リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

ラグジュアリー納経&平安美術ー優美さと装飾の極みー

今日も生きてます。

 

そういえばクリスマスですね。

 

いろいろと疎いのでイベント系の日は忘れがちです。

(記念日忘れてキレられた過去あり)

 

狙ったわけではないのですがちょうど撮影用背景紙や照明がアマゾンサンタから届くので楽しみです。わーい

 

 

皆様も素敵なクリスマスをお過ごしください~。

 

 

今日は平安時代の日本美術について取り上げます。

 

〇平安の時代背景

 

・唐の情勢が不安だったため遣唐使の廃止

・お金ないため軍廃止

・無法地帯が広がり農民が武装し始める→武士発生

 

 

 平安時代の美術

 

遣唐使が廃止されたため唐の影響をうけなくなります。

 

これにより日本独特の情景や表現がある「やまと絵」が誕生します。

 

 

 

 

〇母性溢れるお釈迦様

 


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↑は「釈迦金棺出現図」

 

お顔の表情をみてみると、とても優しそうです。


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法隆寺金堂壁画」と比べてみるとよくわかります。↓


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個人的には母性的なもの感じるのですが、私だけでしょうか?

 

 

 

 

描かれている場面…

 

お釈迦様が亡くなったとき、一目でも会いたいとその知らせを受けたお釈迦様のお母さまが駆け付けます。

 

お釈迦様が亡くなった姿をみて嘆くおかん(魔耶夫人)、

 

そしたらなんと亡くなったはずのお釈迦様が目を覚まします。

 

そして母子は感動の再会をするのです。


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 魔耶夫人↑

 

 

 

 

 

〇女子力が高い普賢地蔵

 


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↑は普賢菩薩像」です。

 

実は仏教の中で女性を救うとはっきり示しているのは法華経だけです。

 

法華経を信じる人のところへは、普賢菩薩が六つの牙を持つ白い象に乗って迎えに来てくれるそうです。

 

なので普賢菩薩は平安女子から大人気でした。

 

その関係からか、普賢菩薩は女性的に表現されることが多いです。

 

花が散っていたり、服の装飾が細かく描写されていたり、かわいい要素の多い普賢菩薩像です。


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また、乗っている像は真横をですが、上の普賢菩薩の体はこちらに真正面を向いています。少々不自然ですが、この方が安定感のある構図です。

 

「マンガでわかる日本絵画」」矢島新著の中では、リアルに描くといういことよりも、美しさを重視するのが日本らしさであると矢島先生が教えてくれています。

 

 

 

 

 

〇ラグジュアリー平家納経


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↑は「平家納経 序」です。

 

平安時代、貴族の間では装飾経をつくって寺社に奉納することが流行りでした。

 

極楽浄土に行きたいという思いがこのブームにつながったようです。

 

「平家納経」は平清盛厳島神社に奉納したもの。

 

平家一門が法華経をひとり一巻ずつ写経し、とにかく何から何まで豪華にした装飾経です。


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ちなみに写経とは少し違うかもしれませんが、キリスト教で装飾性の高い時祷書(キリスト教徒が用いる祈祷文、賛歌、暦などからなる聖務を記した日課書のこと)があります。

 


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 ベリー公のいとも豪華なる時祷書↑

信心深い権力者(¥)は優れた芸術品を残してくれますね。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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河童目撃談集ー羽が生えてる奴や甲羅無い奴もいたらしいー

今日も生きてます。

 

自宅に簡易撮影場をつくるため、照明や背景紙を揃えました。あとはセットとモデルが必要です。

 

資料集めを適当にすると制作時に無駄に悩んで時間がかかるので、面倒なこともありますが、制作環境整えることを地道に進めていきたいです。

 

さて、前回は法隆寺を取り上げ、歴史に沿って進めていくようなことを言っておりましたが、いろいろと調べるのに時間がかかるため今日は絵に描かれた河童について取り上げます。

 

 

 

 

⚫甲羅だけではない様々なカッパの姿と目撃談



河童というと緑色で甲羅があり、頭の上には皿を乗せているイメージです。現代でも認知度高めの霊獣ですね。

 

昔の人々は河童への関心が高かったらしく、河童目撃談の情報をまとめた本がいくつか刊行されています。

数々の目撃談からは様々な姿の河童を知ることができます。


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〇1801年水戸で網にかかった河童

身長1メートル、重量8キロ、頭の上には皿があり、水かきがある。

現代にも通じる河童ヴィジュアルですね。

 

