リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

柿本人麻呂ーいつの間にかいろんな神様に…ー

今日も生きてます。

 

今朝前髪を切りました。

ぱっつんです。

 

そういえばなぜ前髪が直線のものをぱっつんって呼ぶのでしょうか?

英語?とかではないですよね。

 

謎だ。

謎のヘアスタイルだ。

 

わかる方がいたら一報お願いいたします。

 

謎の前髪で今日も「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(監修矢嶋新)を読んでます。

 

 

 

今日の画題はこの方です。


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↑の作品は狩野探幽の「三十六歌仙額」の柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ)です。

 

三十六歌仙とは、平安時代の和歌の名人36人のこと。

 

藤原公任著の、『三十六人撰』に載っている36人が元となっています。

 

描かれたおじさまが柿本人麻呂

 

百人一首万葉集にも和歌が選ばれています。

 

 

 

 

柿本人麻呂ってどんなヒト?


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百人一首柿本人麻呂

 

柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ)は、660年頃 - 724年頃生きていた飛鳥時代歌人です。

 

歌はたくさん残っていますが、その生涯は謎に包まれている部分が多く、とりあえず官職に就いていたのでは?と言われています。

 

ちなみに万葉集ではといわれ、長歌19首・短歌75首が掲載されています。

 

素晴らしい和歌をたくさん残していたのですね。

 

 

 

 

そして詩世界の神に…

 

人麻呂さんを画題とした作品が残っています。


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↑は13世紀の「柿本人麻呂像」

 


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こちらも「柿本人麻呂像」。

 

平安時代には詩聖と呼ばれ、鎌倉時代には和歌の上達にご利益のある神様として信仰されるようにまでなっていた人麻呂さん。

 

平安時代歌人、藤原 兼房 (ふじわら の かねふさ)はそんな柿本人麻呂をとても尊敬していました。

 

尊敬のあまり人麻呂さんのことを夢に見ます

 

その見た夢を絵に描かせ、秘蔵した絵を毎日拝むようになります!

 

そのご利益があったのか、藤原 兼房の和歌の腕前は上達し、『後拾遺和歌集』7首、勅撰和歌集に15首が選ばれています。

 

 

その秘蔵した絵が模写され、そしてこの逸話も広がり、江戸時代には歌人俳人の間で「人麻呂影供」(ひとまろえいぐ)が浸透しました。

 

 


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歌川国芳の「百人一首之内 柿本人丸」

 

 

「人麻呂影供」(ひとまろえいぐ)は、柿本人麻呂を祀る儀式です。

 

歌人たちは人麻呂の肖像を掲げ、和歌を献じました。

 

 

 

和歌の神となったその後、まさかの発展

 

こうして歌人たちに愛された人麻呂さん。

庶民の間にも信仰されるようになります。

 

「人丸」と呼ばれることも多くなり、その響きから「火止まる」や、「人産まる」が連想され、火除けや安産の神様にも発展しました。

 

まさか死んでからこんなに働かされることになるとは思いもよらなかったでしょうね。

(しかも全く畑違い)

 


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↑は白隠「人丸図」。

 

人麻呂の代表歌の文字が顔や体にちりばめられています。

向かって左上には人麻呂を火除けの神様とすることにちなんだ歌が書かれています。

 


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歌川広重「和歌三神」より

 

向かって右側が人麿です。

 

 

生前から素晴らしい和歌をつくっていた人麻呂さんですが、亡くなった後の盛り上がりが面白いですね。

 

現代では和歌は授業では接しますがメジャーな存在ではなくなってますね。

 

繁忙期が過ぎて、神様としての人麻呂さんはさみしがっているかもしれませんね。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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奥が深いぞ!聖徳太子!



