印象派の巨匠を愛した妻たちー絵画でスキャンダルを巻き起こした巨匠マネー
今日も生きてます。
画家の妻たちという本を読んでいます。
あらかたざっと読んだのですが、やはり私自身が女性ということもあり、妻のほうに感情移入してしまします。
旦那である夫は芸術に対してはとても真摯なのに、当然のようにモデルと複数交際するなど、パートナーに対してはどうして不誠実なんでしょうか。
巨匠によっては憤りを感じました。
もちろんそのような画家ばかりではありません。一途な人もいます。
しかし そこで我に返りました。
巨匠ではないが私も絵描いているし、二股なぞはしたことないが、制作と俺どっちが大事なんだ的なこと言われたことが過去にあったような……
結果、巨匠とその妻たちに土下座したくなりました。
今日は印象派の妻たちを見ていきます。
パリで生まれ、活躍した画家。
それまで描かれなかった現代の人のありのままの姿を、平面的な表現を加え、革新的な作品を描いた。
高級官僚の父のもと、ブルジョワの家庭で育ちます。
18歳
画家を志し、歴史画のアトリエに通います。
後の妻となるシュザンヌ・レーンホフと恋に落ちる。
20歳
長男レオンが誕生。
29歳
スペインの歌手がサロン初入選。
エドゥアール・マネ画「スペインの歌手」
31歳
草上の食卓がスキャンダルに
エドゥアール・マネ画「草上の食卓」 シュザンヌと正式に結婚する
35歳
パリ万博
特設会場で個展を開く。
42歳
第一回印象派展の出品を断る。
47歳
骨の腐る病気になる。
1883年
51歳
左足切断の11日後に亡くなる。
印象派に巨匠マネの妻はシュザンヌ・レンホフです。
シュザンヌ・レンホフは1830年オランダの小さな町に住むオルガン教師の子供として生まれます。ピアノの才能が認められ、パリに勉強に来ていました。
マネと出会うきっかけはシュザンヌがマネの弟のピアノ教師としてマネの家に出入りするようになったことです。
1851年、マネ家に衝撃が走ります。
なんとシュザンヌがマネとの子供を身ごもったのです。
19歳のマネはシュザンヌを愛していましたが、マネの厳格な父親は身分の低い娘との結婚を許すはずはありませんでした。
1852年に生まれた子供はレオン=エドゥワール・コエラと名付けられます。
戸籍上はコエラは架空の父親とシュザンヌの子供になり、世間に対してはシュザンヌの母が生んだ子供、つまりシュザンヌの弟として生きていくことになります。
マネは次々と浮気したようですが、結局マネの父親が亡くなった翌年1863年、マネとシュザンヌは正式に結婚します。
13年越しの結婚です。
マネ画「驚くニンフ」
モデルは妻シュザンヌといわれる。
シュザンヌはいろいろと詮索するタイプではなく、マネが慎重に仕事を進めているときはアトリエに行くことは遠慮していたようです。
画家のマネにとっては聡明でいい妻であったのでしょう。
マネは普仏戦争のときに軍務につき、パリから避難先の妻シュザンヌへ手紙を書いています。
その手紙の内容は…
「愛するシュザンヌ、僕は長い時間をかけて君の写真を探した。とうとう客間のテーブルの引き出しの中にアルバムを見つけた。今では君の愛しい顔を始終眺めることができる。」
(1870年10月23日)
「君をもう一度腕の中に抱きしめることができたら、僕はなんと幸せなことだろう!」
(12月18日)
などなど、妻シュザンヌへの愛に溢れています。
旅へ出るときは常にマネとシュザンヌは一緒であったようです。仲良しですね。
ちなみに同じ印象派と言われた画家のドガとマネは友人で、ドガはマネ夫妻の肖像を描きますが、マネは妻シュザンヌの描かれた顔が気に食わなかったようで切り離しています。
にしても描かれたマネはリラックスの極みポーズですね。
こんな風に不自然に切り取られると逆に気になります。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。