リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

お尻にも顔がある悪魔VS聖人ー見えないものをどう描くか?画家の試行錯誤の結晶(作品)②ー

今日も生きてます。

 

神話や聖書、物語の中に登場するキャラクターの中には、視覚的にどうやって表現するんだ?というものもあります。

 

陳容画「九龍図巻」

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出典:竜 - Wikipedia



例えば伝説上の生き物で良く描かれる龍の姿の特徴は…

 

龍の外見

 

鱗は鯉、角は鹿

頭は駱駝、眼は兎(又は鬼)、首は蛇

腹は蜃(しん)

※蜃(しん)は、蜃気楼を作り出す伝説の生物。

爪は鷹、手は虎、耳は牛

口辺に長髯をたくわえている

 

現実に存在している生き物の組み合わせなのでなんとかなりそうと思いきや、おなかの部分は「蜃」という伝説上の生き物の部位でできているので龍のイメージを描くハードルが上がりますよね。

 

(というか伝説の生き物の外見の説明に、他の伝説の生き物を引用するなんて反則だぜ。)

 

文字としては書けるけど、描くのは難しいものです。

 

前回のブログでは旧約聖書の中に出てくる描くのにはハードルが高いキャラクター「目がたくさんついた異形の天使ケルビム」と、「楽園で人間をそそのかした手足がある蛇」について取り上げました。

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今日も画家が想像力を極めて視覚化した、物語の中の「異形の悪魔」「怪物」を取り上げていきたいと思います。

 

 

 

ミヒャエル・パッハー画「聖ヴォルフガングと悪魔」/「聖アウグスティヌスと悪魔」 

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  出典:あやしいルネサンス((池上英洋さん、深田真里亜さん著、東京美術)

 

絵画の中には聖人と悪魔が描かれています。

 

悪魔を見てみると、手足があるものの人間とは全く違う風貌です。

鹿の角、コウモリの翼、牛の尾…足には蹄がありますね。

背骨もごつごつと浮き上がっています。

 

そして特に奇異なのがおしりのお顔

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しかもおしりの穴が口になってますね。これは肛門が第二の口として機能する悪魔の奇怪な特徴を示しているそうです。

 

 

そしてこれは何が描かれた絵画なのか?と調べてみると、この作品の題名を「聖ヴォルフガングと悪魔」としている書籍と、「聖アウグスティヌスと悪魔」としている本があり、題名によってこの作品が何を描いているのか解釈が違うようです。

 

どちらにしても聖人VS尻悪魔の絵画です。

 

 

 

題名を「聖ヴォルフガングと悪魔」とする場合の絵画の解釈

 

絵の中で立派な衣装を着ている聖人は聖ヴォルフガング

聖ヴォルフガングはドイツ南東部の都市、レーゲンスブルクの司教です。この司教には伝説があります。なんとそれは悪魔と契約したというもの。

 

なぜ悪魔と契約したかというと、聖堂との建設を助けてもらうためです。その代わりに完成した聖堂に最初に入った者の魂を悪魔が譲り受けるという約束でした。

 

ヴォルフガングは聖堂が完成した時、一番最初に狼を聖堂に入れることで悪魔の約束を切り抜けました

 

「聖ヴォルフガングと悪魔」は、ヴォルフガングと悪魔が契約をする場面が描かれています。

 

 

 

題名を「聖アウグスティヌスと悪魔」とする場合の解釈

 

描かれている聖人は古代ローマ聖人アウグスティヌスです。

その聖人の前に悪魔が現れます。

悪魔が開いて見せてきた大きな本には、人間の堕落行為が列挙されています。その中にはアウグスティヌスが祈りを唱え忘れたことも記されていました

 

アウグスティヌスは焦ることなく、二本の指を立てて改めて祈祷しなおしました。すると彼のページはたちまち消え失せ、悪魔は怒って耳から火を噴きました。

 

 

 

 どちらにしても聖人が悪魔に勝った様子が描かれています。

 

 

 

サルヴァトール・ローザ画「聖アントニウスの誘惑」

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  出典:あやしいルネサンス((池上英洋さん、深田真里亜さん著、東京美術)

 

襲われる老人は聖人のアントニウスです。苦行をしているときに悪魔の大群に襲われている場面が描かれています。

 

「聖アントニウスの誘惑」については以前ブログに取り上げました。

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描かれた悪魔を見てみると、筋張った体に手はカマキリのようです。

首はぐねりと長く蛇風、牙のある怖い顔の牛骨風をしています。

 

悪魔というより、未確認生物・地球外生物というような印象です。

 

後ろの方にいる悪魔も、地球上の何とも似つかない不思議な形態です。足は鳥風で背中には蝙蝠風の翼、手は目の下あたりについていますね。

 

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その後ろには頭が独特な形をした人風の顔の怪物がいます。人間のような顔でありながら、豚などの生き物にも近いような。

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画面の端にも悪魔もいますね。

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この作品が描かれたのは17世紀ごろです。

いったいどう考えたらこのような異形なものを思いついたのか…

現在は映画などで異形な物の形を見聞きする場合あるので、そこまで怖いとは思いませんが、この作品を17世紀に鑑賞した人はにとって絵の悪魔たちは相当怖かったんじゃないかな

 

 

ちなみに描いた作者は↓のような人です。

 

サルヴァトル・ローザ画『自画像』1641年頃

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出典:Category:Salvator Rosa - Wikimedia Commons

 

サルヴァトル・ローザ(1615 - 1673)

 

イタリアのナポリ近郊アレネッラで生まれた。

母方の叔父のもとで絵画の初歩を学びんだのち、画家を職業とした。

 1634年、20歳のときに一文無しでローマに出てくる。奇抜なイスパニアの服装をして剣をを腰に帯びていたそうな。

 

病のため2年後にはナポリに帰国。

 

1638年に再びローマにやってくる。しかし当時ローマの彫刻界を席巻していたベルニーニを風刺したために、ローマを立ち去らざるをえなくなった。

 

ジャンカルロ・デ・メディチ枢機卿の招きを受諾し、1639年から8年間フィレンツェに滞在し、同地で「アッカデーミア・ペルコッシ」を設立し、文学者や芸術家や芸術愛好家たちの交流の場を設けた。

 

1673年、ローマで起こった暴動に巻き込まれ、没する。

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出典:Category:Salvator Rosa - Wikimedia Commons

 

 

現在は写真があり、様々な生き物の姿をネットで見ることもできます。なので美しいものも気持ち悪いものもたくさんのイメージを手軽に知ることができますが、何も資料の無い時代、よく伝承でしか伝わってない悪魔を描いたなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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楽園にいる手足のある蛇の謎ー見えないものをどう描くか?画家の試行錯誤の結晶(作品)①ー

