巨匠たちの描くピクニック絵画を楽しむ
今日も生きてます。
暑いですね。
危険な暑さが連日続いてます。
ということで、エアコンが効いた部屋で「食べる西洋美術史ー最後の晩餐から読むー」(宮下規久朗著、光文社新書)を読んでいます。
「食べる」に着目して新鮮な視点から絵画を読み解いている本ですが、中には屋外での食事「ピクニック」風景を描いた作品も取り上げられています。
外出は危険なので、今日は巨匠の描いたピクニック風景の作品を見てお出かけ気分を味わいたいと思います。
18世紀のフランスでは、上層市民が自然の中で集っている場所を描いた絵画「雅宴画」(フェート・ギャラント)が流行しました。
雅宴画の創始者ヴァトーという作家です。ヴァトーは屋外で戯れる貴族を描いていますが、飲食の風景は描いていません。
後継者のニコラ・ランクレは田園での宴会風景を描いています。
はめをはずした貴族の様子なんでしょうか?真ん中の男性はテーブルに足をかけて酒を注いでます。真ん中の大きなハムがメインディッシュのようです。
手前の地面では犬が残飯を漁っています。食器も割れてますし、全体的にとり乱れています。
上の作品は狩の合間に食事をとる男女です。
テーブルの上には大きな肉のパイ、ローストしたたくさんの肉、ワインなど…。
なんと豪華なピクニック!(参加希望!)
画面左には別荘のような建物から使用人が出入りしており、料理はそこで調理されているのがわかります。
こうした雅宴画は、当時の貴族のありのままの姿というより、理想化されたイメージでした。
↑は超有名な作品ですね。マネの「草上の昼食」です。
マネは近代絵画の父と呼ばれる作家の一人です。
現代の人間の目から見ても、「?」と思う状況設定です。ピクニックにきたと思われる男女ですが、男性はきちんと正装しているのに対して女性は水浴後という設定で裸です。
ランチをチェックすると、左手前にクシャっとされた敷物と一緒にパンと果物があります。食べたいとは思わない。
この作品はサロンには落選し、スキャンダルになりました。
制作者のマネの意図は、当時流行っていたピクニックを、昔の神話風絵画になぞらえて表現しようというものでした。
↓はマネが意識したと思われるジョルジョーネの「田園奏楽」
女性は何かの寓意として描かれているのか?男性二人は全く女性を見ていないため、見えていないかのようにも思える。
↑はモネの「草上の昼食」の習作です。
マネとモネ。どちらも印象派という区分に入っているし、ややこしいですよね。
モネの「草上の昼食」は森の木漏れ日の中にピクニックを楽しむ男女か描かれています。
何を食べているのかな~?とランチをチェックしてみると、りんごや西洋梨、葡萄、鶏肉、フランスパンやワイン瓶が並んでいます。この人数に対してちょいとワインが少ないようにも感じます。
モネは美味しいものを描きたいというよりも、別のテーマ(木漏れ日の光など)があるようです。
↑はルノワールの『舟遊びをする人々の昼食』です。この作品も有名ですね。
賑やかな雰囲気が伝わってきます。食卓の上には果物などのデザートがあり、ワインとワイングラスも並んでいます。しかし食後なのか、テーブルを囲んでいる割には飲食をしている人は少ないです。
ルノワールは食事の内容よりも陽光に照らされた人々の華やかな雰囲気に関心があったのかと思われます。
マネの作品を引用した「天上の身体、冒涜/聖体拝領」という写真の作品があるそうです。
制作者はアメリカの写真家ジーン・フレイザーで、マネの「草上の昼食」と同じような設定で、レズビアンである作者が裸でポーズしています。
草上の昼食の中の男性たちは修道女の二人になっています。
カトリックは同性愛を厳しく攻撃していた歴史があるようです。日本に住んでいるとわかりませんが、その差別はそれを理由に暴行事件があったほどひどいものです。
(その割にはカトリックの司祭が少年に性行為を強要するようなセクハラの事件もありますよね。ひどいですね。)
この作品は、マネの草上の昼食が女性蔑視であることや、異性愛しか認めないモラルへの反発のメッセージが含まれています。
フェミニズムやジェンダーレスの観点で美術史を見るとそれもまた面白いです。
ピクニックの作品でも最初の頃は、食べているものにも作家の熱が入っていましたが、時代が進むにつれて、食料はただテーブルの上に載っているだけのような役割になります。
食料の供給率が低く、飢餓と隣り合わせだった時代は、美味しそうな食べ物や食料に関心のある絵画が制作されましたが、飢餓の心配が失くなり、食材のベストな姿を残せる写真が登場すると、絵画のなかで食料そのものへの関心は薄くなり、食事をとりまくものの中に作家がそれぞれテーマを見つけて作品を制作するようになったのかな?と理解しました。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。