夫婦って不思議…画家マティスの妻とヒトラー夫婦雑談。
今日も生きてます。
ここ何回か、巨匠の妻たちについて取り上げてきました。「画家の妻たち」(澤地久枝著、文藝春秋)を参考にしています。
歴史的有名人の妻というのはやはり興味深いです。
あまりテレビを視聴する習慣のない私ですが、ヒトラーの妻「エヴァ」をテーマにしたNHKの番組があったので、このブログで最近妻を取り上げていることもあり、せっかく受信料を払っているのだからたまには見てやろうということもあり、最後までガン見しました。
(テレビをみる習慣が無いのはテレビがついているとずっと見てしまい、他のことが手つかないからです。テレビ番組って飽きさせない編集ですごいです。)
ヒトラーの妻エヴァは20歳ほど若く、その存在は極秘にされて、正式に結婚したのはヒトラーとエヴァが死ぬ前日です。ナチ党が戦争で絶望的な状況になっていく中、二人は式を挙げ、翌日自殺します。
番組の中では司会者とゲストが彼女の言葉や行動からいろいろとエヴァの心情を考察されていました。
ヒトラーはエヴァと出会う前にずっと親密にしていた人がいたのですが、その人が自殺して悲しみます。個人的に私が興味深かったのはエヴァがヒトラーと親密な中になるため、エヴァがその自殺してしまった元恋人の真似をし始めることです。
怖いです。笑
そしてうまくヒトラーを取り入れたエヴァは戦争とは全く無関係の山奥の山荘(ヒトラーが建てた)で、自分の家族も呼んではしゃいで暮らしています。同じころヒトラーはユダヤ人を迫害し、戦争での死者は増え続けています。
そのころのエヴァのホームビデオが残っていますが、馬鹿みたいに暮らしていて、戦争とのコントラストがひどいです。もちろんヒトラーが何をしているかエヴァは知っていました。
しかしナチ党がもう終わりになるときにエヴァはヒトラーから山奥の山荘(安全な場所)に引き続きいるように指示しますが、なぜかヒトラーがいる戦争真っただ中の戦地に下山してきます。そして式を挙げ→自殺の流れです。
逃げて何か問い詰められても嘘八百を発動させれば命は助かったかもしれないのに…エヴァはヒトラーの金や権力だけを目的に取り入ったのではないんですよね。最終的には抜け出せなくなったんだろうなあ。
ということで雑談はここまで。
今日は絵画の巨匠アンリ・マティスについてみていきます。
1869-1954
それまでの西洋絵画になかったような色使いで作品を発表し、サロンを驚かすと、その激しい色使いから、フォーヴィズム(野獣派)と称されるようになる。そこから色彩と形態と装飾をうまく画面に構成し、のびのびとした作品を制作し続ける。
1869年
北フランスの裕福な家の第一子として生まれます。
パリの法律学校卒業後、法律事務所に勤めます。
21歳
中垂炎で入院中に、母から与えられた画材で絵を描き始めます。
23歳
パリ国立美術学校受験、二度目で入学します。
29歳
アメリー・バレールと結婚します。
30代頃に父親が支援を打ち切ります。そして貧乏のどん底です。
35歳
サロン・ドートンヌに10点出品します。
あまりにも斬新な表現は非難を浴びてしまいます。
しかし、ロシアのコレクターシチューキンに見出されます。
40代には貧乏生活は脱却していました。
マティス画「青色の裸婦」
出典:「101人の画家ー生きていることが101倍楽しくなるー」
(早坂優子著、株式会社視覚デザイン研究所発行)
マティス画「音楽」
出典:「101人の画家ー生きていることが101倍楽しくなるー」
(早坂優子著、株式会社視覚デザイン研究所発行)
42歳
モロッコへ旅行します。
マティス画「金魚」
出典:「101人の画家ー生きていることが101倍楽しくなるー」
(早坂優子著、株式会社視覚デザイン研究所発行)
マティス画「テラスにて」
出典:「101人の画家ー生きていることが101倍楽しくなるー」
(早坂優子著、株式会社視覚デザイン研究所発行)
45歳
51歳
パリと南仏ニースに住み、往復します。
有能な秘書リディアを雇います。しかしリディアに惹かれるマティスに妻のアメリーは愛想をつかし、別居してしまいます。
出典:「101人の画家ー生きていることが101倍楽しくなるー」