今日も生きてます。

 

早朝にコーヒーを摂取するのが習慣になりつつあります。

 

ということで、今日も「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(監修矢嶋新)を読んでます。

 

 


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↑「唐本御影」聖徳太子が描かれた肖像画

 

教科書によく出てくる(ハズ)聖徳太子の絵です。

 

 

日本に仏教を広めた聖徳太子は亡くなった後、崇拝の対象となりました。

 

そのため像や絵に表現されたものが残されています。

 

 

 


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↑も聖徳太子を描いたもの。

聖徳太子孝養像」14世紀

 

聖徳太子の少し若い頃です。

 

 


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↑は飛鳥寺にある聖徳太子立像。

 

こちらも少し若い聖徳太子

 

どちらも袈裟を纏い香炉を掲げています。

 

これは聖徳太子の父親である用明天皇の病気が治るように祈願している様子です。

 

このような姿は典型的な聖徳太子像として明治時代まで数多く表現されました。

 

 

 


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↑も聖徳太子

聖徳太子勝鬘経講讃図(しょうとくたいししょうまんぎょうこうさんず)」、13世紀。

 

先程の聖徳太子とは違い、真ん中の大きい人がその人。

 

どんな場面が描かれているかと言うと、推古天皇に頼まれて勝鬘経(しょうまんぎょう)を大兄皇子や蘇我馬子などに講義している様子です。

 

なんだか聖徳太子のサイズが大きいような気がしなくもない…。

 

勝鬘経というのは大乗仏教の経典のひとつです。

 

 

 

このような絵の画題は何を元にしていたのかと言うと、平安時代に編纂された「上宮聖徳太子伝補闕記(じょうぐうしょうとくたいしでんほけつき)」という聖徳太子の伝記から有名なエピソードが選ばれました。

 

私は使用したことはありませんがお札や切手にもなりました。


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個人的に面白いなあと思うのは、聖徳太子が描かれたものの中に、香炉や笏ではなく、指金(さしがね)を持っている聖徳太子があることです。

 


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指金↑

 

普通の人は使う機会があるか微妙ですが、木の板とかのサイズを図るときに使うもの。(直角の印が簡単に引ける)

私は高校が木材工芸だったので身近な道具でした。

 

聖徳太子が持つものというイメージはなかったのですが、掛け軸には指金をもっともらしく(?)持つ聖徳太子がいます。

 

なぜかというと中国から指金を日本に広めたのは聖徳太子らしいのです。日本の大工さんに色々な建築の知識を教えていたそうな。

 

そして今…

 

聖徳太子大工の神様になっています。

 

 

大工の神様はもっとマッチョなイメージだった…

 

 

 

聖徳太子が祀られていたことも知らなかったのですが、まさか大工の神様という側面まであったなんて驚きの連続です。

 

聖徳太子の伝記の中にはだいぶスピリチュアルなものも含まれているようです。

 

 

奥が深いぞ!

 

 

きょうはここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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親孝行?ーニ十四孝ー

今日も生きてます。

 

今も道徳の科目ってあるのでしょうか?


小学校の頃、道徳の時間には心があたたまる小話や、勧善懲悪の話が書かれている教科書をみんなで音読し、「どう思いましたか?」や、「登場人物の〇〇さんはどのように感じたと思いますか?」という設問に鉛筆で回答していました。

 

 

私は田舎でのびのびのんびり育ったので、あまり気にしませんでしたが、道徳の時間も評価の対象であれば率直に回答できないですね。

 

 

今も昔も本読むの好きだったので道徳の時間もつまらん話だと思いつつ好きだったなあ。

 

 

授業で良いとされるような優しかったり正しかったりする心の働きが、私の中にはないし、湧いてこないんだけど、そういう場合はどうしたらいいのか?と授業を受けて悩んでいました。

 

今はかたちから入れば良しと思って割り切っています。

 

 

ということで今日は江戸時代に寺子屋などでも教材とされた「二十四孝」(にじゅうしこう)について紹介します。

 


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歌川国芳『二十四孝童子鑑』から

 

⚫ニ十四孝とは?

 

二十四孝は、中国の郭居敬(かく きょけい)という孝行者が編纂した書物。

 

内容は、古くから中国で孝行した人の中で、特に優れた人物24人の親孝行エピソードを取り上げたものです。

 

取り上げられている人物↓

大舜,漢文帝,丁蘭,孟宗,閔子騫,曾参,王祥,老萊子,姜詩,唐夫人,楊香,董永,黄香,王裒,郭巨,朱寿昌,剡子,蔡順,廋黔婁,呉猛,張孝・張礼,田真・田広・田慶,山谷,陸績

 

 

 

日本では室町時代に伝わり、江戸時代にはお伽草子浄瑠璃の題材になります。

 

 

内容はどんなものなのか…

 

いくつか簡単に紹介します。

 

 