 


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1840年櫛引道柳沢村で村人によって捕獲された河童

羽が生えていて首を伸ばすこともできた様子。私だったら河童の区分には入れないだろう。1794年越後新潟の香具師が持っていた(!?)河童もこのような姿をしていたらしい。

 


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〇1877年千葉県鴨川市で、沖合で漁をしていた漁師が目撃した河童。

この図と同じような姿かたちだったらしい。甲羅を背負った犬のようだ。「かなよみ」という新聞に掲載され記事になっています。今この手の話題を紙媒体で扱う記者はいないでしょうね。(ムーって河童の記事載せてる?)

 

 

 

甲羅のない河童も目撃されていたそうです。


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〇錦絵の河童


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河童は本当に身近な存在であったようで、絵の中にもよく登場していたようです。

↑は歌川国利画「新板かつぱのたはむれ」

河童と人間をモチーフにユーモアたっぷりに描かれています。

 


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 釣り針に河童がかかってテンパる。の図。


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 落雷で落ちてきた雷様を川に引きずり込む。今日は上玉だぜ!の図。


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 お化けの真似をして通行人を驚かす河童の図。

(マネというか河童もお化けではないのか?)


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 子供にいじめられる河童の図。女子供には手を出さない誓いでも立てているのかな。


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 好物の瓜をとろうと船をひっくり返す河童の図。


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蕎麦も狙う河童の図。河童は蕎麦派か。

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 尻子玉を抜こうとして放屁の反撃をくらう図。


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(個人的推測)河童、道に迷って教えてもらう図。

 

 

 

 

 


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月岡芳年画「和漢奇談鑑」より「毛谷村六助」

安土桃山時代の剣豪六助が河童の相撲を見たという故事をテーマにした錦絵です。

 


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「夜窓奇談」(1889)

福岡県柳川市で、厠に入った女性に触って手を切られ、手を返してもらおうと少年の姿で現れた河童が、お礼に皮膚病の薬を伝えるという話が掲載されています。

厠に入った女性は刃物を携帯していたのか?なぜ河童は少年の姿で?など、疑問がわいてきますね。

 


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↑は「絵入り自由新聞」(1885)に掲載された見世物小屋の入り口風景。


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いろんな霊獣と共に河童もいる。


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野次馬のなかにカッパみたいな奴もいる。

 

 

 

 


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↑は今はない別府の怪物博物館で販売されていたカッパのミイラの姿のハガキ。(送られても嬉しくないかも。)

 

 

一度だけ友達と一緒に花園神社の酉の市の見世物小屋に入ったことがある。すごいショーを見るというよりも、なんかそういう雰囲気を楽しむ趣向の物だと捉えています。

そこで確かなんかのミイラを見、それが河童だったような…(曖昧)

 

 

明治の新聞にも河童の記事が掲載されるぐらいなので、まだその時代には「いるのかな?居ないのかな?」という認識だったことが面白いです。ミイラもリアリティあったんだろうなあ。

 

 

 

今日はここまで

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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画像引用・参考

日本幻獣図説 湯本豪一著 河出書房新社

飛鳥時代の日本美術―法隆寺金堂壁画―

今日も生きてます。

 

マンガでわかる「日本絵画」のテーマを読み終わりました。

人には貸せない状態になってしまいました。(くたくた)


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今後は同じ矢島新さん監修のマンガでわかる「日本絵画」の見かたを読んでいきます。

この本は時系列に従って日本の美術作品が選ばれ、解説が載っています。


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マンガで~と本のタイトルにありますが、本の題名に冠するほどのたいした漫画は掲載されていません。唐木みゆさんのゆるい挿絵が随所にのっているのみです。(和む)


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本文中の挿し絵(マンガ部分)↑

 

普通に解説文で理解を深めることができます。

 

 

 

 

最初に飛鳥時代代表として紹介されている作品は法隆寺金堂壁画 第六壁『阿弥陀浄土図』」です。

 

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BENRIDO - BENRIDO, Wall Paintings of the Horyuji Monastery,1951, KYOTO, Japan, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10672697による

法隆寺金堂壁画 阿弥陀浄土図 上部壁面(土漆喰など)に顔料で描かれた壁画 

七世紀末(推定) 1949年の火災前の状態

 

