儚さを描く「ヴァニタス」の深読み
今日も生きてます。
さて、「食べる西洋美術史」(宮下規久郎さん著、光文新書)読んでます。
思ったよりも「食」の幅が広くて面白いです。
中に「ヴァニタス」について触れられています。
ヴァニタスについては有名な画題なので美術に関心がある方はご存じと思います。
ヴァニタスは、ラテン語で「空虚」「むなしさ」を意味する言葉で、人生のむなしさや無情観、死の不可避性を警告する絵の画題です。16-17世紀にかけてヨーロッパ北部でたくさん制作され、死を想起させるようなモチーフ「頭蓋骨、時計、消えたランプ…」などなどをモチーフにした静物画です。
ヤン・ダヴィス・デ・ヘーム - Web Gallery of Art: 静止画 Info about artwork, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15394926による
上の作品はひっくり返った杯や時計がモチーフとして描かれています。絵のメッセージの中には「ヴァニタス」も含まれていると思われます。
ピーテル・クラース, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4892401による
Evert Collier - Berger Collection: id #118 (Denver, Colorado), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6436155による
コルネリス・ド・ヘーム - Web Gallery of Art: 静止画 Info about artwork, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6946533による
聖書には贅沢を戒めるイエスのたとえ話「金持ちとラザロ」というものがあります。
「金持ちとラザロ」のあらすじ
ぜいたく暮らしをしている金持と、その金持ちの残飯で飢えをしのいでいた貧乏人のラザロがいました。そして金持ちもラザロも亡くなってしまいます。
貧しい人は死後アブラハムの宴席に迎えられましたが、金持は陰府(キリストの地獄的なところかな?)炎の中で悶え苦しみました。
金持ちは周囲の貧者に施しをするべき(慈善行為)という話ですね。私はキリスト教の信者でも金持ちでも無いですが、脅迫のように感じます。でも慈善は良いことですね。
↓はオアシス・ベールトが描いた「金持とラザロ」です。
前には豪華な食べ物がところ狭しと並んでいて、奥には宴席の前に裸で座り込むラザロが描き込まれています。
贅沢に固執すると死後に報いを受けるということを示しています。
しかし絵としては正直手前の贅沢な食べ物を鑑賞するのが楽しいですよね。
ヴァニタスの主題は旧約聖書を由来としているそうで、「コヘレト書」の中には、一切の労苦が空しいゆえに、限られた生における快楽を賛美する記述があるそうです。
「太陽の下、人間にとって飲み食いし、楽しむ以上の快楽はない。それは、太陽の下、神が彼に与える人生の苦労に添えられたものなのだ」
「さあ、喜んであなたのパンを食べ、気持ちよくあなたの酒を飲むがよい。あなたの業を神は受け入れてくださる。」
ヴァニタスにはもともと、この世の儚さだけではなく、人生が有限だからこそ貴重だとたたえる意味合いでもあったのでは?と著者である宮下規久朗さんは指摘しています。
ヴァニタスの画題の説明では虚しさばかりが全面に押し出されているように感じています。個人的には、そんな儚い美しさを素直に称えていこうよーと思います。
美しい静物を見るたびに、骸骨があるから・花が枯れてるから・時計があるから…これは戒めの絵なんだと、思うのが個人的にはやだなあ。
美しい世界の中でこの美しい静物画をみて、今日のこの出会いを神に感謝!ではダメですかね。
教訓や戒めのある絵に疲れを感じるときがあるので、宮下規久朗さんのヴァニタスの捉え方が好きです。
この本との出会いに感謝。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。