今日も生きてます。

 

西洋美術は聖書をもとにした作品多いですよね。

 

テレビも写真も無かった時代、絵画は文字が読めない人々に聖書の内容を示すためのメディアという側面がありました。

 

しかし聖書の中に登場するのは、神様、天使、悪魔など…おそらく大多数の人がその姿を見た事が無いだろうというような存在です。

 

比喩的な表現もあるかもしれませんが、文字に書けるが視覚的には一体どう表現するんだい?というような外見のものもいます。

 

例えば、エデンの園の中で命の木、知恵の木を守っている天使ケルビムの外見は、旧約聖書の中で↓のように書かれています。

 

エゼキエル書1章によるとケルビムの姿は

「その中には四つの生き物の姿があった。

それは人間のようなもので、それぞれ四つの顔を持ち、四つの翼をおびていた。

 

…その顔は“人間の顔のようであり、右に獅子の顔、左に牛の顔、後ろに鷲の顔”を持っていた。

 

生き物のかたわらには車輪があって、それは車輪の中にもうひとつの車輪があるかのようで、それによってこの生き物はどの方向にも速やかに移動することができた。

 

…ケルビムの“全身、すなわち背中、両手、翼と車輪には、一面に目がつけられていた”(知の象徴)…

 

ケルビムの一対の翼は大空にまっすぐ伸びて互いにふれ合い、他の一対の翼が体をおおっていた(体をもっていないから隠しているという)

 

…またケルビムにはその翼の下に、人間の手の手の形がみえていた(神の手だという)」とされている。

 

 

もう全く想像がつかないですよね。

常人ならざる感じだけは伝わります。

 

もし皆さんが画家で、依頼主から「ケルビム描いてください」と言われたら、どうしますか?

 

私だったらこんなケルビムの設定複雑にしたやつ誰なんじゃい!と若干恨みつつ苦悩します。どういうものを依頼主が求めているかも悩みどころです。

 

 

↓はWikipediaにあったケルビムの絵です。

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出典:智天使 - Wikipedia

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出典:Category:Cherubs - Wikimedia Commons

 

聖書に書かれていたケルビムの特徴的な外見をおおよそ抑えてますね。

ただ全身に目があるという特徴を絵として描くのは難しいようです。(細かいしね)

 

このように日本の神話でもそうですが、聖書などの物語にでてくるキャラクターって文字にはできるが視覚的に表現するにはハードル高いものがあります。

 

画家は文字を頼りにイメージを作り上げます。この世で見た事が無いキャラクターなのでいろいろなアイデアを取り入れてどうにかして表現しています。

 

今日はそんな画家がひねり出して(?)生み出した個性的な「異形モノ」が描かれた絵画を見ていきましょう。

 

 

 

ヒューホ・ファン・デル・フース画

「原罪」

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 出典:あやしいルネサンス((池上英洋さん、深田真里亜さん著、東京美術)

 

旧約聖書に出てくる最初の人間「アダムとエヴァ」を描いた作品はたくさんあります。

上の作品も楽園にいるアダムとエヴァを描いたものです。

 

題名にある「原罪」とは、楽園で何の不自由もなく暮らしていた人間アダムとエヴァが、神様から絶対食べちゃダメだよと言われていた知恵の木の実を食べてしまい、人間の男性は働く苦しみを、女性は産むときの苦痛を与えられて楽園から追放されたことです。

 

なぜアダムとエヴァが食べちゃダメだよと言われていた知恵の木の実を食べてしまったかというと、楽園にいた蛇がエヴァに美味しいからお食べと誘惑したためです。知恵の木の実を食べたエヴァは美味しいよとアダムにも勧めて二人でそれを食べてしまいました。

 

ちなみに知恵の木の他に生命の木も楽園にはありますが、二つの木の実を食べると永遠の命を得ることができます。楽園からアダムとエヴァを追放した神様は、人間が生命の木に近づけないように、天使にその木までの道を守らせます。

その天使こそ最初に紹介したケルビムです。

 

さて、上の作品の話に戻ります。

原罪のエピソードを描いた作品で描かれるのはアダムとエヴァと知恵の木と蛇です。この作品で描かれているのは…

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蛇?とは少し違うような形態の生き物です。

手足もついているし、そもそも頭が人間です。私の感覚が独特なのかもしれませんが、なんか小さいしかわいく思えてしまいます。(現実にいたら気持ち悪いのでしょうか)

 

比較として他の作家のアダムとエヴァを描いた作品を見てみましょう。

 

 

アルブレヒト・デューラー

「アダムとエバ

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出典:アダムとエバ - Wikipedia

 

ピーテル・パウルルーベンス

「アダムとエヴァ

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出典:Category:Adam and Eve - Wikimedia Commons

 

二枚ともエヴァの近くに木にくるりんとまとわりついている蛇が描かれています。あと関係ないけど人類の起源となるの男女って美男美女なんですね。神様ナイスセンス。

 

話は戻りますが、最初に紹介したヒューホ・ファン・デル・フースの蛇に手足がついているのは聖書の記述が由来していると思われます。

 

神様はアダムとエヴァを楽園から追放した後、蛇にも罰をくだします。

それは地を這って生きることでした。

 

これを読むと画家的には、神様が罰をくだした後の姿が現在のにょろーんとした紐のような姿であり、その前にはまた別の姿であったということです。

 

そして蛇がアダムを誘惑した時というのは罰が下される前の姿ですので、その姿を絵に描くのが必然ということです。

 

そしてここに謎が生れます。

 

蛇ってもともとどんな姿だったのか?ということです。

 

もともとは翼が生えていたかもしれないし、四足歩行だったかもしれない。でも現在の姿は紐だし、にょろーんとした趣も残した方が良いのか…

 

ここは悩みどころですね。

 

 

この人間の首にカワウソのような生き物はヒューホ・ファン・デル・フースが悩んだ末行きついた蛇の昔の姿です。

 

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神話とか聖書って謎な部分多いですが、そういうところが想像の余地があって面白い部分でもありますよね。

 

蛇の昔の姿…私だったら長い耳を生やして白い毛を生やして四足歩行ジャンプする赤い目の…動物として描きますね。

 

 

 

 

ウサギですね。

 

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今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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 参考:あやしいルネサンス((池上英洋さん、深田真里亜さん著、東京美術)

 

イタリアの怪物庭園ー奇妙な35体のオブジェたちー

今日も生きてます。

 

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「あやしいルネサンス(池上英洋さん、深田真里亜さん著、東京美術)という本を読んでいます。本の中では西洋美術のあやしい作品たちが紹介されています。

他の美術書ではまず見ることがない作品もあり、なかなか楽しく読んでいます。

 

今日はその中で気になったイタリアにある「怪物庭園」について取り上げます。

 

 

 

怪物庭園とは?