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楊香と虎(歌川国芳『二十四孝童子鑑』)


父親と一緒に山へ行った楊香(ようこう)のはなし。

山で虎と遭遇してしまい、今にも2人を食べようとした。

 

楊香は父が食べられないように「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」と懸命に願った。

 

それまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、ふたりともに命が助かった。

 

 

 


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王祥(歌川国芳唐土二十四孝』)


真冬に魚が食べたいと言う母のために魚をとってきた王祥(おうしょう)のはなし。

 

母のために河に来たものの、氷に覆われ魚はどこにも見えない。

悲しみのあまり、衣服を脱ぎ氷の上に伏していると、氷が少し融けて魚が2匹出て来た。

 

それを帰って母に与えた。王祥が伏した所には毎年、人が伏せた形の氷が出るという。

 

 


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孟宗(歌川国芳『二十四孝童子鑑』)


病気の母のために真冬の筍を探した筍孟宗(もうそう)のはなし。

 

真冬に筍が食べたいと言う病気の母のため、孟宗は竹林に行った。冬に筍があるはずもない。

 

孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。

 

孟宗は筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。

 

 

 


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黄庭堅(歌川国芳唐土二十四孝』)

 

実母を自分で世話をした黄庭堅(こうていけん)のはなし。

 

使用人も多く、妻もいたが、自ら母の大小便の便器を取り、汚れている時は素手で洗って母に返し、朝から夕方まで母に仕えて怠けたことはなかった。

 

 

 

昔の事柄を今現在の感覚で捉えることはナンセンスかもしれませんが、このニ十四孝のエピソード、正直道徳として勧められるようなものではないなあと感じました。

 

むしろ滑稽話か?と思うようなお話もあります。↓

 

 


老莱子(ろうらいし)のはなし。

老莱子は70歳になっても、身体に派手な着物を着て、子供の格好になって遊び、子供のように愚かな振る舞いをし、また親のために食事を運ぶ時もわざと転んで子供が泣くように泣いた。

 

これは、老莱子が70歳の年寄りになって若く美しくないところを見せると、息子もこんな歳になったのかと親が悲しむのを避け、また親自身が年寄りになったと悲しまないように、こんな振る舞いをしたのである。

 

 

もし自分が老莱子の親だったら子供にこんなことさせてしまっている自分に悲しくなります。

 

他にも、口減らしために生まれてきた子供を捨てようとする夫婦の話もあります。その子供が孝行ものということで子供を捨てるために掘った穴から金貨等が出てきて、神様ありがとう、良かった良かったって…

引きますわ…

 

ですが江戸では寺子屋の教材にもなってます。身近な存在であったのでしょう。

 

◯◯こうをパロディとした浮世絵も出回りました。


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月岡芳年「皇国二十四功 大石内蔵之助良雄」

日本古今の功をなした人を24人取り上げたシリーズもの。

 


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歌川国貞「ニ五五四好今様美人」のうち「道具好」

孝の字を好に変えただじゃれのシリーズ。

着物好、金魚好、酒好などがありました。

 

 

 

 

 

ちなみに後の時代福沢諭吉も二十四孝を批評してます。

江戸の中国ブームは熱かったんだろうなあ。

 

 

きょうはここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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水滸伝ー歌川国芳、人気絵師のきっかけー

今日も生きてます。

 

昨日は中国の三國志の画題を取り扱いました。

 

今日も中国の文学から水滸伝」(すいこでん)を紹介します。

 

昨日と同じく、名前は聞いたことあるけれども内容はしらない中国有名文学。

 

先に水滸伝について少し解説しておきます。

 

 


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歌川国芳

 

 

 

水滸伝」(すいこでん)

 

明の時代の中国で施耐庵(あるいは羅貫中)が書いた小説。

 

「滸」は「ほとり」の意味であり、『水滸伝』とは「水のほとりの物語」という意味。

 

「水のほとり」とは、作中に出てくる中心的な場所「梁山泊(りょうざんぱく)」のことです。 

 

梁山泊とは地名で、中国に昔からある沼のある地域です。

 

 

物語のあらすじ

ざっくり言うと、前半では108人のヒーローが梁山泊に集まり、後半ではそのヒーローたちが力を合わせて国のために敵と戦う話です。

 

水滸伝の序章では108人の因縁についてえがかれています。

 

