ポンチ絵とは何か?「ポンチ」の由来は?清親のポンチ絵を見てみよう!
今日も生きてます。
いつも不思議な夢を見ます。
へんてこりんだなあと思いつつも、自分の胸の内に秘めた願望が如実に表れていることもあります。
偶然知り合った美しい婦人を、どうにかして絵画制作資料のための撮影モデルになってもらおうと、下心を隠したまま必死にお近づきになろうとしている夢を見ました。
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さて、先日からブログで取り上げている「小林清親」は、東京の風景を描いた光線画も有名ですが、「ポンチ絵」を描いたことでも知られています。
今までの小林清親のブログ
①清親の年表と人生について
②清親の光線画について
ポンチ絵というのは現代においては色々意味があるようです。
ポンチ絵の意味
①浮世絵におけるポンチ絵
明治時代の漫画雑誌「ジャパン・パンチ」に由来する風刺画・世相漫画のこと。後に「漫画」という新しい言葉に代わられていった。
②工業製品におけるポンチ絵
機械設計など工業製品の開発において、設計図の前段階として描画される概略図・構想図を正式な図面ではない「落書き」の意味合いでポンチ絵と称する。
③官公庁におけるポンチ絵
補助申請書などの公文書において、事業や計画の概要をダイヤグラム的に図示することで公文書の内容を補足した図面のこと。
1990年代以降、プレゼンテーションソフトウェアを使用して事業などの内容を図表化・図示化した資料のこともポンチ絵と称するようになった。
清親のポンチ絵は①の浮世絵のポンチ絵のことです。「ジャパン・パンチ」をよく研究し、1881年には戯画錦絵の『清親ポンチ』シリーズを版行しました。
ちなみにポンチ絵のもととなった「ジャパン・パンチ」のパンチにも由来があるようです。
プルチネッラ (イタリア語: Pulcinella)
プルチネッラ は、イタリアの伝統的な風刺劇コメディア・デラルテに登場する道化師である。高い鼻と太鼓腹、白い服とは対照的な黒いマスクを外見的特徴とする。
(引用:プルチネッラ - Wikipedia)
コメディア・デラルテは仮面を使用する即興演劇の一形態。16世紀中頃にイタリア北部で生まれ、主に16世紀頃から18世紀頃にかけてヨーロッパで流行し、現在もなお各地で上演され続けている。(引用:コiンメディア・デッラルテ - Wikipedia)
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プルチネッラはイギリスに伝わり、「パンチ」(Punch) という名の毒舌の道化師として知られることになる。
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人形劇「パンチとジュディ」
イギリスの人形劇とそのキャラクター、およびイギリスを中心とした英語圏の童謡であるマザー・グースの1編である。基本はパンチが赤ん坊を放り投げ、ジュディを棍棒で殴り倒し、その後も犬や医者、警官やワニなどを殴り倒し、死刑執行人を逆に縛り首にし、最後に悪魔を殴り倒すというのが大筋である。残酷ながらもその荒唐無稽なドタバタ喜劇がイギリス国民から人気を集めている。
登場キャラクターのパンチは、プルチネッラ(Pulcinella)が「Punchinello」と綴られ、それが後に「Punch」 に縮められたものである。
(引用・参考:パンチとジュディ - Wikipedia)
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週刊風刺漫画雑誌「パンチ」
リチャード・ドイル画『パンチ』表紙(1867年)
『パンチ』は、ヘンリー・メイヒュー及びマーク・レモン、そして木版画家エビネザー・ランデルズにより、1841年7月17日に創刊されたイギリスの週刊風刺漫画雑誌である。(引用:パンチ (雑誌) - Wikipedia)
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イギリス国外で『パンチ』の派生雑誌として、日本の『ジャパン・パンチ』や、中国の『チャイナ・パンチ』、アメリカ合衆国の『パンチネロ』 (Punchinello) が販売される。
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漫画雑誌「ジャパン・パンチ」
出典:Category:Charles Wirgman - Wikimedia Commons
チャールズ・ワーグマン画「ジャパン・パンチ(Japan Punch)」1878年7月号
1862年から1887年までイギリスの画家で漫画家のチャールズ・ワーグマンが執筆、イラストレーション、出版していた風刺漫画雑誌である。幕末横浜の社会的背景を反映し、日本の内政と外国人居留者の生活の葛藤から生まれるフラストレーションを描いたものだった。(引用:ジャパン・パンチ - Wikipedia)
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日本の絵師たちが影響を受け、似たような風刺画を描き始める。
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浮世絵のポンチ絵
まさか「ポンチ絵」の由来をさかのぼっていくと、イタリアの道化師にたどり着いたのは驚きです。
清親のポンチ絵を見てみましょう。
出典:「傑作浮世絵コレクション 小林清親ー光と影をあやつる最後の浮世絵師ー」(発行者小野寺優、解説濱田信義、川出書房新社、2017年。)
左の鉢巻き姿の酔っぱらいが、蹴とばしたお膳が芸者の顔に当たってしまっている。
花柳界でどんちゃん騒ぎをしている官吏を描いています。真ん中の人物の長い髷の表現は、役人を描くときにしばしば使われたそうだ。
出典:「傑作浮世絵コレクション 小林清親ー光と影をあやつる最後の浮世絵師ー」(発行者小野寺優、解説濱田信義、川出書房新社、2017年。)
「清親放痴 東京大川端新大橋」(部分)1881年
放痴と書いて「ぽんち」と読む。
絵の清親放痴と文字の書かれた場所の周りにはうちわを扇ぐ人々(?)が描かれている。それに呼応するように、絵の女性が描かれた部分は突風が起こっているようだ。
傘さえも壊れるような天候の中歩く立派な体格の女性は、猛然と進んでいる。
出典:「傑作浮世絵コレクション 小林清親ー光と影をあやつる最後の浮世絵師ー」(発行者小野寺優、解説濱田信義、川出書房新社、2017年。)
「清親ぽんち 両国えこういん」(部分)1881年
汗を流して突っ張る横綱の股下を、ヒョロヒョロの力士が抜けていっている。そばの行氏はその光景に爆笑。
出典:「傑作浮世絵コレクション 小林清親ー光と影をあやつる最後の浮世絵師ー」(発行者小野寺優、解説濱田信義、川出書房新社、2017年。)
「清ち可 保ん知 東京王子瀧の川」(部分)1881年
シルクハットのを被った小柄な男性がベンチ(床几)に腰を掛けて紅葉を鑑賞している。そこに現れたのは立派な体格の女性。端に女性が座ると、まるでシーソーのようにそのベンチは傾き、反対側の端に腰かけていた男性は飛び上がってしまった。かぶっていたシルクハットも、コップも宙に浮かぶ。
茶屋のおばさんは男性をお盆で受け止めようと手を伸ばしている。
少しクスッと来る内容の絵が楽しいですね。
名所と共に描かれたポンチ絵は、清親が本当に目撃したものかも。そんな想像をしながら見るとなお楽しめます。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。