「バゲリーア宮殿 正面脇の怪物」

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「バゲリーア宮殿 内部」

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出典:「あやしいルネサンス」(池上英洋さん、深田真里亜さん著、東京美術)P25、撮影:池上英洋

 

イタリアには「怪物庭園」というものがあるらしいです。

そこには様々な奇妙な石像が置かれています。

 


正式名称は「聖なる森」で、怪物庭園は通称です。

イタリアのボマルツォ」という自治体にあります。

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出典:ボマルツォ - Wikipedia

 

 

怪物庭園は誰がつくったのか?

ロレンツォ・ロト画「Portrait of a Gentleman in his Study 」f:id:akashiaya:20210117034146j:plain

出典:Pier Francesco Orsini - Wikipedia

 

この庭は1552年にオルシーニ家の邸宅に作られました。

最初から奇妙なオブジェがあったわけではなく、この庭を相続した領主のヴィッチーノ・オルシーニが怪物庭園をつくりました。

 

怪物庭園を造ったヴィチーノ・オルシーニ(ピア・フランチェスコ・オルシーニとも呼ばれる)は、公爵であり、コンドッティエロ(軍のリーダー)でした。

 

オルシーニはコンドッティロとして戦などで戦っていましたが、1550年には引退します。芸術のパトロンでもあったオルシーニは、その後アーティストや作家がいるボマルツォで暮らします。

 

「怪物庭園」はその引退した後の1547年頃から作り始めたようです。

(※オルシーニが実際に制作したわけではなく、アーティストに依頼した。)

 

なぜこのような庭をつくったのか定かではありませんが、オルシーニより先に亡くなった妻のため(?)とも言われています。

 

今この庭は一般公開されています。

 

 

 

35体の奇怪なオブジェ

 

怪物庭園には35体の石像がを中心に、様々なオブジェがあることで有名です。

その一部を見ていきましょう。

 

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出典:ボマルツォ - Wikipedia

Livioandronico2013 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=64111105により引用

オルクス

 

 地獄の口と呼ばれるこの石像は「冥界の王オルクス」をつくったものと言われています。オルクスはローマ神話に出てくる死の神様です。

 

地獄への入り口がこの石像の口ということでしょうか?

中にはテーブルがあり、日を避けたり、休憩するのにいいかもしれませんね。

 

 

 

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出典:ボマルツォ - Wikipedia

Alessio Damato - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4633676により引用

ネプトゥーヌス

 

ネプトゥーヌスはローマ神話の海の神様です。

おじ様として表現されることが多い神様のようです。立派なおひげです。

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 出典:ネプトゥーヌス - Wikipedia

 

 

 

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出典:ボマルツォ - Wikipedia

Alessio Damato - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4633658により引用

ヘラクレスとカークス

ヘラクレスギリシア神話の半神半人の英雄です。立っている方の石像がヘラクレスです。

 

たくさんの冒険談(?)がある神様で、中には赤ん坊の頃二匹の蛇で暗殺されそうになったときに逆にその蛇を絞め殺したり、エジプト軍を壊滅させたりしています。怪力の持ち主で、神様や怪物とのバトルは数知れず。

強いのでマッチョの大男として表現されることが多いようですね。

 

アントニオ・デル・ポッライオーロ  画「Hercules and the Hydra」

↓の作品はケロべロスと戦うヘラクレスを描いた絵

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出典:File:Antonio del Pollaiolo - Ercole e l'Idra e Ercole e Anteo - Google Art Project.jpg - Wikimedia Commons

 

ヘラクレスの石像に足をつかまれているのはカークスです。

ギリシア神話に出てくる怪物です。ローマ神話では3つの頭を持ち火を吐く巨人の怪物です。

 

その昔カークスが住んでいた洞穴の付近に住む人々に暴虐を振るっていて、それをヘラクレスが倒したというエピソードがあります。

石像はこの物語を表現していると思われます。

 

火を吐くカークスを殺害するヘーラクレース(1545年画)

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出典:カークス - Wikipedia

 

 

 

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出典:ボマルツォ - Wikipedia

Alessio Damato - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4633645により引用

ハンニバルの戦象

 

ハンニバルカルタゴの将軍です。上の石像で象の上に立っている人物がハンニバルです。数々の戦争で連戦連勝を重ねた戦歴から、ローマ史上最強の敵として今まで有名です。

 

戦象(せんぞう)軍事用に使われた象です。

インドや東南アジア、古代地中海世界で用いられました。

ハンニバルは戦争でザマの戦いで戦象を使っており、石像はこれを由来してつくられていると思います。

 

B.C.コルネリス・コルト画「Battle of Zama」

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出典:File:Slaget ved Zama - Cornelis Cort, 1567.jpg - Wikimedia Commons

 

 

 

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出典:ボマルツォ - Wikipedia

Alessio Damato - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4633632により引用

ドラゴンとライオン

 おそらく左側がドラゴン?

この二匹の生き物がなぜ対で表現されているのか調べてみましたがわかりませんでした。他の石像がギリシャローマ神話をもとにしているものが多いので、由来が必ずあると思われます。無念。

 

 

 

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出典:ボマルツォ - Wikipedia

Alessio Damato - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4633611により引用

傾く家

なぜか傾いて作られた石像。

隣に塀があるので本当に倒れることはありません。茶目っ気を感じる作品です。 

これも神話の由来がある石像かもしれません。

 

 

 

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出典:ボマルツォ - Wikipedia

Alessio Damato - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4633733により引用

ペガサス

 

ペガサスはギリシア神話に登場する伝説上の生き物です。

ペガサス自体は有名ですが、意外とどのようにして生まれたかは知らない人が多いのではないでしょうか?

