リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー蝶の舞いー

今日も生きてます。

 

昨日ふらりと本屋さんに寄り、ぱらぱら芸術新潮をみていました。

 

次の二月から東京都美術館で行われる奇想の絵画展ー江戸絵画ミラクルワールドーで狩野山雪の絵が展示されるようです。

 

うねうねっとした梅の木を見ることができます!うれしいなー。楽しみだ~。

 

今興味を持っている作品をその時に見られるのが一番ですよね。

 

それと甲斐庄 楠音の花魁の絵もみられるのかな?あとで確認します。

 

浦和の展覧会の後の楽しみが増えました。

浦和の搬入前に盆栽美術館いこうかなー。

 

浦和の展示↓

 

金銀箔展輝くマテリアルの世界 

会場  伊勢丹浦和店 美術画廊

会期  2019年2月6日ー2月12日

最終日は17時終了

全日在廊予定


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さて、今日は狩野派の最終回です。

今までをずらり

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史① - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史②ービジネスマン元信ー - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー天才永徳登場ー - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー政局の孝信ー - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー余白の探幽ー - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ーB面を生きる山楽・山雪①ー - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ーB面を生きる山楽・山雪②ー - リアル絵描き日記

 

長かったですね。

400年の歴史ですからねー。

 

狩野派系図をを見ましょう。


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幻冬舎からの出版されている「ゼロから始める日本絵画入門」安河内眞美さん著の図を借用しています。

 

狩野孝信には三人の息子がいました。

 

江戸で活躍した探幽と、

別居した長男探幽に代わり孝信の後を引き継いだ尚信、

狩野派本家の当主になった安信。

(探幽に絵が下手だといじめられていたらしい)

 

並べてもあまりよくわからないですね。

 

とにかく今日は本家当主になった安信の弟子であった英一蝶についてみていきましょう。

 

英一蝶(1652-1724)えいいっちょうではなく、はなぶさ いっちょうと読みます。

 

生まれた頃からこの名前ではなく、人生のなかで名前は変わっていき、最終的に英一蝶と名乗るようになります。

 

今回は最初から英一蝶と呼んでいきましょう。

 

英一蝶は京とにお医者様の子供として生まれます。

 

親の仕事の関係で江戸に移り、藩主の命令で狩野安信の弟子になります。

そしてすぐ破門になります。

 

理由は定かではありません。

 

その後、絵を学んだり、俳諧を詠んだり…。

 

風俗画も描いていましたが、吉原が好きで客として通いながら幇間(たいこもちのこと)として仕事をしていました。

 

そうしていくうちに芭蕉とその周辺の人間と仲良くなり、江戸の豪商、旗本、大名たちとも交遊を重ねていきます。

 

話芸がすばらしく、有名人であったそうです。

というか太鼓持ちって職業なんですね。

調べてみますと今も幇間(ほうかん)として活躍されているかたがいるそうです。

 

しかし決定的な証拠はわからないのですが、ふるまいに何か目に余るものがあったのか、英一蝶は1693年一度逮捕され、二ヶ月後釈放されます。そして5年後には再び逮捕され三宅島に流されてしまいました。

 

将軍の側室を風刺したとか、将軍家の血筋に遊女を身受けさせたとか…理由は諸説あります。

 

そして11年間三宅島で過ごします。

 

島流しの間、家を借りて雑貨屋を営みながら描いた絵を弟子に江戸で売らせていたそうです。

 

1709年に将軍の綱吉が死に、大赦を受けて江戸に帰還します。

 

英一蝶、58歳でした。

 

帰還する船のなかで一匹の蝶を見つけてそれから一蝶と名乗るようになったそうです。英は母親の姓花房から来ています。

 

73歳江戸でなくなります。

 


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雷神


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群盲撫象図


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十二天像火天図

 


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布晒舞図

 

 

江戸の人々に愛された画家であったんだろうな。権力とガッチリ結び付いていたいままでの狩野派とは少し違います。

 

こういう風俗を描いた絵は当時のことを知ることができて楽しくてすきです。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ーB面を生きる山楽・山雪②ー

 

今日も生きてます。

 

埼玉県岩槻市は人形の町で、節句人形の全国シェアは40%をこえます。

人形屋さんはいくつかありますが、東玉というお店が節句人形小さい博物館をつくっています。

古くからの節句人形がたくさん並んでいましたが、300年も前の雛人形を見たときは驚きました。

親御さんが娘のことを思って送った品がこうして300年という時を越えて展示されているのはすごいことですよね。

 

