戦場のザビエルー戦地でも能力(奇跡)が発動ー
今日も生きてます。
中学生の頃は何とも思わなかったけれど、世界の中にある絵画ってほとんど宗教に関係するものなんですよね。
西洋の美術は印象派以前の有名な作品は宗教画多いですよね。
日本でも神様の絵画は古くからありますし、日本でメジャーな画題である「花鳥風月」も、絵に描かれたものとしては現実にある自然ですが、その背景にはアニミズム的な思想があり、そういったものを描き手は表現してるのでしょう。
昔は写真とか無かったため、布教のために視覚的に訴える絵画は必要であったこと、芸術作品の制作には多額のお金が必要なことを考えると必然なのかな。
今まで取り上げてきたザビエルの連作絵画を描いた人は、おそらくカトリック教徒だと思いますが、ザビエルの起こした奇跡を本当に信じていたのでしょうか?注文に対して応えていくいく職人的かつ生業だから描くのは当たり前じゃという面もあると思うのですが、少し気になりますね。
現代の作家は昔と違って画題も自分で決めて作品を制作していくわけですから、もし霊的なものをモチーフとして扱う場合は、作家の信仰って重要なことですよね。といよりも本人が意識せずとも作品には出てしまいますね。
友人や作家仲間の中には、霊的なものと深く通じている人もけっこういます。話を聞いていると自分の世界の狭さに驚きます。
問題は私が全くそのような感覚ないことですね!
さて、さて、今日もザビエルの本「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)を読んでいます。
数々の奇跡を起こしたザビエルの生涯を、その奇跡も含め20枚の連作絵画として表現した作品があります。
ポルトガルの首都リスボンにはサン・ロケ教会があり、そこにザビエルの連作絵画は飾られています。
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
↑リスボンにあるサン・ロケ教会の聖具室。ここに連作絵画が飾られている。
ザビエルがどのような経緯で宣教師になったのか?そしてなぜ遠いアジアまで来ることになったのか?というようなことをブログでは取り上げてきました。
ザビエルの生涯①
ザビエルは何故アジアまで布教しに来たのか。そもそも布教する前は何してたのか。 - リアル絵描き日記
ザビエルの生涯②
旅に出るザビエルーヴィネツィア編と謎の杖ー - リアル絵描き日記
ザビエルの生涯③
来日したザビエルの腕の価値観雑談と、ザビエルの生涯ーローマ教皇編ー - リアル絵描き日記
ザビエルの生涯④
GO TO ザビエルーインドへ出航編ー - リアル絵描き日記
ザビエルの生涯⑤
ザビエルの生涯⑥
ザビエルの起こした奇跡ーインドで覚醒するザビエルの能力ー - リアル絵描き日記
〇前回までのザビエル〇
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
「マラッカに渡る船中でくみ上げた海水を飲み水に変えるザビエル」
バスク地方の格式のある貴族として生まれたザビエル。
しかし一族は隣国の侵略によりどんどん没落していく。
そんな中、ザビエルはパリの大学に留学する。
故郷も一族の誇りもなくなりつつあったザビエルに近寄ってきたのは、キリスト教の熱心な信仰者ロヨラだった。しかもなんという因果か、ロヨラはザビエル一族が参加した反乱に敵の軍人として戦っていた。
ロヨラと同室のなったザビエルは、ロヨラの影響をどんどん受けていく。いつの間にか二人と仲間たちは「イエズス会」を立ち上げた。
イエズス会一行はヴィネツィアで奉仕活動をした後、ローマ教皇に正式に認められ、宣教活動を始める。
カトリックは当時宗教改革の影響で覇権を東側・アジアに広めていこうという方針があった。そこで成立して間もないイエズス会がアジア布教を任された。ポルトガル国王のご指名だった。
ザビエルは代理抜擢ではあったがインドへ行き、積極的に布教を進めていく。
各地で奇跡を発動させつつ、信者を獲得していった。
ザビエル、働き盛りの40代であった。
さて、インドで布教を続けるザビエルですが、その頃ポルトガル艦隊はアチェ王国と海戦を繰り広げていました。その海戦の様子がザビエルの連作絵画の中でも描かれています。
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
「アチェ王国との交戦に出陣するポルトガル兵士たちにキリストの磔刑像の十字架をかざして加護を祈るザビエル」
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
画面中央の白い服がザビエルです。
ポルトガル兵士たちの加護を祈ってます。
画面左側では並んだポルトガル船に物質を積み込んでいます。
兵士も乗り込もうとしています。
画面の後方では交戦の様子が描かれています。
戦争の時に宣教師はこのように兵士を励ます仕事に従事するんですね。
「インドネシアのモロッカ諸島へ航行中の座礁船を救うザビエル」
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
ザビエルはインドネシアのモロッカ諸島でも布教活動に励みます。
↑の作品はモロッカ諸島へ渡るとき、ザビエルが乗船した船でザビエルが起こした奇跡を描いたものです。
洋上で船が砂州に乗り上げて難破しかけた際、船上でザビエルが祈ると突然幼少のイエスが海上に現れて船を救い、航行を続けることができました。
真ん中で祈るザビエル。
そしてイエスがこの子供でしょう。
気になるのは画面左端で海面を悲しげな表情で見る人。
目線の先の海面には、落ちてしまったのか…子供が波間に見えます。
犠牲者もいたということでしょう。
「セラム島へ渡る途中で落した十字架をハサミに挟んで歩くカニに出会ったザビエル」
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
これもザビエルの奇跡の一枚です。
ザビエルが船で移動中、突然の嵐に巻き込まれてしまいます。そこで大事な十字架をザビエルは海中に落としてしまいます。
嵐が収まって島に上陸すると、カニに出会います。
そのカニのハサミを見ると、なんと落とした十字架を挟んでいるではないか…!
旦那、忘れ物ですぜ!(かに)
とでも言っているような感じですね。
信者の中でこの奇跡は「カニの奇跡」として語り継がれているそうな。
かわいらしいエピソードで個人的には好きです。
「イスラーム教徒の破壊・略奪を受けるマラッカの街はずれの高台で聖書を開き祈りをささげるザビエル」
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
戦場はマラッカ。
右端には略奪をするイスラム教徒が描かれています。
三日月の赤い旗はイスラム教徒のものです。
画面左端にはポルトガルの国旗を掲げた艦隊が到着し、マラッカを救済しようとしています。
画面中央でザビエルは祈りをささげています。
ザビエルの布教活動は範囲を広げてインドから東南アジアへと広がっていきました。
この東南アジアでの活動の中でザビエルはある一人の日本人と出会い、日本へ旅立つことになります。
やっと日本がでてきましたね!
次回に続きます。
今日はここまで
最後まで読んでいただきありがとうございました。