 

ギリシャ神話でペガサスは、髪の毛が蛇で見るものを石にしてしまう怪物メデューサが英雄ペルセウスに倒されたとき、メデューサの傷口から生まれたとされています。

また、メデューサは倒されたときに海の神ポセイドンの子供を身ごもっていたので、タイミング的にペガサスはポセイドンとメデューサの子供という立ち位置です。

 

ピーテル・パウルルーベンス画『メドゥーサの頭部』

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出典:メドゥーサ - Wikipedia


 

 

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出典:ボマルツォ - Wikipedia

Alessio Damato - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4633768による

 

青ざめるプロテウス

プロテウスはギリシア神話における海の神です。

ロス島でアザラシの世話をしています。(パロス島は今では観光地として有名らしい。)

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古くには、人間の上半身+魚介系の下半身+背後から獅子や鹿、蝮が顔をのぞかせている姿で表現されたものもあります。

 

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出典:神話で何にでもなれるけど自分自身にはなれない神ってなんていうんですか? - ギ... - Yahoo!知恵袋

 

これはプロテウスが他のものに変身できるためだと思われます。

 

また、プロテウスは予言という能力も持っています。しかし予言すること自体はあまり好きではないらしいです。そのためギリシャ神話の中には、予言を求める者たちに無理やり捕獲されて予言させられるというエピソードがいくつかあります。

 

石像は青ざめるプロテウスということで、予言を求めるものに取り押さえられてしまったプロテウスの姿なのかな?と勝手に推測します。

 

 

 

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出典:ボマルツォ - Wikipedia

Gabriele Delhey - photo taken by Gabriele Delhey, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2086105により引用

セイレーン

セイレーンは、ギリシア神話に登場する海の怪物です。

古くは「人間(女性)の上半身+鳥の姿」として表現されていましたが、いつからか「人間(女性)の上半身+魚の尾ひれ」という姿で表現されるようになります。

いわゆる人魚です。

 

鳥の姿で表現されたセイレーン

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス画『オデュッセウスとセイレーンたち』

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出典:セイレーン - Wikipedia

 

石像は下半身が二股の人魚のようなかたちでセイレーンが表現されています。

 

ギリシャ神話の中でセイレーンは、海の航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わせ喰い殺しました。

 

ディズニー映画「リトルマーメイド」の原作も、元はこのギリシャ神話のセイレーンから作られていると思われます。なのでアリエルの祖先は人間の捕食者であったということですな。(飛躍)

 

人魚というと人間の王子との禁断の悲恋というロマンチックな側面が強調されがちですが、歌声で魅了して人間食べるというエキセントリックな一面も魅力的なので、ここも物語などの題材にしてほしいですね。

 

ギュスターヴ・モロー画 『詩人とセイレーン』 

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出典:セイレーン - Wikipedia

モローが描いたセイレーンの目つきが怖すぎる。

 

 

 

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出典:ボマルツォ - Wikipedia

Lucius on Wikipédia italian - Wikipedia English under GNU licence, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3117113により引用

 スフィンクス

スフィンクスは、エジプト神話・ギリシア神話メソポタミア神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在または怪物です。

 

怪物庭園の石像はギリシャ神話をモチーフにしているものが多いので、ギリシャ神話の中でのスフィンクスについて解説を載せますね。

 

ギリシア神話の中でスフィンクスは、「ライオンの身体+美しい人間の女性の顔と乳房+鷲の翼」で表現されます。もともとは子供をさらう怪物で、戦いにおいての死を見守る存在でした。高い知性を持っていて、謎解きやゲームが好きな側面があります。

 

スフィンクスのエピソードとして有名なものがオイディプスの神話の中にあります。

 

スフィンクスが山では通りがける旅人を捕らえては謎を出し、解けないものを殺して食べていました。

 

そのなぞは、「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か」というもの。

 

しかし、ギリシャ神話の登場人物であるオイディプスがそのなぞを解きます。

 

「それは人間だ。人間は赤ん坊の時には四足で這い回り、成長すると二足で歩き、老年になると杖をつくから三足になる」

 

面目を失ったスフィンクスは岩の台座から飛び降り、谷底へ身を投げて死ました。

このなぞなぞ自体は生きていればどこかで耳にしますよね。

このエピソードを表現した絵画はけっこうあります。それぞれの画家が思い思いのスフィンクスを描いていて面白いです。

 

ドミニク・アングル画『スフィンクスの謎を解くオイディプス

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出典:スフィンクス - Wikipedia


ギュスターヴ・モロー 画『オイディプススフィンクス

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出典:スフィンクス - Wikipedia

 

フランツ・フォン・シュトゥック画『スフィンクスの口づけ』

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出典:スフィンクス - Wikipedia

 

怪物庭園のスフィンクスの石像の前に立ったらオイディプスごっこができますね。

 

 

 

 

しかし何故オルシーニがこのような怪物庭園をつくったのか…?謎ですね。

 

個人的には江戸川乱歩のパノラマ島奇譚を彷彿とします。もし自分に大金と土地(庭)があったらどのような世界を作るかなあ。

 

怪物庭園と言われてますが、本人にとっては楽園なイメージであったのだと思います。

 

感性は人それぞれだから、理想の庭は人間の数だけあるのでしょうね。地球は一つだけど桃源郷は人それぞれで、だから争いも生まれるんだな。

 

庭に石像で自分の世界を表現するのは平和的ですね。

 

もし私が庭を造るなら、ウサギ帝国をつくります。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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悪魔のリンチに耐える老人の絵画?西洋版百鬼夜行「聖アントニウスの誘惑」の解説②

今日も生きてます。

 

マルティン・ショーンガウアー画「Temptation of St Anthony」

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出典:http:// https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Martin_Schongauer_-_Temptation_of_St_Anthony_-_WGA21035.jpg?uselang=ja

 

 

前回はアントニウスの誘惑について取り上げました。

akashiaya.hatenadiary.jp

西洋絵画でたまに発見する題名「聖アントニウスの誘惑」は、聖人アントニウスが苦行中に悪魔に誘惑されたことを描いたものです。

 

アントニウスが行った苦行は4回。

前回のブログでは、第一の苦行の中で受けた悪魔からのハニートラップについて取り上げました。

 

今日はその後のアントニウスの苦行と、それについて描いた作品を見ていきます。

 

 

 

 第二の苦行 悪魔のリンチ

ボス(?)画「 The Temptation of Saint Anthony 」

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出典:http://httpscommons.wikimedia.orgwikiFileThe_Temptation_of_St_Anthony_(Bosch).jpguselang=ja

 

村から離れたところの地下墓地で第二の苦行生活をはじめたアントニウス

 

そこでまた悪魔の一群が彼に襲いかかります。ある悪魔は猛獣に姿を変えてアントニウスに掴みかかります。満身創痍のアントニウスは、地面にたおれてしまいました。

 

そんなアントニウスが天を仰ぐと、明るい一条の光が射し混み、光は悪魔たちを残らず追い散らしました。この光は神の救いの手だったのです。

 