竜虎山の中に、唐時代に108人の魔王を封じ込めたと伝えられていた伏魔の殿という祠がありました。

 

ある人間がそれを開けてしまいます。

 

すると黒雲がわき上がり、天罡星36柱、地煞星72柱の魔王たちが金の光となって飛び散ってしまった。

 

やがて合わせて108個の魔王は、人間に生まれ変わり、後の時代には梁山泊に結集します。

 

 

前半は基本的にその108人についてどういうわけで梁山泊に来ることになったのかということがえがかれています。

 

警察に追われてきたものや、誘拐されたものなど、それぞれ様々です。

 

後半では梁山泊の山賊たちを危険視する朝廷が、梁山泊のヒーローたちを配下に納め、梁山泊のヒーローたちが国の敵と戦います。

 

さてみんなどうなっていくのか…

 

 

 

というようなお話です。

 

 

 

 

 

このお話は江戸時代ブームになります。

 

そんな中、水滸伝に登場するヒーローたちを躍動感溢れる姿で表現した浮世絵も大ヒット。

 

歌川国芳水滸伝のシリーズで人気浮世絵作家の仲間入りしました。

 


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歌川国芳

「通俗水滸伝豪傑百八人之壹人 浪裡白跳張順」

(ろうりはくちょうちょうじゅん)

 

物語の中で水軍のトップをするほどの水泳の達人です。

敵が籠城する城の水門を怪力で突破している様子です。すごいですね…

 

 


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歌川国芳

「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 九紋龍史進

(くもんりゅうししん)

 

9匹の龍の刺青をしているから九紋龍史進と名乗った人。

場面は争いになった山賊をこらしめているところ。

 

 


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歌川国芳

「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 花和尚魯知深初名魯達」(かおしょうろ ちしんしょめいろたつ)

 

名前の「花」は桜の刺青のこと。

絵は松の木を鉄の杖で打ち砕き、役人を威嚇しているところ。こ、こわい…

 

 


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歌川国芳

「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 浪子燕青」(ろうしえんせ)

小柄で細身の美少年設定。

相撲の試合で大関を倒した後、大関の弟子が襲いかかってきたところを棒を振り回し戦う場面です。

水滸伝のキャラはみんな刺青してるんだなあ

 

 


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歌川国芳

「通俗水滸伝豪傑百八人之一個 短冥次郎阮小吾」

(たんめいじろうげんしょうご)

 

漁師生まれの三兄弟の次男。

水中で敵をとらえようとする姿が描かれています。

 

 


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水滸伝豪傑双六」

子供もはまってたことがわかりますね。

 

 

歌川国芳水滸伝シリーズは刺青界にも革命を起こします。

それまで輪郭線が主流だったものがカラフルな絵柄になりました。

 

 

 

浮世絵はみんなに受けることを第一に作られているので普通にみていて楽しいですね。

どこに視線が移っても画面の外に誘導しないようになってて勉強になります。

 

 

きょうはここまで

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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三顧の礼

今日も生きてます。

 

日が空いてしまいました。

ですが元気もりもりです。

 

増税ですね。

10パーセントで駆け込みとかするかなあといいつつ、昨日しっかりメイク道具と日用品買ってました。

 

 

さて、今日も「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(監修矢嶋新)を読んでます。

 

 

三國志水滸伝西遊記…中国で有名な文学っていくつかありますね。

 

題名は知っていますが読んだことはない。

(画題と知ってから読もうとしましたが長編過ぎて挫折しますた。)

 

私と同じような方もいると思いますが、江戸時代では、中国ブームが起こり、江戸っこの間で三國志の登場人物たちは身近な存在でした。

 

 

ということで浮世絵の画題にもなった三國志ですが、その中でも今日は三顧の礼(さんこのれい)」を取り上げます。

 


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月岡芳年三國志図会」の中の玄徳風雪ニ孔明ヲ訪ウ

 

三國志は、魏・呉・蜀の三国が争っていた時代が舞台です。

 

物語の中に、蜀の劉備(りゅうび)が、軍師に招くため孔明のもとを三度訪れたという逸話があります。

 

 

そのことを三顧の礼と呼びます

 

 

 

 

 

口説くために向かった劉備40代。

 

口説かれた孔明20代。

 

 

 

社会的にも有名であった劉備と、

 

知る人ぞ知る存在であった孔明

 

 

 

劉備が来たときに孔明がとった行動とは…

 

一度目 留守(居留守?)

