リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

絶筆の碑をたてた画僧「仙崖」

今日も生きてます。

 

引きこもりつつ元気に制作活動をしています。

 

最近友人がYouTubeデビューしたので楽しく視聴しています。

 

正直動画趣旨よりも、元気な友人の姿を見るのが目的となっています。

 

気軽に表現の場があるということはいいことですね。

 

 

 

さて、前回禅画を描いた僧として、白隠を取り上げました。

 

今日は仙厓義梵(せんがいぎぼん)を取り上げます。

 

f:id:akashiaya:20200428123725j:plain

仙崖義梵「▢△〇」

 Sengai - catalogue, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=26868326による

〇仙厓義梵(せんがいぎぼん)の人生

 

 

 

1750年 1歳

美濃国に農業を営む家の次男として誕生します。

 

1760年 11歳

美濃国にあるお寺「清奉寺」で出家します。

 

この時代美濃の国では百姓の子で長男以外に生まれると、禅宗の僧以外に出世の道はなかったようです。

 

1768年 19歳

武蔵の国にある「東輝庵」(現在神奈川県少林寺内に在る。)で修業します。

32歳ごろまでここで修業を続けていたそうです。

 

1768年 32歳

東輝庵で師匠が亡くなり、その後諸国を行脚します。

いつか定かではありませんが、出家した寺の清泰寺に帰ったことがありました。

 

その時の逸話として有名なものがあります。

 

 

仙厓が美濃に戻ります。

そこでは大垣藩の財政が非常に乱れ、民が苦しんでいました。

そして財政主任の家老がよく変わります。

 

それを受けて仙涯は狂歌を詠みます。

(狂歌:社会風刺を五・七・五・七・七の音で構成したの短歌)

 

よかろうと

思う家老が悪かろう

もとの家老

がやはりよかろう

 

そしてこれを門前に貼り付けます。

 

藩では「生意気なやつだ。追放しろ」ということになります。

 

禅宗坊主はからかさ1本で追い出されたそうです。

仙涯はそこでまた一首。

 

からかさを

広げてみれば天が下

たとえ降るとも

みのは頼まじ

 

そして故郷を離れることとなりました。

 

 

 

 

1787年 38歳

博多にある聖福寺の盤谷(ばんこく)和尚の弟子になります。

この頃仙崖は京都に居ました。

博多の聖福寺は、日本に初めてできた禅寺です。

 

 

1788年 39歳

京都から九州へ出発します。

 

1789年 40歳

聖福寺第百二十三世の住職になります。

それから62歳まで聖福寺の住職として活動します。

 

狂歌を詠んだり、頓智の効いた逸話から、自由奔放(?)なイメージが強い仙崖ですが、聖福寺の住職に就いてからは、伽藍の建設や、弟子たちのためのお堂や秩序の整備、お寺の財政をどうにかすること…などなど、お寺のために真っ当に忙しく仕事をしていたそうです。

 

めちゃくちゃ真面目な人間だと推察します。

奔放な人は一つの場所で何かのために同じ仕事をずっと続けることはできません。

 

1811年 62歳

聖福寺の住職を弟子に任せます。

 

画を描き始めたのは40歳頃からのようです。

尾形派の作品を模写した絵も残っています。

(最初はいわゆる「上手い絵」も描こうとしていたのか?)

 

しかし隠居したあとから作品が多くなります。

生前から仙崖の作品は人気で、仙涯のいる虚白院にきては紙を置いて帰る人がたくさんいました。

 

 

生業ではなかったようでお金はもらってなかったようです。

まあでも日本人なのでお金ではない形でお礼はあったのではないかと推測します。

(お土産であるとか、または寺の檀家としてのお付き合いの継続とか)

 

 

70歳を過ぎ、どんどん画賛を求める人が多くなると

 

うらめしや

我が隠れ家は雪隠(せっちん)か

来る人ごとに

紙をおいてゆく

 

雪隠はトイレのことです。

あまりに絵を求める人が多いのでちょい困ったぜという和歌ですね。

 

仙崖は物書き役でもなけれども

ひとがたのめばしやう事もなし

 

依頼の多さに困りつつも求められれば↑のように全てに応じていたところが器の大きさを感じます。

 

 

 

 

 

 

嘘か本当かはわからない逸話の一つに浦上春琴とのエピソードがあります。

 

浦上春琴は玉堂の息子です。以前取り上げました。

酔って絵筆を握る画家「浦上玉堂」(うらかみぎょくどう) - リアル絵描き日記

 

 

 

当時画家として知られた浦上春琴のもとを訪れた仙崖。

 

