日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ーB面を生きる山楽・山雪①ー
今日も生きてます。
昨日も寝る前の記憶が曖昧です。
いつも「ちょっと仮眠しょうな…」とふらふら布団に入ると「あ、5時だ」と朝になっています。
体感的には目を閉じてから開けるまで1秒ぐらいしか時間が経ってません。あっという間の5、6時間です。
何度も仮眠失敗してるのに何で毎日やってしまうのでしょうか笑
睡魔に弱いです。
仮眠(つもり)の前には金箔をはったり、額を確認したり作業をしてます。
夜は睡魔と戦いつつ展覧会の準備してます。
浦和の展示がもうすぐです。
金銀箔展輝くマテリアルの世界
会場 伊勢丹浦和店 美術画廊
会期 2019年2月6日ー2月12日
最終日は17時終了
全日在廊予定
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というかたは私のホームページのコンタクトからDM希望ということと、住所と名前をメールで送ってください。
一週間以内に発送します。
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さて、今日も狩野派の歴史を見ていきます。
前回までのおさらいは↓こちら。
日本人なら知っておきたい狩野派の歴史① - リアル絵描き日記
日本人なら知っておきたい狩野派の歴史②ービジネスマン元信ー - リアル絵描き日記
日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー天才永徳登場ー - リアル絵描き日記
日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー政局の孝信ー - リアル絵描き日記
日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー余白の探幽ー - リアル絵描き日記
上の画像は幻冬舎から出版されている「知識ゼロからの日本絵画入門」安河内眞美さん著から借りた図です。
昨日は探幽について書きました。
永徳の死後、狩野派の中心となった孝信(永徳の三男坊)は、権力が不安定な世の中を乗りきるため
朝廷の京都
豊臣秀吉の大阪
徳川家康の江戸
にそれぞれ狩野派の絵師を派遣します。
今日は大阪に派遣された山楽についてみていきましょう。
↑は木村香雪が描いた狩野山楽像。
格好のせいかお坊さんみたいです。
狩野山楽(1559-1635)は狩野永徳の血筋ではありません。山楽のおとんは浅井長政の家臣木村永光でした。
織田信長に浅井家が滅ぼされると、豊臣秀吉に仕えるようになります。
木村永光は教養のひとつとして狩野元信に絵を習っていたことがあったそうです。その事も関係して山楽も絵の教養がありました。
そして豊臣秀吉の命令で山楽は狩野永徳の養子になり、狩野派の絵師として働きます。
永徳が天井画の制作中に病で倒れたときには山楽にバトンタッチされました。
大阪城が落城すると、豊臣の仲間として嫌疑をかけられましたが、なんとか乗りきります。
徳川家康が駿府で生活している頃に謁見しています。そして徳川家からの制作の注文も受けるようになりました。
江戸に移った探幽を「江戸狩野」と呼ばれるのに対し、京都側に残った山楽を「京狩野」といわれます。
龍虎図屏風
17世紀初頭 177.5×356.5 六曲一双
双とか曲とかなんやねんというかたはこちら↓
屏風のつくり-双とか隻とかよくわからんですよね- - リアル絵描き日記
すぐ永徳風とわかる作品。力強くて武家好み。
山楽が40-50代頃の作品です。
絵のテーマは老梅が龍に変化するという故事から来ていると推測されるそうです。
牡丹図襖
大覚寺宸殿の襖絵として制作されました。
江戸にいった探幽とはちがい、永徳の力強さを受け継いでいます。
永徳の力強さを受け継ぎながらも優美な絵を描きました。
豊臣には元浅井家の家臣が多かったようで、その事もあって浅井家出身の山楽は豊臣から重く用いられました。
やはり繋がりがあったから重用されたのですね。繋がりがあると注文をもらえますが、その権力者が傾いたときが大変ですね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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