有卦絵で縁起を担ぎます。
今日も生きてます。
「有卦に入る(うけにいる)」
この言葉って一般的なのでしょうか?
個人的にはあまり使用しない言葉です。
ありそうもない幸運が続いたり、すべてがうまくいったりすることを意味します。
陰陽道の中で吉凶の判断の一つになっている「有卦」「無掛」が元になっています。
人は幸運が7年続き、これを「有卦」といいます。その後凶年が5年続き、これを「無卦」と呼ぶそうです。
有卦に入った人が有卦絵(うけえ)を飾ったり、幸運に巡り合った人に有卦絵を送ったりする習慣が江戸時代末期に流行しました。
はじめは絵ではなく福に通じる「ふ」のついたものを飾っていました。
やがて「富士山」「福助」「福寿草」「藤」「筆」「文」「二股大根」「ふくら雀」「船」「房」「鮒」などなど…ふが付くものを浮世絵の中に描き、それを飾るようになりました。
どんな組み合わせで「ふ」のつくもの描くかは浮世絵師のセンスにかかっています。
今日はそんな縁起のいい有卦絵を見ていきたいと思います。
一鵬齋芳藤 画「木性の人 酉の年酉八の月上の酉の五日酉の剋有卦に入ル」
叶福助は有卦絵の中でもよく登場します。
福助って見たことあるけど由来は知らないと思って調べてみましたが、モデルは各地に諸説あるようです。
Wikipediaによくできた一説があったので引用します。
一説に、享和2年8月(1802年9月)に長寿で死去した摂津国西成郡安部里の佐太郎がモデルである。
もともと身長2尺足らずの大頭の身体障害者であったが、近所の笑いものになることを憂いて他行を志し、東海道を下る途中、小田原で香具師にさそわれ、生活の途を得て、鎌倉雪の下で見せ物に出たところ、評判が良く、江戸両国の見せ物にだされた。
江戸でも大評判で、不具助をもじった福助の名前を佐太郎に命じたところ、名前が福々しくて縁起がよいと見物は盛況であった。見物人のなかに旗本某の子がいて、両親に遊び相手に福助をとせがんで、旗本某は金30両で香具師から譲り受け、召し抱えた。
それから旗本の家は幸運つづきであるのでおおいに寵愛され、旗本の世話で女中の「りさ」と結婚し、永井町で深草焼をはじめ、自分の容姿に模した像をこしらえ売りにだし、その人形が福助の死後に流行したという。
叶福助は文化時代頃から江戸時代に流行し始め、最初はお店の神棚にまつられました。そして一般の家庭でも飾られるようになったようです。
廣重 筆「当ル卯ノ二月十日有卦入」
「花ふゝきてふてふと舞うやきのふけふ : 火性之人有卦ニ入る」
おたふくも良く有卦絵に描かれました。
そういえばおたふくも具体的には何なのか知らなかったので調べてみたところ、おかめとお多福は同じなんですね。
+-, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=65962996による
おかめの面の由来は、日本神話の日本最古の踊り子であるアメノウズメがモデルだそうです。
狂言では醜女、姫鬼、福女の役に使われる面です。
もともと美人の象徴として作られていたのかもしれませんが、時代とともに変わり、現代ではおかめ・お多福は女性にとっては侮蔑の意味の方が強いので使われないかなあ。
芳年 祝筆 「来ル二月一日金性ノ人有卦入ル」
この福助とお多福は有卦絵の中には夫婦のように描かれているものもあります。
楊斎延一 筆「土水性有卦ニ入ル : 五月四日午ノ時有卦ニ入」
廣重 筆「土水性有卦入 : 五月四日午ノ刻」
芳藤 画「八月七日午後六時木性ノ人有卦ニ入」
光齋生 画 「明治六癸酉九月三十日木姓之人有卦に為留」
延一 画「明治三十三年十一月十一日子ノ十二時火性の人有卦に入る 」
廣重 戯筆「当ル二月十日有卦入 」
お多福と藤娘のミックスとお多福ですね。
藤娘は大津絵の画題の一つです。
愛嬌と良縁などの意味があります。
藤娘については以前取り上げました↓
一藝齋芳富 画「辛酉八月五日木性人有卦ニ入 」
お多福と福禄寿が描かれています。
房種 画「金性の人卯ノ年二月十日有卦ニ入」
画像は国立国会図書館デジタルコレクションより引用してます。
他にも七福神が描かれているものがあります。
この有卦絵の風習はいつからなくなったんでしょうね。
縁起を担ぐ風習って江戸時代には盛んだったようです。
現代ではあまりないですね。
個人的に有卦絵を飾るなら、ふ、ふ、布団で眠るフクロウかな。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。