飛鳥時代の日本美術―法隆寺金堂壁画―
今日も生きてます。
マンガでわかる「日本絵画」のテーマを読み終わりました。
人には貸せない状態になってしまいました。(くたくた)
今後は同じ矢島新さん監修のマンガでわかる「日本絵画」の見かたを読んでいきます。
この本は時系列に従って日本の美術作品が選ばれ、解説が載っています。
マンガで~と本のタイトルにありますが、本の題名に冠するほどのたいした漫画は掲載されていません。唐木みゆさんのゆるい挿絵が随所にのっているのみです。(和む)
本文中の挿し絵(マンガ部分)↑
普通に解説文で理解を深めることができます。
最初に飛鳥時代代表として紹介されている作品は「法隆寺金堂壁画 第六壁『阿弥陀浄土図』」です。
BENRIDO - BENRIDO, Wall Paintings of the Horyuji Monastery,1951, KYOTO, Japan, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10672697による
法隆寺金堂壁画 阿弥陀浄土図 上部壁面(土漆喰など)に顔料で描かれた壁画
七世紀末(推定) 1949年の火災前の状態
法隆寺かあなるほどなるほど…。
と思って読んでいましたが、そういえば法隆寺に関する知識って聖徳太子の寺程度の物しかなかったので、これを機に少しまとめておきたいと思います。
〇法隆寺が建立された理由
(663highland - 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5,https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1299460により引用)
その理由は、海の玄関口・難波と大和をつなぐ道が重要とされていて、その道を確保するためです。二つの道がありましたが、一つは古くから蘇我氏の支配下にあり、聖徳太子は蘇我氏に対抗するため、斑鳩に宮室を移しました。
斑鳩は大和川に面しており、物資輸送においても重要な地域でした。
そこで「ん?」となるポイントは、蘇我馬子と聖徳太子って戦友的な感じで仲間でなかったっけ?という点。(歴史の知識浅い。)
仏教を推進する仲間という点では協力関係であった蘇我馬子と聖徳太子。
しかし聖徳太子の死後、蘇我馬子は政治の実権を独占し始めます。そして蘇我馬子の子孫「蘇我入鹿」が聖徳太子の子孫「山背大兄王」と太子の一族を滅亡させます。
正直昔のことなので何が本当なのかということはわかりませんが、蘇我馬子と聖徳太子がただの仲間ではなく、微妙なバランスの上にある関係だったということなのかなと思います。
話は戻りますが、斑鳩の地に新しい宮室をつくった聖徳太子はその近くに法隆寺をつくります。亡き父である用明天皇のために法隆寺は建立されました。
法隆寺は世界最古の木造建築物ですが、607年に完成した後、670年には一度全焼しています。925年には講堂と鐘楼が焼失、1435年には南大門が焼失。
そして1949年には修理中に壁画が焼損します。
このことがきっかけになり、選ばれた文化財の保護経費に税金を投入することができる文化財保護法が制定されます。
文化財保護法ってよく聞くけれどこの事故がきっかけだったんですね。壁画が焼損してしまったことはよほど衝撃的事件だったのであろうと推測します。
〇飛鳥時代の日本美術
(Tokyo Bijutsu Gakko - Tokyo Bijutsu Gakko(Tokyo Fine Arts School and Tokyo Music School) ed., HORYUJI OKAGAMI (64 VOLUMES) [The Great Art of the Horyuji Temple Volme 49th, 1917], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8688047による)
銅造釈迦三尊像(金堂)↑
飛鳥時代は聖徳太子が仏教を利用して国家を安定させようと活動したため、仏教をわかりやすく伝える仏像や絵画がつくられました。
遣唐使が日本に伝えた先端技術の中には経典だけではなく、絵画の技術も含まれていたそうです。法隆寺金堂壁画からは、唐で流行したインド風の仏教絵画の影響が確認できます。
上の茶色い方はアジャンタ石窟寺院の壁画
下は法隆寺の壁画
顔の趣似てませんか?
岡倉天心が類似点があると指摘していました。
初唐様式と呼ばれた絵画の当時最新テク
★鉄線描(てっせんびょう)…強靭な描線
★隈取り(くまどり)…立体感を表現するために、引いた線の片側に凹凸に見えるようなグラデーションを施すもの。
(BENRIDO - BENRIDO, Wall Paintings of the Horyuji Monastery,1951, KYOTO, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10122823による)
飛天図(内陣小壁20面のうち14号)
(Anonymous Asuka period artists - Wall paintings of Horyuji, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20932590による)
10号壁薬師浄土図
時系列で美術品を学んでいくと日本史の勉強にもなりそうです。
美術関係書の中には、時代ごとの有名(と現代で認識される)作品が並べられ、時代背景と全く関係なく「表現の歴史」というものがある感覚になるものもあります。
でも実際は個々の作家が自分の表現を追求した結果であるし、それよりもどんな作品が制作されるのかというのは、そのときの政治やお金の流れ(パトロン)に影響される場合が大きいので、表現だけではなく作品制作時の時代背景を深堀りした方が作品を解釈できる部分が多いのでは?と考えるようになりました。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考
マンガでわかる「日本絵画」の見かた 誠文堂新光社 矢島新監修