ティントレット画「聖アントニウスの誘惑」

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出典:File:Jacopo Tintoretto - The Temptation of St Anthony - WGA22617.jpg - Wikimedia Commons

 

アントニウスは、なぜ悪魔が襲い始めてきたときに来てくれなかったのか?と問いかけます。

 

そうするとどこからか聞こえる声は、お前が果敢に戦う様子を見てみたかった。がんばってたね。これからはいつでも助けるからね!他の皆にも君のこと知らせるからね!、という旨のことを話します。

(神様ってたまにSっ気出して信者の信仰心試しますよね。)

 

悪魔に襲われるアントニウスを描いた絵画たちをみてみよう

 

悪魔を直接見た画家は(たぶん)いないため、画家の想像力が発揮される画題です。

それぞれの画家たちが思い思いの悪魔を描いています。

 

襲われるアントニウスはかわいそうですが、このテーマは個性的な悪魔たちを楽しむ絵画でもあります。

 

この画家にとっての悪魔とは…?と思いながら絵画を見比べてみるとより楽しめるかもしれません。ということで、見ていきましょう!

 

 

ヒエロニムス・ボス画「Temptation of Saint Anthony 」

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出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bosch_(o_copia_da),_tentazioni_di_s._antonio,_1500_ca._06.JPG?uselang=ja

ボスの「聖アントニウスの誘惑」の祭壇画の中には左上の方に悪魔たちに襲われる聖アントニウスが描かれています。

 

空まで連れられて木の棒やトンカチのようなもので暴力を受けています。

くちばしが長いので鳥寄りの悪魔ですね。

 

 

 

ヤン・ブリューゲル画「 聖アントニウスの誘惑」

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出典:File:Brueghel the Younger Temptation of St. Anthony.jpg - Wikimedia Commons

下の方に小人サイズの悪魔たちが聖アントニウスを取り囲んでいます。

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他の筋肉マッチョな悪魔たちと比べると、コロコロしていてどことなくかわいいと感じるのは私だけでしょうか。

絵本的な世界観ですね。

 

 

 

ルーカス・クラナッハ画「The Temptation of St. Anthony」

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出典:File:The Temptation of St. Anthony MET DP842889.jpg - Wikimedia Commons

画面上部に悪魔にリンチされてる聖アントニウスがいるのですが、わかりますでしょうか?

おやじ狩りのようにも感じます。こんな目に遭って、神様から「君の信仰心試した」的なこと言われたら、私だったら逆恨みしちゃいそうです。

 

 

 

パオロ・ヴェロネーゼ画「Temptation of St Anthony」 

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出典:File:The Temptation of St. Anthony MET DP842889.jpg - Wikimedia Commons

イケメンマッチョの悪魔に暴力されている聖アントニウスですね。傍らには美女も控えています。

悪魔を人間として表現している作品は意外に少ないかも。

本当に怖い(悪魔)のは人間的なもっと深いメッセージがあるのでしょうか。

 

 

 

ヨースト・ファン・カースベーク画「Temptation of St Anthony」 

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出典:http:// https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Joos_van_Craesbeeck_-The_Temptation_of_St_Anthony.jpg?uselang=ja

口を開いた男性は聖アントニウス

ボスの絵画も彷彿とさせる画風と発想です。

 

 

 

マティアス・グリューネヴァルト画「The Temptation of St. Anthony」

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出典:File:Matthias Grünewald - The Temptation of St Anthony - WGA10765.jpg - Wikimedia Commons

この作品は異形の怪物がたくさん描かれています。

髪の毛も引っ張られて聖アントニウスもかわいそうです。

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個人的には左下端のペストにかかった悪魔?が怖いです。

見るからに感染症まみれ風の悪魔に近寄られたら…想像したくないです。

 

 

 

第三の苦行

 

アントニウス悪魔にリンチされた後、地下墓地で35歳まで過ごしていました。

 

ある日神様にもっと奉仕したいという思いが生まれてたアントニウスは、地下墓地を出ます。そこで無人の荒れた砦を発見して、そこを第三の苦行の地にしました。その後、砦の扉を閉めきったまま、およそ20年間厳しい修行を続けます。

 

20年間、アントニウスは一度もそこから外にでずに、誰とも会いません。

 

砦の近くには、アントニウスに会いたい人々が押しかけていました。彼はそうした人々を前にして説教をします。

 

いつしかピスピルの山には修道院が建ち並び、砂漠は修道僧でいっぱいになります。

アントニウスはこうして「修道院の創設者」あるいは「修道士の父」となりました。

 

 

 

第四の苦行

Master of St. Veronica画「Saint Anthony Abbot Blessing the Animals, the Poor, and the Sick」

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出典:File:Master of St. Veronica (German, active about 1395 - 1415) - Saint Anthony Abbot Blessing the Animals, the Poor, and the Sick - Google Art Project.jpg - Wikimedia Commons

 

60歳を越えたアントニウスは、第四の苦行の地としてコルズム山に向かいます。

 

コルズム山のアントニウスは奇跡を起こしました。なんとアントニウスは丹毒やペストなどの病気を治したのです。

 

それから約40年間、死去する105歳まで、修道士の教育、奇跡(病気の治療)の日々を送りました。

 

そして、神から自分の死が近いことを知らされたアントニウスは、弟子を呼び出し、自分はもうすぐ死ぬということ、埋葬のことなどについて話しました。

 

アントニウスが死ぬと、弟子の二人は言いつけに従って、彼の死体を誰にもわからないところに埋葬しました。

 

 

死後およそ200年たった西暦561年にその墓が発見されたそうです。

 

 

西洋美術版の百鬼夜行「聖アントニウスの誘惑」いかがでしたか?

アントニウスの人生と苦行を少し知ると、誘惑されているのは最初の一回目の苦行の時だけなのかなー?と思います。(前回のブログで取り上げた部分です)

もっと深堀するとさらにたくさん誘惑されているのかもしれませんね。

 

実際に見たことがない生き物などを描いた作品は面白いですね。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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お色気作戦?悪魔のリンチ?美女や悪魔に老人はなぜ襲われているのか。西洋版百鬼夜行「聖アントニウスの誘惑」の解説①

今日も生きてます。

 

ピーテル・クック・ファン・アールスト画「The temptation of St Anthony」

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出典:File:Pieter Coecke van Aelst - The temptation of St Anthony.jpg - Wikimedia Commons

 

日本には百鬼夜行という、古来より絵巻物に何度も描かれた画題があります。

百鬼夜行」に明確な話の筋はあまりないものの、日没からどこからか現れ始めた多種多様な妖怪たちがぞろぞろと行進し、日の出と共に消えてしまう、という流れがあります。

 

以前ブログでも百鬼夜行については取り上げました。

妖怪のはじまり①ー妖怪絵巻をみてみようー

妖怪のはじまり②ーいろんな妖怪絵巻をみてみようー 

妖怪のはじまり③-妖怪絵巻の変遷ー

 

百鬼夜行では絵師が想像力を炸裂させて描いた妖怪たちを見ることができますが、今日はその百鬼夜行の西洋版ともいえる(?)「聖アントニウスの誘惑」という画題を取り上げます。

 

 

 

「聖アントニウス」とは誰?

