桃山百双って?ー「柳橋水車図屏風」を詳しく見るー
今日も生きてます。
桃山百双(ももやまひゃくそう)という言葉があるそうです。
天下無双的な響きでカッコいいですね。
桃山時代に城や大寺院がたくさんつくられ、それに伴い大画面の障壁画や屏風も多数制作されました。
その桃山時代に多数つくられた作品のことを桃山百双と称します。
By Momoyama-period artist (or early Edo period) - http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/231991/1, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=40440074
今日はその中でも有名な一枚を紹介します。
「 柳橋水車図屏風」(りゅうきょうすいしゃずびょうぶ)
長谷川宗宅
桃山時代末期~江戸時代初期
紙本着色 六曲一隻屏風
何が描かれているのか細かく見ていきます。
金で表現された橋・水車・蛇籠
橋↓
源氏物語の最後の十帖は宇治が舞台です。
宇治十帖と呼ばれます。
そのため知名度は昔から高かったようです。
(源氏物語は教養だったのかな)
橋の東側は此岸、西側は彼岸と呼ばれています。
宇治橋の先は伊勢神宮の内宮につながっていて、宇治橋の入り口には鳥居がかかっています。
上の画像はN yotarou - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39334277による
宇治橋は内宮のシンボルでもあり、宇治橋は一般に「俗界と聖界の境にある橋」とされます。
なので「柳橋水車図屏風」という作品の名称の中に、一文字も「宇治」や「伊勢」は入ってませんが、屏風や工芸作品の意匠で「橋」と共に「水車」、「柳」が描かれている場合は宇治を暗喩している可能性があると捉えた方がいいかも。
神聖なメッセージが意匠に込められているということです。
「柳橋図」はもともと宇治川の水車で知られる宇治の名所を描くものだったようで、この屏風が生まれる前にも、室町時代の名所・景物画の中に宇治橋図の先例がみられます。
水車↓
宇治の名所ということで水車が描かれています。
この作品には関係ないかもしれませんが、片輪車や車輪にはメッセージが込められている場合があります。
「片輪車」「車輪」の意匠的なメッセージ
①仏教では、「法輪」という教えを車輪に託して表現される場合があります。
法輪とは「仏教の教えが衆生の悪をくだき、展転して他に伝わることを車輪にたとえていう」こと。
密教法具にはこの法輪を具現化したものとして「輪宝」があります。
なので回るものというか車輪は神聖なものの意味が込められていることがあります。
上の画像はChris Falter - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18693899による
②日本古来の意匠としての水に浮かぶ片輪車は、「無常観」が込められています。
昔車輪は乾燥を防ぐ為に流水に浸す必要があり、水に浮かぶ車輪の意匠はここから生まれました。
流れる流水や車輪は流転する人生を連想させ、それが人生の無常観を感じさせる日本の伝統的な柄になりました。
また、波を切る車輪の模様ということで、縁起がよい「波切り車」とも呼ばれるそうです。
蛇籠↓
この屏風を知るまで蛇籠について知りませんでした。
蛇籠(じゃかご)というのは水流から橋の足(橋桁)を守るものだそうです。
作品の中では少し絵の具を盛り上げた表現が使われていますね。
黒い線で描かれた水車と橋とは違う表現が選択されていることで、同じ金でも絵の中でそれぞれの表現がそれぞれのモチーフを引き立たせて、視覚的にメリハリが生まれているように感じます。
ちなみに現代の蛇篭は↓のような感じ
(向かって右下の石がたくさん入っている網のこと)
上の画像はJ.J.P. Santiago - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=55006270による
昔は竹が編まれてつくられていたので、絵や意匠の中では「 柳橋水車図屏風」の中にあるような表現が多いです。
川を表現するときに付随されるモチーフ、または川を想起させるようなモチーフになっていったのではないかと思います。
個人的にはざるそばのざるみたいに見える。
上の画像はLombroso - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=44158609による
黒ずんでいてわかりにくいですが、橋の下は水が表現されています。↓
ここはもともと銀が使われていたので、現代だと銀の酸化のため黒っぽく渋い表現になっていますが、完成当初は金と銀のぎんぎら屏風だったことがわかります。
また、水面部分は線で波を描く「青海波」(せいがいは)という模様が使われています。
そして手前には幹が黒く塗られた柳が風に葉を揺らしています。
この絵と似たような屏風が22枚現存しています。
それぞれ描き手はバラバラです。
実はこの屏風は当時絵の派閥の一つであった「長谷川派」のヒット作。
たくさんの人が欲しがったため同じ下絵を使って似たような屏風を多数制作したようです。よく見てみると筆遣いから作者がそれぞれ違うことが判ります。
どれだけこの「柳橋水車図屏風」が流行っていたかわかる物差しの一つとして、狩野派の絵師である狩野内膳が描いた《豊国祭礼図屏風》があります。
《豊国祭礼図屏風》は、1604年の豊臣秀吉の七回忌の「豊国社臨時祭礼」を描いたものです。踊る人や建物や屏風がたくさん描きこまれている屏風です。
その中に「柳橋水車図屏風」も登場しています。
上の画像はBy KKPCW - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=81861031より引用
ただ個人的にめちゃくちゃ探しましたがどこに描かれているか見つけられず、わかる方がおられたら教えてください。
上の画像は長谷川派の祖である長谷川等伯の息子が描いたものですが、長谷川等伯が描いた「柳橋水車図屏風」も残っています。
神戸の香雪美術館が所蔵しています。
(朝日新聞の創業者がつくった神戸の美術館)
なんの情報もないまま屏風をみると、金の橋だな。(金と権力のにおいがするぜ)というような感想しか持てませんが(私だけですか?)これが浄土へつながる橋とされている宇治橋が描かれているとわかると、途端に抒情的に、感傷的に思えてくるのが不思議です。
西洋の絵画もモチーフごとに聖書に基づいた意味が込められているものが多くて、見ただけでは理解できないものが多いですが、日本の作品もその点同じですね。
教養大事。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。