リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

本阿弥光悦って何をした人なの?③

今日も生きてます。

 

 

引っ越しをする機会が多く、基本的によそ者人生です。

 

なかなか付き合いの長い知り合いはいないのですが、高校のクラスの友達は今でも仲間だと思っています。

 

そんな友達から嬉しいお知らせがあり、自分のことのように嬉しいです。

 

 

 

 

さて、本阿弥光悦の最終回です。

 

前回、前々回と、本阿弥光悦の人生と作品をみてきました。

 

前回のブログの中で「大虚庵」を間違えて「太虚庵」と記していました。

申し訳ありません。

光悦が晩年過ごしたのは大虚庵です。 

 

 

俵屋宗達の人生について↓

 

前回ブログ①

akashiaya.hatenadiary.jp

前回ブログ②

akashiaya.hatenadiary.jp

 

 

 

〇名前に入っている「光」の文字

 

本阿弥光悦は熱心な法華経の信者であったそうです。

 

本阿弥光悦が晩年過ごした太虚庵も、今は日蓮宗のお寺になっています。

(※日蓮宗の教祖「日蓮」は法華経を絶対視した。法華宗とも呼ばれる。)

 

彼の周りの長谷川等伯俵屋宗達尾形光琳尾形乾山等も皆法華経を信じていました。

 

もともと本阿弥家の祖「本阿弥長春」が、日蓮宗の僧「日静上人」(足利尊氏の叔父)に帰依しています。

 

なので本阿弥家は代々日蓮宗であったと推測します。


そして、本阿弥家六代目の「本阿弥清信」が、将軍から謀反の科をかけられ牢に入ったときにすごい人に会います。

 

 

日親上人という人です。

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上の画像は伝狩野正信 - The Japanese book "Nichiren, art and belief", Sankei Shimbun-sha, 2003, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7177992により引用

 

 

日親上人は、日蓮聖人の教えを守ることを厳しく、他宗を激しく攻撃しました。なので先々で迫害された人です。

 

ひどい拷問をたくさん受け、熱く焼けた鍋を頭にかぶせられても信念を貫いたすごい人です。

 

牢の中で日親上人の強固な信仰を目の当たりにした清信は深い感銘を受け、日親上人に深く帰依しました。

 

清信は法華経の教え「娑婆即寂光土」から「光」の一字を授けられ「本光」の名を頂戴します。

 

以来、本阿弥家では法華信仰の証として名前の一字に「光」の字がつけられるようになったそうです。

 

なので本阿弥光悦の名前にも「光」が入っています。

 

 

〇光悦の陶器作品

 

本阿弥光悦がは晩年、作家から土や釉薬を分けてもらい茶碗製作をしました。

 

光悦の作品の中でも名作のことを「光悦七種」「光悦十種」と称します。

ただ、どの作品を選ぶかは諸説あるようです。

 

「光悦七種」

不二山

障子

雪片

七里

雪峰

鉄壁

毘沙門堂

 

「光悦十種」

黒光悦

加賀光悦

喰違

鉄壁

有明

障子

雪片

不二山

ヘゲメ

毘沙門堂

 

 

楽焼白片身変茶碗 銘「不二山」

国宝に指定されています。

 

この銘は光悦自身が箱に書いています。

「不二山」の銘は白雪を頂く富士の山を連想したということ。

 

また、この器は上半分が白く、下半分に色がついています。

 

このように器物の半分を派手な色、他方に渋い色の釉(うわぐすり)を施す技法のことを片身替(かたみがわり)と呼ぶそうです。

 

この作品が窯の中で偶然片見替ができたため、二つと出来ぬ茶碗であるということで「不二山」と名付けたともいわれています。

 

 

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上の画像はretouch: Qurren (トーク). - この画像は国立国会図書館のウェブサイトから入手できます。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=32834013により引用しました。

 

 

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本阿弥光悦 - ウィキメディア・コモンズはこのファイルをメトロポリタン美術館プロジェクトの一環として受贈しました。「画像ならびにデータ情報源に関するオープンアクセス方針」Image and Data Resources Open Access Policyをご参照ください。, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=59233608による

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本阿弥光悦 - ウィキメディア・コモンズはこのファイルをメトロポリタン美術館プロジェクトの一環として受贈しました。「画像ならびにデータ情報源に関するオープンアクセス方針」Image and Data Resources Open Access Policyをご参照ください。, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=59226092による

 