その雛人形からイメージを膨らませて描きました。


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浦和で展示します。

金銀箔展輝くマテリアルの世界 

会場  伊勢丹浦和店 美術画廊

会期  2019年2月6日ー2月12日

最終日は17時終了

全日在廊予定


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さて、狩野派の歴史を見てきましたね。

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史① - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史②ービジネスマン元信ー - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー天才永徳登場ー - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー政局の孝信ー - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー余白の探幽ー - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ーB面を生きる山楽・山雪①ー - リアル絵描き日記

 

これだけでもうだいぶ狩野派通だと思います。


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幻冬舎からの出版されている「ゼロから始める日本絵画入門」安河内眞美さん著の図を借用しています。

 

今日は山雪です。

 

狩野山雪(1590-1651)は、九州に生まれます。

 

3歳の時に大阪に移り住み、10代の時に父親がなくなります。

 

叔父が山雪の画才を知り、山楽に弟子入りさせます。

 

そして山楽の娘と結婚します。

 

山楽には長男がいましたが、早くに亡くなってしまい、山雪が山楽のあとを引き継ぎます。

 

山楽の次男・伊織の借金トラブルに巻き込まれなぜか牢屋へ。

その後事実が確認され釈放となります。

そして62歳で亡くなりました。

 


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「老梅図襖」1647

166.7×116 

臨済宗大本山妙心寺の天祥院の襖絵として描かれました。

永徳や山楽とは全く違う個性を山雪が持っていたことを感じさせる作品です。

うねうねの幹の迫力や、枝の先でかわいく咲く梅の花など、みごたえがあります。

 

みたい!と思いましたが、これはメトロポリタン美術館が所蔵しています。傑作が海外流出していて悲しいです。

 

 


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長根歌絵巻

 


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寒山拾得

 

これはおそらく中国の画家顔輝の絵のオマージュかな。

 

ちなみに顔輝の作品は↓


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顔輝 寒山


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顔輝 拾得図

 

ちなみちなみにこの顔輝に触発された岸田劉生の麗子像があります。

 


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清水寺の絵馬

 


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今は奈良県の吉水神社にある「群鶴」

 


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雪汀水禽図屏風

154×358 六曲一双

 

山雪が40-50歳頃の作品。

 

千鳥、カモメや、カワセミセキレイなど、自然と共に描かれています。

九条幸家の発注ではないかといわれています。

 

 

山雪は日本初となる日本絵画史を書いた人でもあります。本としてまとめたのは山雪の息子ですが、「本朝画史」を残しました。

 

江戸にいった探幽たちの活躍を耳にしていたのか、その「本朝画史」の中では師の山楽からの京狩野が、狩野派の本流と書いてあるそうです。

 

 

幻冬舎のゼロから始める日本絵画史入門のなかで、華やかなタイトル曲のあるA面が江戸狩野なら、B面を生きたのが京狩野であるといった内容が記されていて面白かったです。

 

 

 

狩野派もあと何回かで終了です。

お付き合いありがとうございます。

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

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日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ーB面を生きる山楽・山雪①ー

今日も生きてます。

 

昨日も寝る前の記憶が曖昧です。

 

いつも「ちょっと仮眠しょうな…」とふらふら布団に入ると「あ、5時だ」と朝になっています。

 

体感的には目を閉じてから開けるまで1秒ぐらいしか時間が経ってません。あっという間の5、6時間です。

 

何度も仮眠失敗してるのに何で毎日やってしまうのでしょうか笑

睡魔に弱いです。

 

仮眠(つもり)の前には金箔をはったり、額を確認したり作業をしてます。

 

夜は睡魔と戦いつつ展覧会の準備してます。

浦和の展示がもうすぐです。

 

金銀箔展輝くマテリアルの世界 

会場  伊勢丹浦和店 美術画廊

会期  2019年2月6日ー2月12日

最終日は17時終了

全日在廊予定


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さて、今日も狩野派の歴史を見ていきます。

前回までのおさらいは↓こちら。 

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史① - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史②ービジネスマン元信ー - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー天才永徳登場ー - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー政局の孝信ー - リアル絵描き日記

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー余白の探幽ー - リアル絵描き日記

 