(早坂優子著、株式会社視覚デザイン研究所発行)
マティス画「模様地のなかの装飾的人体」
出典:「101人の画家ー生きていることが101倍楽しくなるー」
(早坂優子著、株式会社視覚デザイン研究所発行)
61歳
バーンズ財団の依頼でダンスを制作します。
71歳
第二次大戦
72歳
リヨンで腸閉塞の手術をします。
この頃はベッドの上で制作しました。
マティス画「偶像」
出典:「101人の画家ー生きていることが101倍楽しくなるー」
(早坂優子著、株式会社視覚デザイン研究所発行)
79歳
南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂の装飾に着手します。
82歳
切り絵で制作します。
ニューヨーク近代美術館で個展をします。
1954年
84歳で亡くなります。
出典:「101人の画家ー生きていることが101倍楽しくなるー」
(早坂優子著、株式会社視覚デザイン研究所発行)
マティスの妻はアメリー・ノエリ=アレクサンドリース・パレールです。
詳細はわかりませんが、アメリーはトゥールーズ出身で、上の作品のモデルとなった女性です。1897年、マティスとアメリーは結婚します。二人は結婚する何か月か前に初めて会いました。
マティスには連れ子がいました。
モデルのカロリーヌ・ジョブロウとの子供です。
マティスはモデルの女性に次々手を付けるタイプ。マティスとカロリーヌの関係は終わっていましたが、マティスは娘のマルグリット・エミリーヌを認知します。
マチスの妻となったアメリーは、マルグリット・エミリーヌを育てることになりました。その後マティスとアメリーの間には二人の息子が生れます。
結婚後、 なかなかマティスの作品に買い手がつかず、マティス家の経済は大変なことになります。
そんなときにアメリーは帽子店を開いて働き始めます。強く、自立した女性であることがわかります。
ちなみにこのときにマティスは借金までしてセザンヌの作品やロダンの彫刻、ゴッホやゴーギャン、ルドンの作品を買い求めていました。その後作品が売れるようになり、経済的に安定しましたが、アメリーは体調を崩し帽子屋さんを閉店します。
貧しい中を支えあい、成功をつかんだ二人でしたが、結果的に二人は別居します。
理由はモデル兼秘書として雇った若くて美しいリディア・デレクターズカヤの存在です。リディアにそのつもりはなかったかもしれませんが、マティスはリディアに惹かれていました。写真が残っています。リディアは本当に美人さん。
「あの女の子とわたしの、どちらかを選んでください」
と言ったそうです。
マティスは「私は彼女を置いておくことにした。彼女は私の所得税申告書を用意する際にすごく役立つ」と答えたそうです。
この時、二人とも70代です。
アメリーの熱が全く冷めてないなあ。
結果、1939年、妻のアメリーは単身でパリへ戻ります。
財産は分割されました。
その後、リディアは夫婦の関係を悪くしてしまったことに罪悪感を感じて自殺しようとします。しかし死ぬことはできず、重度の後遺症が残ってしまいます。その後マティスのマネージャーとしてマティスと生活を共にします。
リディアは巻き込まれて本当にかわいそうです。
その後病気で入院した先の女性看護師モニーク・ブルジョアとプラトニックな関係を築きました。
年齢的に若いころのように肉体的なかかわりを持つことはできないのかもしれませんが、マティスのようなタイプの人は女性への興味はいくつになっても消えないようですね。
1954年にマティスが亡くなり、その4年後にはアメリーも亡くなります。
結果的にマティスと同じ墓に埋葬されました。
死んでからまた一緒の場所に戻るなんて…夫婦って不思議ですね。
アメリーはなんでリディアとマティスの関係が許せなかったんだろう…不思議。それまでマティスが浮気してなかったとは思えないし。それまで積み重ねていた不満があったのかな。
何十年も連れ添ってきた夫婦の気持ちは、私のような若輩者にはわかりかねます。
ですがそこまで何かを思えるパートナーと出会えたことは人生にとって素敵なことだと思います。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。