泥酔した春琴の前で「李仙酔眠の図」を描きます。

 

その出来栄えに春琴の酔いは醒め、仙涯に言いました。


「禅師の絵はまことに運筆霊活、じつに妙手です。

 

しかし他人の人ならいざ知らず、私は禅師にしてこの技あることを密かに憂えます。かの雪舟を思い起こしてください。

 

雪舟は我が国禅門の高僧でありながら、後世の人はただその画を讃美するばかり。禅僧としての徳など思いもしません。まことに千秋の恨事はんじです。

 

禅師、ここをよくお考えください」

 

仙崖はこれを聞いて殊勝にも「よく考えを奉じます」と答え、

描いた絵を即座に寸断しました。

 

これがきっかけかはわかりませんが、73歳に描いた作品の中で「崖画無法」という賛を書きます。意味合いとしては、仙崖の描く絵に形式は無い=自由だということでしょうか。

 

 

1832年 83歳

 

絶筆の碑を建てる。

 

しかし依頼が止まず、絶筆ならず

 

この逸話が個人的には面白いです。

あまりの絵の依頼の多さに絶筆の碑というものを建てたそうです。

そんなものを建てたのは仙崖だけでしょう。

しかし依頼は依然多く、絶筆にならなかったそうです。

 

おそらく断れない性格なのかな?と思いました。

この絶筆の碑を描いた作品が残っています。

周りの人間は絶筆させる気ナシです。笑

 

 

 

1836年 87歳

住職の座を渡した弟子が、藩の怒りにふれ流罪になります。

仙涯が再び聖福寺の住職になります。

 

1837年 88歳

亡くなります。

 

 

 

〇仙崖の作品

 

 

 

f:id:akashiaya:20200428154711j:plain

仙崖義梵「指月布袋図」

 

  「マンガでわかる日本絵画の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー」監修矢島新、誠文堂新光堂出版より引用

 

あの月が

落ちたら

誰にやろうふ

かひ

 

f:id:akashiaya:20200428154838j:plain

仙崖義梵「犬図」

「マンガでわかる日本絵画の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー」監修矢島新、誠文堂新光堂出版より引用

きゃんゝ

 

 

 

 載せたい画像が引用できなかったのですが、仙崖の作品の中には蛙を描いたものがあります。いろいろな種類があり、蛙が上の二枚の絵のようにゆるいタッチで描かれたものです。

 

 

その種類の一つの賛に坐禅蛙(ざぜんがえる)」と呼ばれるものがあります。

座っている蛙坐禅して人が仏になるならハ(ば)」と書かれています。

 

 

画像がないもんで伝わらないかもしれませんが、

座っているだけで悟ることができるなら、蛙でも悟ってるわ

というようなことを示しています。

 

 

 

知ると人に伝えたくなる絵と賛、逸話がたくさんある仙崖です。

人々に愛されていたことがよくわかります。

 

 

このようにゆるい絵柄でありながら賛と合わせてなかなか洒落と皮肉の効いた作品も数多くあり、面白いです。

 

 

冒頭に▢△〇の絵を載せました。

f:id:akashiaya:20200428123725j:plain

 

Sengai - catalogue, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=26868326による

 

これは様々な憶測がささやかれている作品です。

鑑賞者によってはただの図形が並んでいる絵ですが、これはいったい何を象徴しているものなのか…?

奥が深すぎて人生をかけられる類の作品です。

今日は触れないでそっとしておきます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆるかわいい日本画というような表現でまとめてる本って何冊か見たことがあり、そんなものには興味ないなあと思っていました。

 

 

個人的に美術史のくくりの中で他の作品と同じように禅僧の描いた作品を鑑賞することは、もしかしたら禅僧が描いた禅画の本質を見誤る可能性があるなと思います。

 


モノとしては紙に描いた絵ですが、描いているのは絵描きではなく、宗教家です。

 


宗教家の人生の目的って、制作ではなく、悟りを得ることですもんね。

 


キリスト教や仏教の他の宗派は聖書の一場面にせよ、菩薩にせよ、プロの絵描きに依頼した作品が残っています。

 


修行や布教の一環なのかもしれませんが、僧自らが表現活動するのって禅だけなのでしょうか?面白いですね。

 

 

白隠や仙崖は絵はゆるいですが人生(&修行)はきつい。このきついものを乗り越えて悟りを開いた後のゆるさだと奥深さが全く違いますね。

 


ゆるい表現方法にはそこまで惹かれませんが、その表現で何を伝えたいのかは興味があります。

 

 

 

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

akashiaya.jimdofree.com