狩野派系図を見ましょう。


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上の画像は幻冬舎から出版されている「知識ゼロからの日本絵画入門」安河内眞美さん著から借りた図です。

 

昨日は探幽について書きました。

永徳の死後、狩野派の中心となった孝信(永徳の三男坊)は、権力が不安定な世の中を乗りきるため

 

朝廷の京都

豊臣秀吉の大阪

徳川家康の江戸

 

にそれぞれ狩野派の絵師を派遣します。

 

今日は大阪に派遣された山楽についてみていきましょう。

 



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↑は木村香雪が描いた狩野山楽像。

格好のせいかお坊さんみたいです。

 

 

狩野山楽(1559-1635)は狩野永徳の血筋ではありません。山楽のおとんは浅井長政の家臣木村永光でした。

 

 

織田信長に浅井家が滅ぼされると、豊臣秀吉に仕えるようになります。

 

木村永光は教養のひとつとして狩野元信に絵を習っていたことがあったそうです。その事も関係して山楽も絵の教養がありました。

 

そして豊臣秀吉の命令で山楽は狩野永徳の養子になり、狩野派の絵師として働きます。

 

永徳が天井画の制作中に病で倒れたときには山楽にバトンタッチされました。

 

大阪城が落城すると、豊臣の仲間として嫌疑をかけられましたが、なんとか乗りきります。

 

徳川家康駿府で生活している頃に謁見しています。そして徳川家からの制作の注文も受けるようになりました。

 

江戸に移った探幽を「江戸狩野」と呼ばれるのに対し、京都側に残った山楽を「京狩野」といわれます。

 


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龍虎図屏風 

17世紀初頭 177.5×356.5 六曲一双

双とか曲とかなんやねんというかたはこちら↓

屏風のつくり-双とか隻とかよくわからんですよね- - リアル絵描き日記

 

すぐ永徳風とわかる作品。力強くて武家好み。

山楽が40-50代頃の作品です。

 

絵のテーマは老梅が龍に変化するという故事から来ていると推測されるそうです。

 


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牡丹図襖

 

大覚寺宸殿の襖絵として制作されました。

 

 

江戸にいった探幽とはちがい、永徳の力強さを受け継いでいます。

永徳の力強さを受け継ぎながらも優美な絵を描きました。

 

豊臣には元浅井家の家臣が多かったようで、その事もあって浅井家出身の山楽は豊臣から重く用いられました。

 

 

 

やはり繋がりがあったから重用されたのですね。繋がりがあると注文をもらえますが、その権力者が傾いたときが大変ですね。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー余白の探幽ー

今日も生きてます。

 

昨日はお世話になったアートマネジメントの先生と作家たちとお食事でした。

 

皆いろいろやり方で仕事をしていてなかなか刺激的です。

 

美術系の仲間と集まっても意外に美術談義「芸術とは…!」とかはしません。

美大の友人たちともあまりそういう話しはしなかったな。

 

優しそうな人でも臆病そうな人でも、ものを作る人はその人なりのゆずれない美意識と価値観を持っています。

 

本気でそんな話をしたら流血沙汰の喧嘩になること請け合いです。

 

 

ちなみにそんなことを作品にしていた人がいました。

現代作家の田中功起さんという人で、この人は映像作品を多く作っている作家さんです。

 

五人のピアニストがどうやって一台のピアノを弾くか…

 

9人の美容師が一人の髪を切ったら…

 

など、プロセスを映像に納めてます。

 

プロがひとつのものを作るとどうなるのか…ぶつかり合うのか、協調するのか、人間社会について考えさせられる作品です。

 

 

話が横道にそれましたが、今日も狩野派の歴史について見ていきます。

 

前のブログ↓

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史① - リアル絵描き日記

 

 

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史②ービジネスマン元信ー - リアル絵描き日記

 

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー天才永徳登場ー - リアル絵描き日記

 

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー政局の孝信ー - リアル絵描き日記

 

 

とりあえず系図を見ます。


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上の画像は幻冬舎から出版されている「知識ゼロからの日本絵画入門」安河内眞美さん著から借りた図です。

 

昨日は孝信について触れましたが、今日はその息子探幽です。


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↑は狩野探幽の門下の一人、桃田柳栄が描いた探幽像です。あだ名はももたん。

 

