのように名前を隠すほどユダヤ人であるということは彼らにとってはそれほどハンディキャップだったのでした。
ちなみにキスリングもユダヤ人です。
「接吻」
ローランサンはピカソたちと交流し、初期にはキュビズムにも影響を受けていました。
ほどなくして上の絵のように立体性をなくし色彩だけで少女を描く技法にたどり着きました。
中学生の頃彼女の伝記(回顧録だったかしら)を読みましたが、シャネルの肖像画を依頼されたときにシャネルをどうやっても描きたい雰囲気にならなくて、黒いストール(ショールだったか)をかけてやっとましになったわみたいなエピソードだけおぼえてる。
どうしてどうでもいいことばかり覚えてるのかな。
ちなみに昔の絵にローランサン風の画中画を描いたことがあります。
受胎告知という題名で。
後ろにかかってるのはローランサン風絵画です。
実際見た夢から描いたシリーズですが、もう手元にないからどんな夢をもとにしてえがいたか…。なんじゃったかなぁ。忘れてしもうた。
でもローランサンが同姓愛者で、女性には妊娠ということができるからだで…と、わりと神秘的で性的なことだったことは覚えてます。
変な夢を見たらまた題材にしたいなあ。
すごく脱線してしまいました。
瞳が描かれるとそこに注目し、人となりを想像してしまいます。瞳がないほうが絵の中の人物の造形的な特徴を把握しやすくなります。
富裕層からの注文が少なかったということもありますが、無名のモデルを使用したのも人となりへの関心から造形性への注意を妨げるためでもありました。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
明石 恵 Aya Akashi website - 明石 恵 Aya Akashi website
展示があります。
金銀箔展
輝くマテリアルの世界
会場 伊勢丹浦和店 美術画廊
会期 2019年2月6日ー2月12日
最終日は17時終了