二度目 留守(居留守?)

三度目 昼寝の後にやっと会う

 

孔明、いくらなんでも無礼極めてますね。

 

しかしその後劉備に懇願された孔明は、話を引き受けます。

 

 

ここから「三顧の礼」とは、故事成語として目上の人が格下の者の許に何度も出向いてお願いをすることという意味になりました。

 

 


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明の画家戴進が描いた三顧の礼

 

 

 

話の中では劉備孔明宅を訪ねると童子が対応します。

なので「三顧の礼」をテーマにした絵の中では、劉備の前には対応をするこどもがいます。

 


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明の時代に描かれた三顧の礼の様子

 

 

 

きょうはここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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琴棋書画ー中国文人の必須教養!ー

今日も生きてます。

 

 

さて、今日も「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(監修矢嶋新)を読んでます。

 

今日の一枚↓


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↑狩野元信の「琴棋書画図屏風」てす。

 

実はこの作品、実に格調の高い画題を扱っています。

 

題名にもある琴棋書画(きんきしょが)というのは…

 

琴を弾くこと

囲碁を打つこと

書をかくこと

画を描くこと

 

を指しています。

 

なぜこの4つが格調高いかというと、中国では昔から知識人には必須のスキルとされていたものだからです。

 

特に政治家や官僚の間で特に重んじられました。

 

しかも教養でありながら、プロ並みの腕が求められました。

 

 

そこから中国では自然のなかで琴棋書画を嗜む文人を画題としたものが描かれるようになりました。

 

狩野元信の琴棋書画図屏風の中にはこの4つの教養が描き込まれています。

 


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棋(囲碁)


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そして日本では、そんな中国への憧れから高尚なテーマとして人気の画題になります。

 

江戸時代には浮世絵の美人画の中に琴棋書画を加えたものが登場します。

 


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喜多川歌麿「琴棋書画」

 

個人的にはおじ様もいいけど、やっぱり女子たちがきゃっきゃっと書や琴を楽しんでる様子は和んで好きです。

 


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喜多川歌麿

 

 


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水野敏方「琴棋書画図」

 


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歌川豊春

 

 

現代の琴棋書画は何ですかね

 

ゴルフ、英語、株、SNS…かなあ?

 

 

自分で考え付いたもののひとつも持ってないな!

 

 

きょうはここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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商山四皓

今日も生きてます。

 

姉からもらった金沢土産が美味しいです。

ありがとうございました。

 

 

 

 

さて、

中国って俗世から離れて暮らしていた偉人多いですよね。

 

今日も山の中にこもっていた賢人の話です。

 


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↑は曾我蕭白の描いた「商山四皓図屏風」(しょうざんしこうずびょうぶ)です。

 

 

商山というのは中国にある山。

「皓」という字には白いという意味があります。

 

絵のなかには四人のおじ様が描かれています。

 

四人とも髭や眉が白い老人であったため「四皓

」と呼ばれました。

 

 

 

商山の山奥には四人の賢人たちが秦始皇帝の暴政を避けて暮らしていました。

 

名前は

 

東園公(とうえんこう)

綺里季(きりき)

夏黄公(かおうこう)

甪里(ろくり)

 

 

中国の歴史書史記」には、彼らのエピソードがかかれています。

 

 

時は流れて漢の時代。

朝廷ではある問題が起こっていました。

 

漢の帝王劉邦が、正室の子供がいるにも関わらず、側室の子供に継がせようとしていたのです。

 

側近たちは大反対。

 

重臣は、この状況を打開するため、商山へ向かいます。

 

そしてどうにか説得し、賢人四人を皇太子の補佐役として宮廷に呼ぶことに成功します。

 

以前その賢人を呼ぶことに失敗していた帝王劉邦は、賢人たちが認めているならと、自分の正室の息子に次がせることを決めました。

 

跡継ぎ問題に利用された賢人たちは、商山へと再び帰っていきました。

 


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↑狩野光延
商山四皓・蘇東坡風水洞

 

 

高潔な人、世を捨てた隠者としてよく描かれました。

 

 

 

 

 

きょうはここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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