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出典:大アントニオス - Wikipedia

 

アントニウスキリスト教の聖人です。

修道士の生活や、修道院を初めて作った人ともいわれています。

 

アントニウスについては司教アタナシオス(295?-373)が書いた『聖アントニウス伝』の中で聖アントニウスについての生涯を知ることができます。

 

伝記によると、聖アントニウスは250年頃にエジプトで生まれます。敬虔な両親にキリスト教徒としての教育を受けたました。

20歳頃に両親が亡くなり妹と二人になってしまいます。

 

その後、神の声を聞いた聖アントニウス

財産を貧しい者に分け与え、自らは砂漠に籠もり苦行生活に身を投じます。

 

305年頃にアントニオスが町で行った説教に心を打たれた修道僧らと開いたのが修道院の始まりです。

 

死ぬまで修行を続けたアントニウスは356年に105歳で亡くなります。

 

 

 

「聖アントニウスの誘惑」とは?

David Ryckaert III画「 The Temptation of Saint Anthony 」

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出典:File:David Rijckaert (III) - The Temptation of Saint Anthony.jpeg - Wikimedia Commons

 

「聖アントニウスの誘惑」とは、アントニウスが苦行生活をする中で、悪魔が誘惑をしてきたことです。それは美女であったり、恐ろしい怪物の姿であったりします。

 

この「聖アントニウスの誘惑」は人気があったようで、たくさんの画家が絵のテーマにしています。老人が悪魔に襲われていたり、美女に取り囲まれてむふふな雰囲気だったりする絵は「聖アントニウスの誘惑」を描いている場合が多いです。

 

音楽では『画家マチス』という交響曲の中の第3楽章に「聖アントニウスの誘惑」があり、文学ではギュスターヴ・フローベールの『聖アントワーヌの誘惑』という作品があるようです。

 

 

 

「聖アントニウスの誘惑」が表現された絵画たち

 

ということで聖アントニウスの苦行と、「聖アントニウスの誘惑」を描いた絵画たちを見ていきましょう。

 

神の声を聞いた聖アントニウスは、財産をすべて他の人々に分け与え、妹は知り合いの修道女に養育を頼みます。そしていよいよ苦行の旅へ飛び立つのです。

 

第一の苦行 ハニートラップ

 

アントニウスのは村から少し離れたところで、他の苦行者と交流します。彼らの忠告や行いに従い、苦行者として生涯をささげることにしました。

 

そんなある日、アントニウスの若さにつけこみ悪魔が襲ってきました。

 

悪魔はアントニウスが断ち切っているものを取り上げて誘惑します。それは唯一の家族である妹やお金、名誉、美味しい食べ物です。

そして、美徳が要求する辛い労働を問題にしながら、苦行をすぐに止めるようにせまってきました。

 

悪魔は女に姿を変え、誘惑しはじめます。

アントニウスはこの誘惑を何とか耐えます!!

 

 

↓Louis Gallait画「The Temptation of St Anthony」

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出典:File:Louis Gallait (1810-87) - The Temptation of St Anthony - RCIN 405060 - Royal Collection.jpg - Wikimedia Commons

悪魔の美女のセンスが良いですね。

私好みです。

 

↓ロヴィス・コリント画「Temptation of Saint Anthony 」

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出典:http://mementmori-art.com/archives/13460962.html

 

いくら美女でもここまで全力でたかられたら怖いですね。

美女恐怖症になりそうです。聖アントニオの顔も真っ青です。

 

コルネリス・マッシス画「聖アンソニーの誘惑」

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出典:Cornelis Massijs - Wikipedia

美女「お兄さん、これどうぞ♪」

聖アントニオ「いや、本当に結構です。本当に。(チラ見)」

というやり取りが聞こえてきそうな絵柄です。

近くに老婆が控えてますが、アブノーマルな場合に備えているのでしょうか。

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Henri Fantin-Latour画「The Temptation of St. Anthony 」

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出典:File:Fantin Latour The Temptation of St Anthony.jpg - Wikimedia Commons

 

おそらく真ん中に聖アントニウスがいて、その周りを美女が囲っているのでしょう。

表現方法とタッチが相まってなんだか幻想的(悪夢的?)な聖アントニウスの誘惑です。

美女のかごめかごめ~ですね。

幻想的&怖くて好きです。

 

ヒエロニムス・ボス画「Temptation of Saint Anthony 」

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出典:File:Hieronymus Bosch - Triptych of Temptation of St Anthony - WGA2585.jpg - Wikimedia Commons

 

ボスも聖アントニウスの誘惑の祭壇画を描いています。

奇怪なものを描くのが得意そうな画家なので相性のいい画題だったのでしょう。

画面の中央辺りに美女たちの誘惑場面が描かれています。

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ピンク色の女性にのしかかられているのが聖アントニウスだと思われます。

この迫り方は恐ろしいですね。

 

 

サルバドール・ダリ画「Temptation of Saint Anthony 」

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出典:The Temptation of St. Anthony (Dalí) - Wikipedia

By Source (WP:NFCC#4), Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=61605456

 

ダリも聖アントニウスの誘惑を描いています。

おそらく手前左で十字架を掲げているのが聖アントニウスだと思います。

 

こちらに向かってくる奇妙なオブジェたちが誘惑(?)している悪魔たちなのでしょう。よく見ると女性であったり、性的なものを彷彿させる形をしています。

 

誘惑以前にこんなでかいものに勝てる気しない。

 

 

 

第一回の苦行の誘惑ハニートラップに何とか打ち勝った聖アントニウスですが、悪魔たちはあの手この手で誘惑を続けます。

ということで次回に続きます。

アントニウスの戦いはまだまだ続く。

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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愛ある家庭的なテーマを描き続けた女性画家?選択肢がそれしかなかっただけです。女性画家ベルト・モリゾの現実

今日も生きています。

 

今日は印象派の女性画家ベルト・モリゾについて取り上げます。

 

ベルト・モリゾ画「 ゆりかご」オルセー美術館所蔵

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出典:ベルト・モリゾ - Wikipedia

ベルト・モリゾとは誰か?

