美女に置き換えよう!浮世絵「見立て」の世界
今日も生きてます。
前回に引き続き「見立て」の作品についてみていきます。
浮世絵の作品はあるものを何か他のものになぞらえて描くという「見立て」の表現がありました。
前回は歴史的な人物や仙人、僧を、美女に見立てた作品を見ました。
やはりおじいさんより美人の方が良いのか…。
今日は後編です!
〇六歌仙
Utamaro - This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs divisionunder the digital ID jpd.02188.This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18486447による
六歌仙は、古今和歌集の序文で登場する6人の代表的な歌人です。「六歌仙」とまとめられて称されるようになったのは後の時代からです。
一人ずつ見ていきましょう。
狩野探幽 - http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/houmotsu_2009.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10484670による
遍昭(へんじょう)
桓武天皇の孫という高貴な生まれ。
出家して天台宗の僧侶になり、僧正にまでなりました。
遍昭の和歌
「天津風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ」
(あまつかぜくものかよいじふきとぢよをとめのすがたしばしとどめむ)
現代語訳:天の風よ。雲間の通り道を閉ざしておくれ。天女の舞をしばらくとどめておきたいのだ。
在原業平(ありわらのなりひら)
天皇の血筋で高貴な身分。天皇に仕え、重要な役職に就きました。「伊勢物語」のモデルであると言われています。イケメン。
在原業平の和歌
「ちはやふる 神代もきかず龍田川 からゐに 水くゝるとは」
現代語訳:さまざまな不思議なことが起こっていたという神さまの時代も、こんなことは聞いたことがない。一面に紅葉が浮いて真っ赤な龍田川の紅色に、水をしぼり染めにしているとは。
落語のイメージしかない和歌ですね。
不明 - in the site of http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/ ;Website「やまとうた」, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=164467による
文屋康秀(ふんや の やすひで)
平安初期の歌人&役人。役人としての地位はそんなに高くなかったが、歌は有名であったとか。小野小町と良い仲。
文屋康秀の和歌
「吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ」
現代語訳: 山風が吹きおろしてくると、たちまち秋の草や木が萎れてしまうので、きっと山風のことを「嵐(荒らし)」いうのだろう。
不明 - in the site of http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/ ;Website「やまとうた」, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=164481による
喜撰法師(きせんほうし)
平安時代の真言宗の僧&歌人。宇治の辺りで暮らしていたとか。人となりは口下手であったらしい。
喜撰法師の和歌
「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり」
現代語訳:私の草庵は都の東南にあって、そこで静かにくらしている。しかし世間の人たちは私が世の中から隠れこの宇治の山に住んでいるのだと噂しているようだ。
小野小町(おののこまち)
絶世の美女と噂される平安時代の女流歌人。出生地伝説が日本各地にある。秋田県生まれとしては小野小町秋田誕生説を支持したい。
小野小町の和歌
「 夢路には 足もやすめず通へども うつつにひとめ見しごとはあらず」
現代語訳:夢の中では足も休めずに通っていますけれど、現実に一目見た時のことには比べようもありません。
恋の和歌のが多いイメージ。私はこんなロマンチックな気持ちになった事はない…(哀
大伴黒主(おおとも の くろぬし)
平安時代の役人。そして歌人。六歌仙の中で唯一百人一首からは外されています。ショック。
大友黒主の和歌
「春雨のふるは涙か桜花ちるを惜しまぬ人しなければ」
現代語訳:春雨が降るのは、人々の思いが悲しみの涙となったのだろうか。桜の花の散るのを惜しまない人などいないのだから。
六歌仙は人気のある画題であったようで様々な作品が残されています。
歌舞伎の劇にもなり、その様子が浮世絵になったものもあります。
そんな六歌仙の見立て絵が↓
ただ美人になぞらえているわけではなく、当時評判の美人六人を六歌仙に例えています。
たまたまですが冒頭の六歌仙の浮世絵と同じ喜多川歌麿の作品ですね。
比べてみるとどうでしょうか。
おじさまもいいけどやっぱし評判の美人の方が華やかですね。
現代では六歌仙というと在原業平と小野小町ぐらいしか認識されていないと思いますが、当時の人々にとっては身近な存在で、十分教養の範囲であったことがわかります。
そもそも和歌の文化があまり身近な文化ではないですからね。
浮世絵の見立てを理解して楽しむには元ネタ(?)を一個一個理解する必要があるので道のりが長いですな…。
という事で今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。