狩野探幽(1602-1674)は、孝信が31歳頃の時の子供です。

 

孝信は昨日のブログにも書いたとおり、権力がどこに移るかわからない時代に、

 

朝廷の京都

豊臣秀吉の大阪

徳川家康の江戸

 

それぞれに絵師を派遣するということをします。

 

狩野探幽は江戸に派遣されました。

1612年、探幽10歳の時に徳川家康に謁見します。15歳には江戸幕府の御用絵師になりました。

 

1621年には江戸城鍛治橋門外にお屋敷をゲットし江戸に移ります。

 

そして1623年には狩野家の本家を弟の安信に譲ります。

 

永徳直径の孫光信が早くに亡くなってしまったからです。

江戸で探幽は自分で鍛治橋狩野派を起こします。

 

そしていろいろな作品を制作し、73歳でなくなりました。

 

 

 


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雪中梅竹遊禽図襖

1634年191.13×135.7㎝

 

探幽は最初は永徳のような豪華な絵を描いてましたが、だんだんその作風は上品なものに変わっていきました。

太平の世になったからという解説もできますが、個人的には永徳の顧客は織田信長、探幽は徳川家。この二人が同じ好みであるわけないので、顧客の趣味の違いじゃないかしらとも思います。

 

上の作品は名古屋城徳川家光が上洛の途中に立ち寄った迎賓の部屋のために制作されました。

 


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四季松図屏風

156.5×367㎝ 六曲一双 1641-1646年頃

曲とか双とかなんやねんというかたはこちら↓

屏風のつくり-双とか隻とかよくわからんですよね- - リアル絵描き日記

 

 

 

4本の多様な松が描かれています。

これはひとつのモチーフで四季を表現するという大和絵の手法を取り入れています。

探幽40代前半の傑作です。

 

余白の探幽といわれた彼は(呼んだのは私だけかもしれん)、余白を十分に取り入れ、枠内に品格よく収まった絵を描きました。

 



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鳳凰図屏風

17世紀中頃 158.2×377.6 六曲一双

 

六代将軍の徳川家綱の婚礼のために制作したものという説が有力。

縁起物のひとつとして描かれた鳳凰がモチーフになっています。

鳳凰を描くときは桐も対の画題として描かれます。

 

 


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徳川家康像 大阪城天守閣

 

耳たぶが大きい人だったんですね。(ふふふ)

家康の顔がはっきりとわかる肖像画です。

 


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波濤群燕図(はとうぐんえんず)

17世紀

151.7×27㎝

 

墨で波の上を飛ぶ燕のようすが描かれています。

360度どこからみても、どこの燕のポーズでも、墨だけで証言してしまうのはすごい力量です。

燕は巣をつくると家が繁栄する、幸せを運んでくるなど、鳥の中でも尊ばれ、意地悪するとよくないことが起きると信じられていたそうです。

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー政局の孝信ー

今日も生きてます。

 

上野でムンク展を見に行ったときに、ムンクの絵のなかで何度も同じ月の表現がありました。

 

部分です。


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海の上に浮かぶ月と、その姿を映す海。

ノルウェーってこんな風景が見られるのかなあ。と思いながら鑑賞していました。

あまり何度も同じ表現が出てきたので実際のノルウェーの月を見てみたくなりした。

そしてこのように月を表現することをとろろ月技法と心の中で呼んでいます。

 

 

 

さて、狩野派の歴史について見ていきます。

 

 

その前に系譜を見ておきます。



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上の画像は幻冬舎から出版されている「知識ゼロからの日本絵画入門」安河内眞美さん著から借りた図です。

 

 

今日は狩野孝信(1571-1618)について見ていきます。


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後陽成院

 

狩野孝信は永徳の次男です。

長男は光信です。

永徳がなくなったあと、光信の補佐をしていました。

1608年光信が亡くなった後は光信の息子貞信を狩野派の当主におきながらも実質的に中心にいました。

 

系譜の図を見ていると分かりやすいですが、永徳以降、本家直結の血筋を持つものは皆名前に信がついてますね。

 

それまでの狩野派の顧客は武士が多かったのですが孝信は朝廷にもてを伸ばし、後援を受けるようになり、禁裏(天皇)御用絵師になります。

 

つまりあれですね。

国家公務員絵師ですね。

一定の給与をもらいながら制作をしたということです。

 

 