エドゥアール・マネ画 『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ

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出典:ベルト・モリゾ - Wikipedia

 

ベルト・モリゾ(1841- 1895)は、19世紀パリで活躍した印象派の画家です。

 

画風は自然の緑を基調としたものが多く、描く対象は、穏やかで母子の微笑ましい情景など、家庭的なものが多いです。

 

マネの絵画のモデルになったことでも有名です。

(↓の作品で、手前に腰を掛けている女性ですね。)

エドゥアール・マネ画『バルコニー』1868-69年

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出典:エドゥアール・マネ - Wikipedia

 

 

ベルト・モリゾの人生

ベルト・モリゾ画「ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘」

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出典:ベルト・モリゾ - Wikipedia

 

 

ベルト・モリゾは1841年にフランスのブールジュで生まれます。

高級官吏の父を持つ家庭の三姉妹(モリゾ・エドマ・イヴ)の一人です。

両親は娘たちにピアノやデッサン、刺繍などを教養として習わせました。

 

10代のベルト・モリゾ

16歳の時に姉のエドマと共に、近所の画家ギシャールに絵を見てもらいます。

ギシャールは二人の絵画の才能に気が付き、ルーヴル美術館での模写を勧められます。

そこでラ・トゥールなどの画家たちに出会います。

 

20代のベルト・モリゾ

風景画で有名だった画家コローのもとに師事し、自然の描き方を学びます。

そこではピサロルノワールなどの印象派の画家たちにも出会います。

エドマとモリゾはサロンにも初入選します。

マネに出会い、マネの絵画「バルコニー」のモデルになります。

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー

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コロー画「モルトフォンテーヌの思い出」 1864 

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出典:ジャン=バティスト・カミーユ・コロー - Wikipedia


エドゥアール・マネ

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エドゥアール・マネ画『フォリー・ベルジェールのバー』

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出典:エドゥアール・マネ - Wikipedia




 

30代のベルト・モリゾ

第一回印象派展に出品します。

(印象派展は第八回まで開催されましたが、ベルト・モリゾは第七回以外のすべての会に出品しています。)

33歳にはマネの弟ウジューヌと結婚、37歳には娘ジュリーを出産します。

 

40代のベルト・モリゾ

印象派の画家たちドガルノワール、モネと共にマラルメの詩の挿絵を手掛けます。

女流画家であるメアリ・カサットと親しくなり、日本展を見学します。

 

50代のベルト・モリゾ

夫のウジューヌが亡くなります。

モンマルトルの画廊で初個展を開きます。

ブリュッセルの自由美学展に出品し、大成功を収めます。

 

肺炎で亡くなります。

54歳でした。

 

 

 

ベルト・モリゾが生きた時代の「女性」

ベルト・モリゾ画「Child among staked roses」

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出典:ベルト・モリゾ - Wikipedia

 

 

ベルト・モリゾが生きた時代のフランスは、上層ブルジョワ出身の女性がプロの画家を目指すなど考えられない時代でした。それは同じ社会階層にいる相応な相手との結婚の機会を逃してしまう可能性があったためです。

 

なので幼少から、娘が熱心に絵を学ぶことを応援する両親は非常にまれなケース。

ベルト・モリゾの両親はもともと芸術家になることを挫折したことがあったようです。なので絵を学びたいという娘たちを応援したい気持ちがあったのでしょう。

 

姉妹の母親はルーブルの模写に付き合ったり、画家のコローに学ばせるため、彼の住まいの近くに別荘を借りたり、すごいサポートぶりです。

 

ベルトとエドマはプロの画家を志していましたが、モリゾが28歳の時に、姉エドマは海軍将校と結婚をします。

 

当時の一般的な考え方では、妻と画家を両立させることなんて無理で、上層ブルジョワ階級女性が画家になるには一生の独身になる程の覚悟が必要でした。

なので2人で画家になることを夢を見ていたベルトとエドマには虚脱感がありました。

 

そして全く結婚する気をみせないモリゾに母親は圧力をかけてきます。二人の関係は緊張感を持つようになります。

 

結婚を良く思っていなかったベルト。

しかし夢を諦めたことで空いてしまった心の虚しさが、母性的なもので満たされている姉エドマの姿をみます。

 

そして結婚に対する考え方が変わり、マネの弟と結婚します。

マネも画家ですが、弟のウジューヌも日曜画家でした。(無職ですが資産持ちで金利で生活していた。)

 

制作に理解のあったウジューヌは、ベルトの制作活動を支援します。ベルトは女性画家として大変恵まれた環境にありました。そういう相手をベルトが選んだとも考えられますね。

 

しかしそんな恵まれた環境のベルトも、妻とはかくあるべきという古い考えのお姑さんからは芸術活動の理解を得られなかったり、性格を受け入れてもらえなかったりと大変であったようです。

独身時代は対立していたベルトの母は、結婚してからのベルトを応援して支えていたそうです。

 

 

ベルト・モリゾはなぜ家庭的なテーマの絵を描いたのか

 

ベルト・モリゾ画「庭のウジューヌ・マネと娘」

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出典:「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)

 

身近な世界をテーマに、印象派の中でも革新的な表現で作品を制作していたベルト。

 

当時西洋美術界の中で最も偉いとされていたのは「歴史画」です。

それをベルトが描きたくなかったかというと、そういうわけではありません。

 

歴史画家になるには男性の裸体像のデッサンが必須でした。

それが叶う官立美術学校も、ベルト・モリゾが生きていた時代には女性の入学を禁止していました。(ベルトが亡くなった後に女性も入学できるようになった。)

 

そして身近で日常的なテーマが多いのは、当時の上層ブルジョワ階級の女性が好き勝手に外出などできなかったためです。

 

それに加え、芸術に理解のあるタイプの夫ウジューヌでさえ、妻のベルトに社会階層に相応しい姿を常に保つことを要求していたため、戸外での制作は髪の乱れに気をつけなければいけませんでした。

(そんなこと気にしてたら絵なんぞ描けんぞ)

 

当時のベルトを取り巻く背景を知らないと、家庭的なテーマを描いているのは、それを表現したいからなのかと思ってしまいがちですが、実際はそのテーマしか選ぶことができなかった面もあるのかなと思います。

 

印象派の女性画家にはメアリ・カサットという人もいますが、メアリ・カサットも家庭的なテーマの作品が多いです。当時珍しかった女性画家はみんな同じ環境だったのですね。

メアリ・カサット画『子供の入浴』(1893年 

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出典:メアリー・カサット - Wikipedia

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

akashiaya.jimdofree.com

「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)

「鑑賞のための西洋美術史入門」(視覚デザイン研究所)

「101人の画家ー生きていることが101倍楽しくなるー」(視覚デザイン研究所)

 

スペイン最古のヌード画のモデルは誰?&画家の死後、自画像に浮かび上がった十字架の都市伝説。

お久しぶりになってしまいましたが、今日も生きてます。

 

Amazonプライムで視聴できるアニメ「無能なナナ」にはまっています。

超人的な能力を持って生まれた人間たちを、普通の人間である主人公がばれないように始末していくというストーリー。

はらはら展開なので心臓に悪いですが、Amazonプライム会員の方はぜひ視聴してほしいです。

一緒にはらはらしましょう。

 

 

さて、久々に今日はベラスケスについて取り上げます。

 

 

 

ベラスケスとは誰か?

