続々々々々々・カラヴァッジョ(完)
今日も生きてます。
今日でカラヴァッジョ完結です。
殺人→死刑宣告→ローマから逃走→ナポリで成功→マルタ島で騎士になる→目上の騎士を仲間と襲撃→収監→マルタ島脱走→シチリアで弟分の画家のもとに身を寄せ、仕事を斡旋してもらう→シチリアの都市メッシーナに移り仕事をする
聖ルチアの埋葬
ラザロの復活
羊飼いの礼拝
受胎告知
生誕
カラヴァッジョは1609年の夏にナポリに戻ります。しかし10月に居酒屋の前で4人の武装した男から襲われ、瀕死の重傷を受けます。マルタ島の騎士の復讐でした。
療養のためカラヴァッジョ伯爵夫人が持つナポリ郊外の別荘に身を寄せます。
聖アンドレの殉教
聖ウルスラの殉教
ナポリで活躍していたカラヴァッジョはローマに帰ろうとします。ローマのパトロンがカラヴァッジョの恩赦のために運動していました。教皇からも恩赦の約束を取り付けていました。カラヴァッジョも有力者に絵を送るなどして後押しをしていたようです。
1610年の7月にローマに向かうために船に乗ります。
船は悪天候のためラーマの少し北にあるパロにつきましたが、そのときカラヴァッジョは山賊に間違われて逮捕されてしまいます。(災難です。)数日後に釈放されましたが、船はもう出港していました。
絵を取り返すべく次の寄港地に向かってカラヴァッジョは歩いていました。しかしそこについたときには重い熱病にかかっていました。修道院で看病されていましたが、7月の18日に息を引き取りました。38歳だったそうです。
こんなに激しい性格の画家って他にいるのかなあ。貴族たちとメッシーナのある教会に入ったときに、罪が清められるからと聖水をつけることを勧められると「必要ない。私の罪は死に値するものだから」と断ったそうです。罪の意識にさいなまれながら生きていたようです。絵を描く事が無かったらもっと崩壊してたんだろうと思います。
宮下規久郎という方が書かれたカラヴァッジョの本を読んでいました。宮下さんの事を調べていたら顔写真が載っていたのですがどことなくカラヴァッジョの雰囲気あるなと(勝手に)思いました。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。