孝信の生きた時代は政権が豊臣から徳川へ変わる不安定な時代でした。

 

誰が権力を握るかというのは絵師として死活の問題です。

 

 

そこで孝信は

 

朝廷のある京都は自分(孝信)。

大阪には豊臣秀吉と縁の深い狩野山楽など。

江戸には息子の探幽と兄の息子貞信を売り込みます。

 

 

どこに権力が移っても狩野派が生き残れるようにしました。

この人たぶん政治家としてもうまくやっていけるんじゃないかな…。

 

 

そして1618年48歳でなくなります。

 

 

 

孝信の人生いや、永徳もそうですが、を見てると絵師として生き残るのがいかに大変な時代であったかわかります。

400年狩野派が続いたのは技術だけではなかったんだなと学びますね。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー天才永徳登場ー

 

 

今日も生きてます。

 

アボカドを買ってきてから3日。

 

食べ頃がわからず窓際に放置したままです。

さわると固い感じもする…。

いや、でも中は柔らかいのか…?

 

食べたいときに買ったので私の中のアボカド欲はもうないよ。

日が経つほど心からアボカドから離れていくよ。

 

しあさってぐらいに食べようかな。

でも中開けてひどいことになってたら嫌ですな。

 

さて、世界で三番目ぐらいにどうでもいい明石のアボカドはおいておいて、今日も狩野派の歴史を見ていきます。

 

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史① - リアル絵描き日記

http://akashiaya.hatenadiary.jp/entry/2019/01/20/101104

 

今日は狩野派の転載狩野永徳について見ていきます。

昨日の狩野派の系譜で確認しましょう。



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上の画像は幻冬舎から出版されている「知識ゼロからの日本絵画入門」安河内眞美さん著から借りた図です。

 

永徳の前に元信のおとん(松栄)についてふれておきましょう。

 


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↑は松栄の描いた益田元祥像

 

狩野松栄(かのうしょうえい)1519-1592は狩野派の二代目ビジネスマン元信の三男坊です。

 

上の兄二人は若くしてなくなったため松栄が狩野家を継ぎました。

 

元信や子の永徳のように派手な才能はありませんでしたが、堅実に狩野派の組織を守ります。

 

永徳の才能を認めるとそのサポートに徹していたのかもしれません。松栄のお陰で永徳の才能をのびのびと仕事できたのでしょう。

 

 

そして1543年狩野永徳は生まれます。

松栄が24.25歳頃の子供なのかな。

 

永徳は10歳のころ祖父の元信につれられて足利義輝に拝謁したことが記録されています。

 

ちなみに元信は松栄と証如(戦国時代の浄土真宗の僧)も引き合わせており、顧客や権力者と息子や孫を面会させて、自分の死後狩野派が注文をずっと取れるように計らっていたのだと思います。(個人的見解です。)

頭が回る人だったんだなあ。

 

 

そして権力者からの注文を次々とこなします。

(あとで見ていきます。)

 

また勢力を伸ばす長谷川一門の障壁画の制作依頼を阻止するため、依頼者や権力者に酒樽や絵扇を送っていたという逸話もあるそうです。おとんやおじいの入れ知恵かもしれません。

 

そして、天正18年(1590年)9月、永徳は東福寺法堂の天井画の龍図を制作中に病気になり亡くなります。

過労死だとも言われています。次の年に父である松栄も亡くなります。

 

 

(ちなみに永徳が若くしてなくなったので、その混乱の最中長谷川派が勢力を伸ばします。

長谷川等伯の人生ー前半ー - リアル絵描き日記

http://akashiaya.hatenadiary.jp/entry/2019/01/16/081127

)

 

 

ではその作品群を見ていきましょう。


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梅花禽鳥図(四季花鳥図襖)

1566年

足利義晴に仕えた戦国武将を弔うために創建された大徳寺塔頭・聚光院の障壁画のひとつとして制作されました。

おとんの松栄と一緒に描いたもの。国宝です。

 

 


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洛中洛外図屏風

六曲一双 16世紀

(曲とか隻とかなんやねんというかたはこちらをご覧ください。

屏風のつくり-双とか隻とかよくわからんですよね- - リアル絵描き日記)

永徳23歳の頃の作品。

信長から上杉謙信に贈ったものとして有名です。

全体で登場する人物は2485人に及び、あらゆる階層が随所に表現されています。

 

洛中洛外図というのは京都の市街(洛中)郊外(洛外)の警官と風俗を描いた屏風です。ひとつのジャンルのようなもので、永徳の作品以外にもこのテーマで描かれた作品がたくさんあります。

 

 

 


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唐獅子図屏風

六曲一隻、16世紀後半

永徳の代表作ではないでしょうか?