 

ディエゴ・ベラスケス画「自画像」

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出典:ディエゴ・ベラスケス - Wikipedia

 

ベラスケス( 1599ー1660)はスペイン生まれで、17世紀に活躍した宮廷画家です。

西洋美術史の中では、バロック様式」の代表的な画家とされています。

バロック様式」とは、ヨーロッパで17世紀に広がった美術表現で、躍動感があふれ、明暗の対比がはっきりとし、描かれている人物たちの動きは流動的なのが特徴です。

 

 

ベラスケスの一生

 

1599年、スペインのセビリアで、貴族の血筋を持つ家庭に生まれます。(※諸説あり)

何をやってもそつなくこなす優等生だったらしい。

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出典:セビリア - Wikipedia

 

 

ベラスケスの10代

絵に熱心だったベラスケス少年は12歳から6年間画家のパチェーコに師事します。

 

有力画家であったフランシスコ・パチェーコ

ベラスケスが描いたとされる肖像画

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出典:フランシスコ・パチェーコ - Wikipedia

 

18歳で修行を終えたベラスケス青年は独立します。

 

そして翌年パチェーコの娘ファナと結婚します。

ベラスケス19歳、ファナ16歳でした。

 

ベラスケスがファナをモデルに描いたとされる肖像画

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出典:フランシスコ・パチェーコ - Wikipedia

 

 

ベラスケスの20代

マドリードに出てきたベラスケス。

フェリペ四世の肖像を依頼されます。

 

それが王様に気に入られ、王付きの宮廷画家として寵愛を受けます。よほど気に入られたのか、王様の部屋の取次係など、王様に関する他の仕事までやっていたようだ。

 

そんな王様の雑務もてきぱきこなし、どんどん宮廷の中で要職に就くようになります

 

29歳の時に外交官としてスペインに来ていたルーベンスに影響され、イタリア旅行を決意します。

 

 

 

ベラスケスの30代

一年間のイタリア旅行をします。

 

国の経済は火の車だったようですが、芸術を愛したフェリペ4世は湯水のごとくお金を使いました。

 

ディエゴ・ベラスケス画「フェリペ4世の肖像」

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出典:Felipe IV de España - Wikimedia Commons

 

ディエゴ・ベラスケス画「道化師ディエゴ・デ・アセド」1645年。

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出典:ディエゴ・ベラスケス - Wikipedia

 

 

 

ベラスケスの40代

40代の最後に二度目のイタリア旅行に行きます。

旅行というよりもフェリペ4世の公的な任務を受けた使節としてなので、出張でしょうか。

この頃ベラスケスの名声は高まり、イタリアでも有名人であったとか。

 

 

 

 

ベラスケスの50代

ローマ滞在中に教皇インノケンティウス10世の肖像画を描いています。

(ベーコンのオマージュ作品が有名かもかも)

 

ディエゴ・ベラスケス画「教皇インノケンティウス10世」1650年

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出典:ディエゴ・ベラスケス - Wikipedia

 

 

王様から帰国要請があったため、後ろ髪をひかれつつスペインに戻ります。

そして王室配室長に任命されます。

 

有名な作品「ラス・メニーナス」は57歳の頃の作品です。

 

ディエゴ・ベラスケス画「ラス・メニーナス

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出典:ディエゴ・ベラスケス - Wikipedia

 

 

ベラスケスの60代

かねてから憧れていた「騎士の称号」を授かります。

(根回しもしたとか。)

 

しかしその8か月後に過労死で倒れて亡くなってしまいました。

61歳でした。

 

 

 

スペイン最古のヌード画

ディエゴ・ベラスケス画「鏡の前のヴィーナス」

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出典:ディエゴ・ベラスケス - Wikipedia

 

以前、ゴヤを取り上げたブログの中でも書いたのですが、当時厳格なカトリック教の国であったスペインでは自国の画家がヌードを描くことを許していなかったようです。

 

それを一番最初に破ったのがベラスケス。

 

しかし題名が「鏡の前のヴィーナス」なので、一応神話の体裁をとっています。

&ローマ出張中に描いた作品なのでセーフということなのかな?

 

しかしこのヌードのモデルはだれなのでしょうか?

 

実はベラスケスが二度目にイタリアに出張しに行ったときにできた愛人であると伝えられています。

 

ベラスケスの一生を見ていただくとわかると思いますが、ベラスケスはとても優秀な人材で、宮廷の中で品行方正でありました。なので上の立場の人から信頼されたのでしょう。

 

そんな生真面目ベラスケス50歳

イタリアで愛人をつくってしまうんですね。

 

フェリペ4世からの帰国要請があったにもかかわらず、スペインに帰るのが遅れちゃったのは愛人との生活に後ろ髪をひかれたためと思います。

 

「わたしのヴィーナス…」と思いながらこの絵を描いていたのかな?

 

ベラスケスと愛人との間には子供ができますが、その子の顔をみる前にベラスケスはスペインに戻ることになってしまいます。

 

 

 

 

 

ベラスケスの都市伝説

 

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 ベラスケスの名画「ラス・メニーナス」の中には、絵を描くベラスケス本人が描きこまれています。

 

ベラスケスの服には何やら十字のマークが浮かび上がっています。

これはベラスケスが授かった騎士団の称号を示していると思われます。

 

しかし、ベラスケスがこのラス・メニーナスを制作していた時にまだ騎士団の称号は手にしていませんでした。

 

なのになぜ…

 

悲願していた称号を授かった8か月後に亡くなったベラスケス、その執念が絵の中に浮かび上がったのか?

 

また、死の直前のベラスケスが画中にも描かれているドン・ニコラスに頼んで描かせたという説もあります。

 

どちらにしても執念ですな。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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