法隆寺かあなるほどなるほど…。

と思って読んでいましたが、そういえば法隆寺に関する知識って聖徳太子の寺程度の物しかなかったので、これを機に少しまとめておきたいと思います。

 

 

 

 

法隆寺が建立された理由

 

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(663highland - 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5,https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1299460により引用)

 

 

 

まず605年に聖徳太子推古天皇斑鳩に宮室を移します。

 

その理由は、海の玄関口・難波と大和をつなぐ道が重要とされていて、その道を確保するためです。二つの道がありましたが、一つは古くから蘇我氏支配下にあり、聖徳太子蘇我氏に対抗するため、斑鳩に宮室を移しました。

 

斑鳩大和川に面しており、物資輸送においても重要な地域でした。

その後聖徳太子斑鳩の地で大規模な都市を築き上げます。

 

 

そこで「ん?」となるポイントは、蘇我馬子聖徳太子って戦友的な感じで仲間でなかったっけ?という点。(歴史の知識浅い。)

 

仏教を推進する仲間という点では協力関係であった蘇我馬子聖徳太子

しかし聖徳太子の死後、蘇我馬子は政治の実権を独占し始めます。そして蘇我馬子の子孫「蘇我入鹿」が聖徳太子の子孫「山背大兄王」と太子の一族を滅亡させます。

 

正直昔のことなので何が本当なのかということはわかりませんが、蘇我馬子聖徳太子がただの仲間ではなく、微妙なバランスの上にある関係だったということなのかなと思います。

 

 

話は戻りますが、斑鳩の地に新しい宮室をつくった聖徳太子はその近くに法隆寺をつくります。亡き父である用明天皇のために法隆寺は建立されました。

 

 

 

 

 

 

文化財保護法のきっかけとなった法隆寺

 

法隆寺は世界最古の木造建築物ですが、607年に完成した後、670年には一度全焼しています。925年には講堂と鐘楼が焼失、1435年には南大門が焼失。

 

そして1949年には修理中に壁画が焼損します。

このことがきっかけになり、選ばれた文化財の保護経費に税金を投入することができる文化財保護法が制定されます。

 

文化財保護法ってよく聞くけれどこの事故がきっかけだったんですね。壁画が焼損してしまったことはよほど衝撃的事件だったのであろうと推測します。

 

 

 

 

 

飛鳥時代の日本美術

 

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(Tokyo Bijutsu Gakko - Tokyo Bijutsu Gakko(Tokyo Fine Arts School and Tokyo Music School) ed., HORYUJI OKAGAMI (64 VOLUMES) [The Great Art of the Horyuji Temple Volme 49th, 1917], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8688047による)

銅造釈迦三尊像(金堂)↑

 

飛鳥時代聖徳太子が仏教を利用して国家を安定させようと活動したため、仏教をわかりやすく伝える仏像や絵画がつくられました。

 

遣唐使が日本に伝えた先端技術の中には経典だけではなく、絵画の技術も含まれていたそうです。法隆寺金堂壁画からは、唐で流行したインド風の仏教絵画の影響が確認できます。


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上の茶色い方はアジャンタ石窟寺院の壁画

下は法隆寺の壁画

 

顔の趣似てませんか?

岡倉天心が類似点があると指摘していました。

 

 

 

初唐様式と呼ばれた絵画の当時最新テク

 

★鉄線描(てっせんびょう)…強靭な描線

隈取り(くまどり)…立体感を表現するために、引いた線の片側に凹凸に見えるようなグラデーションを施すもの。

 

 

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 (BENRIDO - BENRIDO, Wall Paintings of the Horyuji Monastery,1951, KYOTO, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10122823による)

飛天図(内陣小壁20面のうち14号)

 

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(Anonymous Asuka period artists - Wall paintings of Horyuji, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20932590による)

10号壁薬師浄土図

 

 

 

 

 

 

 

時系列で美術品を学んでいくと日本史の勉強にもなりそうです。

 

美術関係書の中には、時代ごとの有名(と現代で認識される)作品が並べられ、時代背景と全く関係なく「表現の歴史」というものがある感覚になるものもあります。

 

でも実際は個々の作家が自分の表現を追求した結果であるし、それよりもどんな作品が制作されるのかというのは、そのときの政治やお金の流れ(パトロン)に影響される場合が大きいので、表現だけではなく作品制作時の時代背景を深堀りした方が作品を解釈できる部分が多いのでは?と考えるようになりました。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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参考