日本にはいない動物・ライオンを描いた作品です。

サイズは222センチ×452センチととても大きいです。

見たことない動物をこんなに堂々と描けるのはすごいですよね。

画面右下の狩野永徳法印筆という文字は孫の探幽が後年加筆したものです。

 

 


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桧図屏風

170×461㎝  四曲一双 1590年頃

 

豊臣秀吉八条宮智仁親王(皇族・歌人)のために建設した八条宮家御殿の襖絵として制作されました。後に屏風へと改装されます。

派手好きな秀吉が好きそうな力強い構図とタッチです。

 



 

一門の長として真面目につとめを果たした永徳ですが、晩年になると自分をさらけ出したのか奇々怪々な絵を描き、ファミリーから疎まれていたとか。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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展示があります!

 

金銀箔展

輝くマテリアルの世界 

会場  伊勢丹浦和店 美術画廊

会期  2019年2月6日ー2月12日

最終日は17時終了

全日在廊予定


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日本人なら知っておきたい狩野派の歴史②ービジネスマン元信ー

今日も生きてます。

 

金箔はなかなか扱いが難しいです。

思っていたようになかなかうまくいかず…これは自分なりに工夫するしかないなー。

 

↓は金箔で使う道具たち。


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この展覧会のために揃えました。

 

 

箸みたいなものは金箔をはさめて持つためのもの。

筒は下に網目がついており、なかに金箔をいれて専用の筆でこすると粉になります。

ベビーパウダーは金箔を扱うときに手につけ、金箔がてにつかないようにするものです。

 

 

 

 

 

そして金箔の作品は2月の展示に出品します。

金銀箔展

輝くマテリアルの世界 

会場  伊勢丹浦和店 美術画廊

会期  2019年2月6日ー2月12日

最終日は17時終了

全日在廊予定


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さて、狩野派の歴史について見ていきたいと思います。

 

第一回は狩野派の祖正信についてかきました

日本人なら知っておきたい狩野派の歴史① - リアル絵描き日記

 

 


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上の画像は幻冬舎から出版されている「知識ゼロからの日本絵画入門」安河内眞美さん著から借りた図です。

 

狩野派の系譜です。

 

狩野派は血筋で後継者が決まっていったそうです。歌舞伎みたいなものでしょうか。

 

今日は二代目元信について見ていきます。


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白衣観音図(狩野元信・画、ボストン美術館所蔵)

 

狩野元信(1476-1559)は正信(おとん)が42歳の時の息子でした。おとんの正信は98まで生きてますからね。おとんすごい。

 

元信がしたことは狩野派の組織の元を作った点です。

 


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細川澄元像1507

 

 

⚪工房の組織化

大量の注文をこなすためには、たくさんの人を雇い、技術を教育する必要がありました。

 

そこで工房では描きかたを三種類にわけ、弟子たちが注文によって描きわけできるようにしました。

 

①真体

公式な接客間のため

綿密な構図と描線

馬遠と夏珪風に(中国の絵師)

 

②行体

日常の私的空間

①と③の中間

牧谿風に

 

③草体

日常の私的な

もっとも崩した描写の

玉澗風に

 

 

 

 

 

 

⚪書院造りと権力者の嗜好に合わせた画風

当時足利義政銀閣寺など、書院造を取り入れた建物をつくりました。

そこに合わせて障壁画をつくります。

今までの中国風の水墨画に、大和絵のような金を使った豪華な絵づくりを合体させます。

 

今まで大和絵絵師の仕事であった絵巻物や障壁画のの制作までてを広げていきます。

 

 

 

 

⚪扇の専売特許

当時贈り物として扇は身近なもの。

元信はその制作販売を独占しました。権力者と繋がりがあった元信の立場だからこそ出来たこと。

他の人間が扇の販売をしていることを訴えた記録も残っているそうです。

 

 


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大仙院方丈障壁画『四季花鳥図』


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大仙院方丈障壁画『四季花鳥図』

 


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神馬図額(賀茂神社

絵馬?のような作品も残してますね。

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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