歌舞伎にまでなった伝説の無頼漢「雁金五人男」を知ろう!
今日も生きてます。
(国立国会図書館デジタルコレクションより引用)
前々回から美女に置き換えて表現している「見立て」の浮世絵を見てきました。
「見立て」は浮世絵の表現の世界では、モチーフを他のものになぞらえて表現する手法のことを言います。
本来はおじいさん姿である仙人を美女に見立てて表現されているものなどがあります。正直元のネタがわからないと全く楽しめない方向性のものがほとんどなので現代人としては困りますね。
今日はそんな見立て絵のひとつである鳥文斎栄之が描いた「見立て五人の茶屋女」をみていきます。
この浮世絵に描かれているのは当時の評判の美人娘たちです。
のれんに描かれる文様は、それぞれの娘が働いているお店の紋です。五つありますね。
浮世絵の中にはこのように紋が描きこまれているものよく見かけます。だいたい描かれた人物に関連するものが多いようです。
描かれている娘たちは個人的には皆同じお顔に思います。今のアイドルユニットのようですね。(数を揃える系のアイドルはまだ流行っているのでしょうか?)
題名には「見立て」とあります。
描かれた彼女たちは何に見立てられているのでしょうか?
当時有名な五人組の無頼漢がいました。人呼んで「雁金五人男」です。当時は有名であったようで、歌舞伎や浄瑠璃の題材にもなった人間です。
この雁金五人男は、大阪が活動場所でした。
まずは雁金五人男のメンバーを確認しましょう。
雁金文七(かりがねぶんしち)
雁金文七は雁金五人男のリーダーです。
雁金屋の息子。
イケメンと噂され、とんでもない暴れん坊でした。
22歳の時に奈良屋の店番を襲撃し、26歳には大阪の清兵衛に乱暴を働きます。
あまりに暴れん坊であったため、文七の父親が1699年に奉行所に息子を牢屋に入れてほしいと頼みます。(なんと!)そして役人は文七を監禁します。
それから一か月以内に父親が亡くなると、文七の収監に反対していた母親の嘆願書により、再犯は許さないぞと念を押され、釈放されます。
しかし釈放早々仲間の極印の千右衛門と組んで悪業を再開します。
極印千右衛門(ごくいんせんえもん)
極印千右衛門は、文七が投獄されていた頃より、ソロ(?)で長堀・小浜・四ツ橋・堀江などの歓楽街で騒ぎを引き起こし、人々に危害を加えていました。
その後文七とコンビで騒ぎを引き起こし始めます。
その後、様々なならず者がぞくぞく文七のもとに集まります。
庵の平兵衛(あんのへいべい)
仲間と共に悪事を働いていました。
後に文七の仲間になります。
布袋市右衛門(ほていいちえもん)
布袋市右衛門は、行いのせいで父親に勘当され宿無しとなってしまいました。
その後ついに喧嘩の相手に大けがをさせ投獄。
翌年の1月に特赦を受けて釈放されましたが、後に文七の仲間になります。
雷庄九郎(かみなりしょうくろう)
21歳のときに親に勘当されて宿無しとなってしまいます。
そして人を傷つけ、その他の暴力犯罪に加担していきます。
その後文七の仲間になります。
親が教育を放棄したことにより貧困になり、悪いことをすることでしか生活できなかったのでしょう。悪事を働いたグループです。
この荒くれ五人組は最終的には役人に捕らえられ、死刑になります。実際は他にも仲間がいたようですが、死罪になったのはこの5人だけでした。
亡くなったメンバーは皆20代で若くして亡くなりました。
この出来事が印象深かったのか、大阪ではこの5人を「浪速5人組」として語り継がれるようになります。
悪さを働いていた雁金5人組ですが、主に狙って襲っていたのは裕福な商人でした。そこから歌舞伎などの演目の中では「貧しいものの味方」というような扱いになります。
豊国「五人男女の内」
(国立国会図書館デジタルコレクションより引用)
ちなみに文楽人形で使用される人形の首(人形の首から上の部分のパーツ)の一つに「文七」というものがあります。これは文楽で雁金五人組をモチーフにした演目「五作男雁金」に使用されてからこの名称になったようです。この演目は大評判であったそうな。
さて、最初の見立て絵を見てみましょう。
鳥文斎栄之「見立て五人の茶屋女」
この評判娘5人組は雁金五人男の見立てですが、誰が誰に対応しているのかわかりにくいですよね。服装もほぼ同じなのでわかりにくいですが、着物の紋がそれぞれ雁金五人男の誰であるかを示しています。
向かって右から…
〇菊本おほん→雷庄九郎
〇立花屋おたつ→極印千右衛門
〇難破屋おきた→雁金文七
〇高島おひさ→庵の平兵衛
(※庵を転じて安と表示されている絵もあったので、上の紋も「安」を示していると思われる。)
〇中村屋おもよ→布袋市右衛門
(※紋が袋…これで布袋を表現しているのか?)
おそらく娘の着物の裾の染模様は娘の名前やお店に関連するもの。
肩辺りにある紋は雁金五人男の誰かを示しています。
上の豊国の浮世絵の揃い物の浮世絵の中にもそれぞれの服に紋が描きこまれています。
見立て絵の中の娘の帯も微妙に違うので何か意味があるのかもしれませんね。
ところで雁金五人男の浮世絵は皆尺八を背負っているんですよね。伊達女が描かれるときも尺八を背負っている女性の姿で表現されます。
江戸時代、いわゆる「ワル」はみんな尺八を背負って歩いているのが普通だったのかな…すごく気になるけど調べても答えが見つからない…
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。