オールカラーでわかりやすい!古事記・日本書記西東社

マンガでわかる「日本絵画」の見かた 誠文堂新光社 矢島新監修

 

百鬼夜行図ー妖怪を楽しむー

今日も生きてます。

 

絵画に描かれる架空の生物について取り上げるシリーズが続いています。

昨日は鵺(ぬえ)の回でした。

akashiaya.hatenadiary.jp

 

 

今日は妖怪が描かれた百鬼夜行について取り上げます。

 

妖怪ウォッチは見たことありませんが、日曜朝に放送されるゲゲゲの鬼太郎はほぼ毎回チェックしています。

毎回世相を反映した内容で、今回はこう来たか~(笑)とゆるく楽しんでいます。

(個人的にはオープニングもエンディングも歌が好きです。氷川きよしの第二形態も大歓迎。)

 

世間の妖怪の認知度を高めたのは水木しげるの活動ですね。


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水木しげる先生って愉快な方だったのかなと思うような写真に好感。


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深大寺にある鬼太郎喫茶にも行きましたが、面白い場所でした。

 


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いくつかの妖怪の説明と人形があります。

 

 

全国の妖怪が見れるマップがあります。

 


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秋田県付近には地味なやつがいました。

(枕返し…?)

 


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パネルにも全国の妖怪の説明があります。

 


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雪女だ…!!!

 

眺めてるだけですがたのしいです。

 


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喫茶部分にも鬼太郎グッズが溢れてます。


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妖怪クッションかわゆい。


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お勧めできます。

 

 

 

 

 

 

 

「妖怪」という言葉を広げたのは水木しげるの作品かもしれませんが、そのイメージはもっと古くからありました。

 

↓は土佐光信の「百鬼夜行絵巻」(16世紀)です。


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妖怪たちが連なって歩く姿が描かれる「百鬼夜行絵巻」は様々な人に描かれ、バージョンもたくさんあります。土佐光信のものは現存する最古の絵巻です。

 

 

 

 

 

妖怪の存在は日本書紀にはすでに確認できます。絵画として目に見える形で表現され始めるのは平安時代です。

 

鎌倉時代以降には妖怪が準主役の絵巻物もつくられるようになります。

 

江戸時代には怪談ブームもあり、娯楽用にたくさんの妖怪が描かれました。

 

 

↓は鳥山石燕の「百鬼夜行図巻」


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鳥山石燕(とりやま せきえん1712年-1788年)は妖怪のイメージを語る上では欠かすことのできない存在です。

 
狩野派で絵を学び、御用絵師であったとされます。(詳細は不明)

 
美人画や奉納額を仕事にしていましたが、版本として刊行された妖怪画集が大ヒット。

妖怪画集の続編も出します。それも評判が良かったのか、それ以降も妖怪関連の作品をつくり続けます。


弟子の中にはビッグネームとなる、喜多川歌麿恋川春町、歌川豊春などがいました。

 

 

 

 

 

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パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1255613

天狗(てんぐ)

 

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Toriyama Sekien - http://www.linet.gr.jp/, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1255673による

猫また(ねこまた)

 

 

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Toriyama Sekien (Japanese, *1712, †1788) - http://visipix.com/cgi-bin/view?userid=2044878164&q=kappa&n=3&p=1&l=de&u=2&ub=1&k=0, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=352064による

河童(かっぱ)

 

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Toriyama Sekien - scanned from ISBN 4-0440-5101-1., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1992634による

反枕(まくらがえし)

 

 


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↑は鳥山石燕の「画図 百鬼夜行

既存の絵巻を参考に描かれたと思われる妖怪と、伝承の中にのみ存在したものに石燕が形を与えたものもありました。

 

画図百鬼夜行」は多くの絵師に影響を与えます。水木しげるもこの本をみて妖怪を描き集めるようになったそうです。元祖妖怪アーティストです。

 

 

 

 

 

 

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Toriyama Sekien (鳥山石燕, Japanese, *1712, †1788) - scanned from ISBN 4-336-03386-2., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2082678による

屏風覗(びょうぶのぞき)

 

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Toriyama Sekien (鳥山石燕, Japanese, *1712, †1788) - scanned from ISBN 4-336-03386-2., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2081027による

倩兮女(けらけらおんな)

 

 

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Toriyama Sekien (鳥山石燕, Japanese, *1712, †1788) - scanned from ISBN 4-336-03386-2., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2080448による

