インドでのザビエル
今日も生きてます。
先日落語を聞きに行きました。
浅草の演芸ホールです。初めていきました。
客席は一席ずつ間隔をあけて座り、最前列は使用禁止です。
落語家さんはさすがにマスクしていませんでしたが、客はマスクと検温消毒必須でした。何より休憩中の容赦のない換気は強烈で、寒い風が館内に入ってきて、ばっちし目が覚めました。
あまり外に出なかったからわからなかったけど、コロナ対応まだまだ続いているんですね。
舞台の中でも印象に残っているのは紙切りです。
やっぱりお客様のリクエストに応えて即興で作品を作る紙切りはすごいですね。以前末広亭でも見たことありました。今回はアメリカ大統領というリクエストにトランプさんとバイデンさん両方表現してたなあ…。
そしてNHKの落語番組「落語ディーパー」に出演していた落語家さん「わさびさん」の落語が聞けたこともうれしかったです。ハートフルな露出魔が出てくる新作落語で、とても面白かったので一生忘れません。
明日落語見るからといつもより多めに睡眠とっておいたつもりなんですが、やはり眠ってしまうんですよね。(しかもキャリア長めの年長の落語家さんのときに限って。)
舞台から客席は良く見えると思うので、眠らんように眠らんようにと思っているのですが、頭がゆらゆら…ほんとうにすみませんでした!
さて、今日もザビエルの本「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)を読んでいます。
本によると、ポルトガルの首都リスボンにあるサン・リケ教会の聖具室には、ザビエルの生涯をテーマにした20枚の連作絵画があります。
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
リスボンにあるサン・リケ教会の聖具室↑
ザビエルがどのような生涯を送ったのか、連作絵画と本を参考にしながら取り上げてきました。
これまでのザビエルブログ↓
ザビエルの人生①
ザビエルは何故アジアまで布教しに来たのか。そもそも布教する前は何してたのか。 - リアル絵描き日記
ザビエルの人生②
旅に出るザビエルーヴィネツィア編と謎の杖ー - リアル絵描き日記
ザビエルの人生③
来日したザビエルの腕の価値観雑談と、ザビエルの生涯ーローマ教皇編ー - リアル絵描き日記
ザビエルの人生④
GO TO ザビエルーインドへ出航編ー - リアル絵描き日記
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
「インド宣教への船出を前にポルトガル国王ジョアン3世に暇乞いするザビエル」
故郷を離れてパリで留学するザビエルは一人の男と出会う。
そう、のちに一緒にイエズス会を立ち上げることのなるロヨラだ。
キリスト教に熱心な信仰者ロヨラの影響をうけて、ザビエルは仲間と一緒にイエズス会を立ち上げる。
ヴィネツィアで奉仕活動をした後、イエズス会一行はローマ教皇に謁見し、認めてもらう。
ついにイエズス会の宣教活動は本格始動。
宗教改革の影響でカトリックは東側であるアジア方面に影響力を強めていこうという策略があった。
策略の核となるアジア布教を任されたのはなんと俺たち(?)イエズス会!ポルトガル国王のご指名だ!
もともとアジアへ行く予定の仲間が病気でダウンしてしまった。この大役に急遽ザビエルが代理抜擢される!
どうなるザビエル!
言葉も通じない土地でどうやってキリスト教のすばらしさを伝えていくんだ!?アジア布教は彼の手にかかっている!
というのが前回までのザビエルでした。
今日は無事インドに到着したザビエルがどのようなことをしていたのか見ていきます。
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
「インドのゴアの教会で病める男性を癒すザビエル」
真ん中で白い衣装を着ているのがザビエルです。
タイトルの病める男性はこの人でしょう。
宙をみていますね。何か神秘的なものが見えているのでしょうか。
右奥の人々は祈りをささげています。
ザビエルの後ろに高貴であろう人が二人います。
片方がインドの総督ではないかと推測されています。
左端にはマリアの祭壇があります。
現地のインド人を布教している場面ではありませんが、現地のカトリックのポルトガル人に対しても施しを行っていたことがわかりますね。
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
「インドのゴアで民衆に説教をするザビエル」
黒い服を着て群衆の前に立っているのがザビエルです。
こういうことを思っても発してはいけないかもしれませんが、この連作、もしかしたら絵によって力量にばらつきがあるのかもしれませんね。
工房作ということなので数人がかりで制作しているのでしょう。
インドの民衆を前にするこのザビエルは美化にかけている気がします。他の作品ではもう少しかっこいいのに…この作品は他の連作絵画に比べて描きこむ人も多いから大変だっただろうな…個人的な推測です。
ザビエルを取り巻いているのは現地の人々です。
題名の通りインドの人々に対してザビエルが説教をしている場面が描かれています。
絵の最奥部には司教座教会を有するとみられる教会も描かれています。
ザビエルの後ろには絵が掲げられています。
ザビエルたちは言葉の通じにくいアジアで、こうした視覚的に効果的なものを用いて抽象的な理論などを訴えていきました。
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
「インド南部で信者となった漁民たちとともに十字架を建て説教をするザビエル」
ザビエルはインドに到着した後、各地を回って精力的に布教しました。
1542年には5月にインドのゴアに上陸
9月にはインドの南部へ
1543年11月にはまたゴアに戻っています。
(アクティブですね。)
上の作品はインド南部で布教した時の場面が描かれています。
インドのゴアからコモリン岬まで続くマラバル海岸には、漁業を生業にする人が多く生活しており、そのほとんどがヒンドゥー教でした。
そういう村へザビエルは訪れて改宗を促しました。
絵の中ではキリスト教へ改宗した漁民たちとと共にザビエルが十字架を立てています。
絵の奥にも人がいますね。
彼らは何をしている人でしょうか
ザビエルは全員を改宗したわけではなく、ザビエルの活動をよく思わない人々が、モリなどの漁業で使用するものを武器として持ち、集まっている様子が描きこまれています。
こういう対立勢力も絵の中に描きこむんですね。
この村では一万人の信者を獲得することに成功したといわれているそうです。
いきなりキリスト教を信じなさいといわれてなぜ改宗するかって不思議ですよね。
秋田にいたころ家にキリスト教徒の方が布教にきたことありました。私は中学生でしたが、聖書の一説を唱えて帰られました。秋田では玄関閉めてなかったからな。
友人と道端を歩いていたら自転車に乗っていた外国のわかいお姉さんに取り囲まれて「神を信じますか?」と聞かれたこともありました。正直怖かった笑
余談は置いておいて、そのときインドはポルトガルの植民地です。インドで改宗した人の中には、ポルトガルの人と仲良くして何か融通してほしいと思う方や、そもそも反逆したら何されるかわからんと思う方もいたかもしれません。
ちなみにキリシタン大名の中でも、改宗の目的が信仰ではなく、武器や弾丸などを輸入をしたかったためという人もいたそうな。
次回に続きます!
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。