親孝行?ーニ十四孝ー
今日も生きてます。
今も道徳の科目ってあるのでしょうか?
小学校の頃、道徳の時間には心があたたまる小話や、勧善懲悪の話が書かれている教科書をみんなで音読し、「どう思いましたか?」や、「登場人物の〇〇さんはどのように感じたと思いますか?」という設問に鉛筆で回答していました。
私は田舎でのびのびのんびり育ったので、あまり気にしませんでしたが、道徳の時間も評価の対象であれば率直に回答できないですね。
今も昔も本読むの好きだったので道徳の時間もつまらん話だと思いつつ好きだったなあ。
授業で良いとされるような優しかったり正しかったりする心の働きが、私の中にはないし、湧いてこないんだけど、そういう場合はどうしたらいいのか?と授業を受けて悩んでいました。
今はかたちから入れば良しと思って割り切っています。
ということで今日は江戸時代に寺子屋などでも教材とされた「二十四孝」(にじゅうしこう)について紹介します。
⚫ニ十四孝とは?
二十四孝は、中国の郭居敬(かく きょけい)という孝行者が編纂した書物。
内容は、古くから中国で孝行した人の中で、特に優れた人物24人の親孝行エピソードを取り上げたものです。
取り上げられている人物↓
大舜,漢文帝,丁蘭,孟宗,閔子騫,曾参,王祥,老萊子,姜詩,唐夫人,楊香,董永,黄香,王裒,郭巨,朱寿昌,剡子,蔡順,廋黔婁,呉猛,張孝・張礼,田真・田広・田慶,山谷,陸績
日本では室町時代に伝わり、江戸時代にはお伽草子や浄瑠璃の題材になります。
内容はどんなものなのか…
いくつか簡単に紹介します。
父親と一緒に山へ行った楊香(ようこう)のはなし。
山で虎と遭遇してしまい、今にも2人を食べようとした。
楊香は父が食べられないように「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」と懸命に願った。
それまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、ふたりともに命が助かった。
真冬に魚が食べたいと言う母のために魚をとってきた王祥(おうしょう)のはなし。
母のために河に来たものの、氷に覆われ魚はどこにも見えない。
悲しみのあまり、衣服を脱ぎ氷の上に伏していると、氷が少し融けて魚が2匹出て来た。
それを帰って母に与えた。王祥が伏した所には毎年、人が伏せた形の氷が出るという。
病気の母のために真冬の筍を探した筍孟宗(もうそう)のはなし。
真冬に筍が食べたいと言う病気の母のため、孟宗は竹林に行った。冬に筍があるはずもない。
孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。
孟宗は筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。
実母を自分で世話をした黄庭堅(こうていけん)のはなし。
使用人も多く、妻もいたが、自ら母の大小便の便器を取り、汚れている時は素手で洗って母に返し、朝から夕方まで母に仕えて怠けたことはなかった。
昔の事柄を今現在の感覚で捉えることはナンセンスかもしれませんが、このニ十四孝のエピソード、正直道徳として勧められるようなものではないなあと感じました。
むしろ滑稽話か?と思うようなお話もあります。↓
老莱子(ろうらいし)のはなし。
老莱子は70歳になっても、身体に派手な着物を着て、子供の格好になって遊び、子供のように愚かな振る舞いをし、また親のために食事を運ぶ時もわざと転んで子供が泣くように泣いた。
これは、老莱子が70歳の年寄りになって若く美しくないところを見せると、息子もこんな歳になったのかと親が悲しむのを避け、また親自身が年寄りになったと悲しまないように、こんな振る舞いをしたのである。
もし自分が老莱子の親だったら子供にこんなことさせてしまっている自分に悲しくなります。
他にも、口減らしために生まれてきた子供を捨てようとする夫婦の話もあります。その子供が孝行ものということで子供を捨てるために掘った穴から金貨等が出てきて、神様ありがとう、良かった良かったって…
引きますわ…
ですが江戸では寺子屋の教材にもなってます。身近な存在であったのでしょう。
◯◯こうをパロディとした浮世絵も出回りました。
月岡芳年「皇国二十四功 大石内蔵之助良雄」
日本古今の功をなした人を24人取り上げたシリーズもの。
歌川国貞「ニ五五四好今様美人」のうち「道具好」
孝の字を好に変えただじゃれのシリーズ。
着物好、金魚好、酒好などがありました。
ちなみに後の時代福沢諭吉も二十四孝を批評してます。
江戸の中国ブームは熱かったんだろうなあ。
きょうはここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。