人魚(にんぎょ)

 

 

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Toriyama Sekien (鳥山石燕, Japanese, *1712, †1788) - scanned from ISBN 4-336-03386-2., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2080442による

人面樹(にんめんじゅ)

 


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↑は鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」

前作の「画図 百鬼夜行」もヒットを受けて制作された妖怪図鑑。

石燕の解説付きです。

博識な人だったんですね。

 

 

 

 

 

↓は河鍋暁斎の「暁斎百鬼画談」です。

 


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百物語から飛び出した様々な妖怪が描かれています。

コミカルでかわいい描写ですね。

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

明石 恵 Aya Akashi website - 明石 恵 Aya Akashi website

鵺は基本的に気持ちが悪いだけ。

今日も生きてます。

 

空想の生物を紹介するシリーズが続いています。

 

個人的には、現実にあるものをそっくりに描いた作品よりも、この世にないものを作者が想像力と表現力を駆使して描いた作品の方が楽しく鑑賞できます。

 

空想の存在でも、モチーフとして描かれる場合、何かの場面が描かれていたり、背景があったりします。

 

画題を知ることは楽しい作品鑑賞につながりますね。

 

今日は霊獣の中から(ぬえ)」を取り上げます。

 

 

 

 

 

 

最初はただの不気味な鳥だった。

 

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(Toriyama Sekien (鳥山石燕, Japanese, *1712, †1788) - scanned from ISBN 4-3360-3386-2., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3701925による)より引用

鳥山石燕画「今昔画図続百鬼」より鵺

 

 

のことは「古事記」や「日本書紀」にも書かれていました。

 

しかし↑の鳥山石燕が描いているような姿ではなく、夜になく不気味な鳥として描写されています。

 

 

今日では、昔と呼ばれていたものはトラツグミであるとされています。

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(Ohsaka - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=27435597による)より引用

トラツグミ

 

夜に不気味な声で鳴く鳥とされていたようなので、YouTubeトラツグミの鳴き声を聞いてみましたが、個人的には全く不気味とは感じませんでした。

 

やはり昔の日本人と現代の私とは感覚違うのかなあ?

皆さんも時間がありましたらトラツグミの鳴き声きいてみてください。

 

この鳴き声から、平安時代の貴族は鵺(トラツグミ)のこと不吉な鳥と捉え、恐れていました。

 

 

 

 

 

平家物語」から正体不明の怪物にパワーアップ!

 

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(パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=314867)より引用

 

鵺で一番有名な話は「平家物語」の中で語られる源頼政の鵺退治のエピソードです。

 

ざっくりあらすじを示すと…

 

天皇の御所である清涼殿で、夜ごと不気味な声が響きます。

 

それを恐れた天皇は病にかかってしまいます。

 

そこで弓の達人源頼政に怪物退治の命が下されます。

 

その後、頼政は見事に怪物を射落とします。

 

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Tsukioka Yoshitoshi (Japan, 1839-1892) - Image: http://collections.lacma.org/sites/default/files/remote_images/piction/ma-34133547-O3.jpgGallery: http://collections.lacma.org/node/191344 archive copy at the Wayback Machine (archived on 22 January 2019), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=27340910による

月岡芳年画「新形三十六怪撰:猪早太と鵺」 

 

もともとは、鵺のように鳴く正体不明の生物が、

 

顔  猿

胴体 狸

手足 虎

尾  蛇

 

が組み合わさった怪物の姿になりました。

 

浮世絵として描かれる鵺は大体がこの源頼政の鵺退治の話だと思います。


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高嵩谷画「源三位頼政鵺退治」

絵馬に描かれた作品。

 

 


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歌川国芳「鵺退治」

源頼政の矢が鵺に当たり、もだえ苦しんでいます。

 

 

退治した鵺は祟りを恐れて鴨川に流されました。

流れ着いた先で手厚く葬られたそうです。鵺を葬ったとされる鵺塚も残っています。

 

 

 

 

 

 

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歌川国芳「木曾街道六十九次之内 京都 鵺 大尾」

 

 

 

↑は鵺退治の絵ではありません。

 

これは歌川国芳が木曽街道の宿場にちなんだ物語を、語呂合わせを用いながらも描いたシリーズです。

 

鵺の特徴的な尾と、「大尾」をかけています。

 

 


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火消しの衣装に鵺がデザインされたものもありました。

鵺のイメージが共有されていたことがわかります。

 

 

 

 

 

 

ここまでまとめてきて思ったことは、

 

最終的に鵺…なんか悪いことしてる…?