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本阿弥光悦 - ウィキメディア・コモンズはこのファイルをメトロポリタン美術館プロジェクトの一環として受贈しました。「画像ならびにデータ情報源に関するオープンアクセス方針」Image and Data Resources Open Access Policyをご参照ください。, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=59226087による

 

 

 

 

 

 

 

〇光悦の漆作品

 

 

 

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上の画像は本阿弥光悦 - ウィキメディア・コモンズはこのファイルをメトロポリタン美術館プロジェクトの一環として受贈しました。「画像ならびにデータ情報源に関するオープンアクセス方針」Image and Data Resources Open Access Policyをご参照ください。, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58770456により引用

 

光悦は漆を使用した蒔絵の作品も残しています。


主に本阿弥光悦作といわれていますが、実際に光悦が制作したのではなく、デザインをしただけという説もあります。


(蒔絵は大変な技術と時間が必要なため)

 

 

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上の画像は本阿弥光悦 - ウィキメディア・コモンズはこのファイルをメトロポリタン美術館プロジェクトの一環として受贈しました。「画像ならびにデータ情報源に関するオープンアクセス方針」Image and Data Resources Open Access Policyをご参照ください。, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58770459により引用

 

 

 

 

 

 

 

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上の画像はI, Sailko, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19820507により引用しています。

 子日蒔絵棚( ねのひまきえたな )


重要文化財です。

 

天板に根引きの松

二段目に扇と夕顔

三段目に御所車と白丁(はくちょう)

 

が描かれています。

 

モチーフとなっているのは『源氏物語』です。

昔の工芸で、扱っているテーマも古来のものですが、現代の私たちから見ても奇抜なデザインです。

 

棚ですが、モノを上に置くのをためらわれますね。

 

扇子が折れ曲がるところなんてどうやって作ったのでしょうか…?

技術的にも目を張る作品ですね。

 

 

 

 

 

 

 

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上の画像はDaderot - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=31371438より引用しています。

 

 舞楽螺鈿蒔絵硯箱(ぶがくらでんまきえすずりばこ) 


重要文化財です。

 

硯入れですね。

 

こんな豪華な硯入れに入ってたら墨なんて入れることできませんわ。

 

舞楽」をモチーフにデザインされているようです。

 

舞楽は舞を伴った舞楽のことを指すようです。

見たことはないですが、日本の伝統ですね。

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氷室神社例祭、夕座の風景、舞楽「抜頭」、奈良

上の画像はBy Kochizufan - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=43937859より引用しています。

 

 

蓋表には鉦鼓・鳩杖と、鳥兜を被った舞人の後姿

 

蓋裏に扇と舞楽装束

 

懸子と懸子下には鳥兜と笙

 

が描かれています。

 

和歌や文学、舞楽など、光悦の作品のテーマを知ると光悦があらゆる芸術に精通していたことがわかります。

教養のある方だったんですね。

 

 

 

 

 

 

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上の画像はI, Sailko, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19820527により引用しています。

 

舟橋蒔絵硯箱(ふなばしまきえすずりばこ)

 

おそらく光悦の作品の中でも有名なものの一つです。

 

この作品も硯入れです。

信じられないフォルムです。

 

というか蒔絵が施された硯箱なんて怖くて使えないよー実用だったのでしょうか?

 

この作品のモチーフは和歌です。

 

 

「東路の佐野の舟橋かけてのみ思い渡るを知る人ぞなき」

 

後撰和歌集』源等(みなもとのひとし)

 

ざっくりとした内容は、「舟橋というのは船を並べてその上に橋を架けたもののようです。舟橋がかかっているように思いをかけてずっと恋し続けていることを知ってくれる人が居ない。」というものです。

 

 

この硯入れの蓋には和歌の文字が散らされています。
 「東路乃 さ乃ゝ かけて濃三 思 わたる を知人そ なき」

 

しかし、元にした和歌の中にある「舟橋」という言葉はありません。

 

船橋」は硯入れの蓋の面に図として表現してあり、あえて省略してあるのです。

 

鑑賞者が「舟橋」という言葉を箱の意匠から読み取る仕掛けがしてあります。

 

遊び心のある風流な人ですね。

お人柄を察します。(粋!)

 

 

 

 

 

本阿弥光悦は今日で終わりです。

作品をみてると、光悦が大虚庵でこんなものあったらどうだろうか?と楽しみながら制作していたんだろうなあと感じることができます。

昔の工芸品ですが、現代人にでもわかるおしゃれさと遊び心が素敵です。

 

今日はここまで

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

akashiaya.jimdofree.com