 

鵺はたぶん気持ち悪い鳴き声に気持ち悪い外見がつくられただけですね。 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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日本の幽霊絵

今日も生きてます。

 

秋田に住んでいる皆様へ

 

広面にある文具店「いせまつ」が店じまいするため、セール中らしいです。

(家族情報)

 

秋田では画材を購入できるところ少なかったのでたまにいせまつで買い物していました。

 

どんどん街並みも変わって行くんだろうなあ。

(しんみり)

 

 

 

さて、今日は幽霊の絵について取り上げます。

 

幽霊画が多く描かれたのは江戸時代から明治時代にかけてです。

 

幽霊の絵って需要あるの?と思いますが、怪談が流行したということが関係しているそうです。

 

幽霊画を集めたコレクターもいたと思いますが、怪談をするときに幽霊画を飾ることがあったそうです。

怪談気分が高まりますね。

 

よく幽霊絵の話で出てくるのは、足のない幽霊を最初に描いたのは円山応挙で、応挙の夢の中に出てきた亡き妻の足がなかったためというものです。

 

この話は有名なため、個人的には何度か違う人間から同じ話をされて若干うんざりしていましたが、Wikipediaではこの話は伝説であり、事実は違うという説が紹介されていました。

 

 実際には、応挙が生まれる60年前の延宝元年(1673年)に同じ京都で刊行された井上播磨掾[* 4]の浄瑠璃本『花山院后諍(かざんのいん きさきあらそひ)』(別名:花山院きさきあらそひ)に、足の無い幽霊の挿絵が掲載されており、この時代の、少なくとも京都にはすでに、「幽霊には足が無いもの」という概念があったようである。

引用幽霊 - Wikipedia

 

井上播磨掾の花山院后諍を確認できなかったので、実際どうなのかはわかりませんが、会話が円山応挙の幽霊伝説に入ったらこの話をしてみるのもいいかもしれませんね。

 

しかし、円山応挙の幽霊図が多くの絵師に影響を与えたのは本当です。

 

 

 

 

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円山応挙 - http://eee.uci.edu/clients/sbklein/GHOSTS/html/edoghosts/pages/oyuki.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9172709による

円山応挙画「幽霊図」

腰から下が消えていて、顔に薄く青い色が塗られています。

 

 

 

 

 

 

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月岡芳年 - ウォルターズ美術館: Home page Info about artwork, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18820880による

月岡芳年画「応挙の幽霊」

円山応挙の幽霊図は有名でした。

月岡芳年円山応挙の幽霊をモチーフにした絵を残しています。

描いていた応挙自身が、今まさに紙から抜け出して迫り来る女の幽霊に気付くや、腰を抜かさんばかりに吃驚仰天しています。

 

 

 


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河鍋暁斎画「幽霊図」

男の幽霊が生首をくわえています。こわい。

河鍋暁斎は八歳の頃川の氾濫時に生首を拾ってきて写生したそうです。

 

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Sawaki Suushi (佐脇嵩之, Japanese, *1707, †1772) - scanned from ISBN 4-3360-4187-3., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5510196による

佐脇嵩之画『百怪図巻』より「ゆふれゐ (幽霊)」

 

 

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Yasuda Beisai (安田米斎, Japanese, *1848 - †1888) - "Ikai mangekyō" (『異界万華鏡』, Japanese book), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14816005による

安田米斎画「子育て幽霊図」

 

子育て幽霊という怪談があるそうです。

 

ある夜、店じまいした飴屋の雨戸をたたく音がするので主人が出てみると、青白い顔をして髪をボサボサに乱した若い女が「飴を下さい」と一文銭を差し出した。主人は怪しんだが、女がいかにも悲しそうな小声で頼むので飴を売った。
翌晩、また女がやってきて「飴を下さい」と一文銭を差し出す。主人はまた飴を売るが、女は「どこに住んでいるのか」という主人の問いには答えず消えた。その翌晩も翌々晩も同じように女は飴を買いに来たが、とうとう7日目の晩に「もうお金がないので、これで飴を売ってほしい」と女物の羽織を差し出した。主人は女を気の毒に思ったので、羽織と引き換えに飴を渡した。
翌日、女が置いていった羽織を店先に干しておくと、通りがかりのお大尽が店に入ってきて「この羽織は先日亡くなった自分の娘の棺桶に入れたものだが、どこで手に入れたのか」と聞くので、主人は女が飴を買いにきたいきさつを話した。お大尽は大いに驚いて娘を葬った墓地へ行くと、新しい土饅頭の中から赤ん坊の泣き声が聞こえた。掘り起こしてみると娘の亡骸が生まれたばかりの赤ん坊を抱いており、娘の手に持たせた三途川渡し代の六文銭は無くなっていて、赤ん坊は主人が売った飴を食べていた。
お大尽は、「娘は墓の中で生まれた子を育てるために幽霊となったのだろう」と「この子はお前のかわりに必ず立派に育てる」と話しかけると、娘の亡骸は頷くように頭をがっくりと落とした。この子供は後に菩提寺に引き取られて高徳の名僧になったという。

子育て幽霊 - Wikipedia

 

 

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鍋田玉英 (Nabeta Tamahide) - [1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=56971806による

鍋田玉英画「額隠し」

 

 

 

霊感ない私ですが、お化け屋敷など素直に怖がるタイプです。(小さいころからビビり)

 

いるいない関係なく、怪談話を楽しむ心の余裕があった方が豊かな人生が送れそうです。

 

死ぬまでには一度はやりたい!百物語!でも霊感ないから話せる手持ちのネタがない…ご先祖様カモン。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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天狗の世界を知る



今日も生きてます。

 

カメラを持って多摩動物園で撮影してました。

 

目的は蝶の温室。

 

温室の中に蝶がたくさん舞っていて蝶の楽園のような場所です。

好きです。

 

蛹を見ることもできますが、クリスマスが近いからか蛹もクリスマス仕様になっていました。

 

たしかに蝶の蛹はクリスマスツリーの飾りにできるほど綺麗ですが、実際蛹ツリーをみるとかすかに狂気を感じました。

 


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さて、霊獣について取り上げる日々が続いています。

 

今は架空の存在として認識されている河童や人魚などの霊獣たち、昔はその存在が受け入れられ、信じられていました。

 

今日は霊獣の中から天狗について取り上げます。

 

 

 

〇天狗とは

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Nappa - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8167608による

 

顔が赤く、鼻が長い、そして空を飛ぶ…というようなイメージの天狗。

 

個人的には高尾山の天狗が有名ですよねという感じ。

(浅い…)

 

天狗と関連している寺や地域は日本にたくさんあります。

絵や像としても様々な姿で表現されています。

 

 

 

 

 

〇天狗の由来

 

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unknown (Chinese) - scanned from Chuugoku koten bungaku taikei (中国古典文学大系, Japanese book) volume 8, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7912348による

山海経』より「天狗」

 

 

もともとは天狗の元祖は、中国の伝説の世界を描いた地理書山海経(さんがいきょう)」や、史記の中に登場します。

 

流星のことを天を駆け降りる犬の姿に見立てていたようです。

 

それが日本古来の信仰と組み合わさっていきます。

 

 

 

 

〇天狗の外見

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パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1355209

一魁芳年画『美勇水滸傳』木曽駒若丸義仲に鼻を摑まれた天狗↑

 

 

平民は山の中で起きる怪異な現象を天狗の仕業と呼んでいました。

ここから天狗を山の神と見なす傾向が生まれます。

 

天狗の姿は一定ではなく、様々な姿で表現されます。

 

今昔物語集(平安末期成立)の中での天狗の表現

空を駆け、人に憑く「鷹」と呼ばれる魔物や、顔は天狗、体は人間で、一対の羽を持つ魔物など、天狗の説話とともに様々な姿。

 

平家物語の中での天狗の表現

人にて人ならず、鳥にて鳥ならず、犬にて犬ならず、足手は人、かしらは犬、左右に羽根を生やし、飛び歩くもの。


『古今妖魅考』の中での天狗の表現

白峯神宮の祭神である金色の鳶と化した讃岐院(崇徳上皇

長い翼を持つ沙門となった後鳥羽上皇

 

また、山伏は傲慢で我見の強い者として、死後に転生し、魔界の一種として天狗道があるとされました。

 

現代の私たちがイメージする天狗の姿が認識されたのは中世に修験道の影響を受けてできたものです。

 

 

 

 

〇天狗の種類

 

鼻高天狗

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歌川国芳 - http://visipix.com/search/search.php?userid=1616934267&q=%272aAuthors/K/Kuniyoshi%201797-1861%2C%20Utagawa%2C%20Japan%27&s=13&l=en&u=2&ub=1&k=1, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=317360による

一勇齋國芳画「心学稚絵得」より『天狗と象』

 “競れば 長し短し むつかしや 我慢の鼻の を(置)き所なし"

 

現代の私たちがイメージする天狗が鼻高天狗

 

赤ら顔に山伏の服装、翼が生えた姿をしています。


この姿は一説では、狩野元信が描いた姿が広まっていると言われています。 


また一説では、伎楽(飛鳥時代に中国から伝えられた仮面劇)で使用される仮面も、赤ら顔で鼻が高く、鼻高天狗と非常によく似ていて、天狗に通ずるものがあると言われています。

 

 

 

 

 

烏天狗

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WolfgangMichel - 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29941764による

烏天狗

 

烏天狗(鴉天狗)は、鼻高天狗と同じく山伏装束で、烏のような嘴を持ち、自由に飛びます。



剣術神通力に秀で鞍馬山烏天狗は幼少の牛若丸に剣を教えたともいわれている。

 

 

一説には仏法を守護する八部衆迦楼羅天が変化し、烏天狗になったともいわれます。カルラはインド神話に出てくる巨鳥で、金色の翼を持ち頭に如意宝珠をがあります。つねに火焔を吐き、主食は龍です。

 

京都の三十三間堂二十八部衆迦楼羅天は一般的な烏天狗のイメージそのものです。

 

 

 

 

木の葉天狗

 

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Hayashi Jikkō 林十江(1777-1813) - http://www.tobu.co.jp/your/your10/ensen.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1622825による

林十江画『木の葉天狗図』

 

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河鍋暁斎 - scanned from 4-8771-9270-0., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3855685による

河鍋暁斎画『東海道名所之内 秋葉山

 

木の葉天狗(このはてんぐ)は、境鳥(さかいどり)とも呼ばれ、江戸時代の随筆や怪談などの文献に多く名が見られます。

 

寛保時代の雑書『諸国里人談』に木の葉天狗の目撃談があり、大きな鳥のような姿で、翼はトビに似ており翼長が6尺あったそうです。

 

人の気配を感じるとたちまち逃げ去ってしまったそうな。

 

しかし松浦静山の随筆『甲子夜話』には、天狗界での体験談が述べられており、その中に木の葉天狗の名があります。

人に似た顔と手足を持ち、くちばし、翼、尾羽を持っていたそうです。

 

 

 


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歌川国芳「平家の奢悪逆を憎み鞍馬山の僧正坊を始め諸山の八天狗御曹司牛若丸の影身を添ひ源家再興を企てる随従の英雄を伏さしむる図」

 

平治物語」や「鞍馬天狗」の中で、牛若丸は天狗から武芸や兵法を習ったとされます。牛若丸VS弁慶で、8人の天狗が牛若丸を助けています。

 


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歌川国芳「木曽街道六十九次之内 板鼻 御曹司 牛若丸」

牛若丸に打たれた天狗の鼻が痛い→板鼻

というダジャレを描いています。

 

 

 


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河鍋焼斎「焼斎百図」のうち「書の大天狗 象の鼻引」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇天狗の目撃談

 

霊獣が妖怪と違って面白いのは、存在が信じられていた時代があるため、目撃談やミイラが現代まで残っているところだと思います。


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この絵は秋田で酒屋に来たお客さんが天狗であったということが書かれています。


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↑は平田篤胤が、天狗の世界に行ったとされる少年の話を聞きだした天狗の文字。

なんて書いてあるのかなあ?


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↑は1658年頃に峠に出没していた天狗を佛現寺の住職が懲らしめたときに、この詫び証文を残したというもの。

 


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同じ佛現寺には天狗の髭も納められています。


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↑は烏天狗のミイラ。和歌山県御坊市教育委員会が所蔵しています。

生身迦楼羅王尊で、世の安寧と家運繁盛の守護者であると由緒書や証文に記されています。

修験道が布教活動のために背負って各地を回っていたようです。

 

 

 


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 ↑は端龍山法雲寺にある天狗の爪です。

明治18年の「伊勢新聞」には、これが発見されたときの記事が載っています。

 

その中で、これは鑑定により天狗の爪となったという旨の内容があります。

 

明治でも天狗の存在が信じられていたんですね。

 

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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