妹背山婦女庭訓
今日も生きてます。
画題をわからずして絵を見ても、もはやそれは目に写っているだけで、鑑賞してるとは言えないのかもしれない…と、「マンガでわかる日本絵画のテーマ」(矢島新監修)を読み進めて思い始めている今日この頃です。
読んだことないマンガの表紙を眺めるようなもんです。
昔の人は教養があったんだなあ。
(あ、現在の私がないだけか…がーん)
ということで、浄瑠璃の世界を表現した作品を何枚か紹介します。
前回は浄瑠璃とは?についてでした。
↑は歌川豊国「妹背山婦女庭訓 山の段」
浄瑠璃はお話によって
・時代物
江戸時代より以前の話や、庶民から程遠い公家や武家の話
・世話物
江戸時代の庶民の日常の話
などに分けられます。
1つの演目には本でいうと第⚫章⚫話の「話」にあたる「段」があります。
↑の浮世絵「妹背山婦女庭訓」ですと…
初段…
大内の段、春日野小松原の段、蝦夷館の段
二段目…
猿沢池の段、つづら山の段、芝六住家の段
三段目…
花渡しの段、山の段
四段目…
五段目…
志賀都の段
時代物は5段構成であることが慣例です。
一段目…悪役などが出てくる
二段目…事態が深刻に
三段目…犠牲者が出てくる
四段目…善により、悪が滅びる
五段目…大団円
↑大体の流れはこのようなイメージらしい
浮世絵に描かれている場面は、三段目の山の段です。
私は勘違いしていたのですが、人形浄瑠璃や歌舞伎は一回の公演でひとつの演目の全ての段を行う訳ではないそうです。
演目ををすべて行う場合は「通し」と言って、かなり公演時間が長くなります。
映画や劇を見に行く感覚ではなく、連続ドラマやアニメのような感覚なのかなあ?と思います。
今まで構成ばかりに触れて内容に触れていませんでしたが、「妹背山婦女庭訓」をざっくりと説明するのは難しいです!
飛鳥時代の大化の改新を物語の背景としているお話で、蘇我入鹿は超人的な力を持った悪役として登場します。
蘇我入鹿の権力が強まるにつれて、様々なところと人々に悲劇が起こります。
蘇我入鹿を倒そうとする勢力も動き出します。
蘇我を倒そうとする陰謀と、三角関係の話や悲劇が同時進行します。しかもこの蘇我入鹿は超人的な力を持っているので、倒すには秘宝や妖術、そして様々な特殊材料が必要なので、これを集める必要があるのです。
複雑ですね。
でもこのお話は現代の私があらすじだけ知っても面白い話だと感じました。
勧善懲悪、ラブロマンスあり、ファンタジーあり、ヒーローあり、というエンタテイメント性に優れた話だと感じます。
アニメ化しても、ドラマ化しても面白そうな話です。(映画は無理!)
この川に隔たれた男女の浮世絵は、ロミオとジュリエットのようなロマンチックな場面です。
女性は雛鳥(ひなどり)
男性は久我之助(こがのすけ)
川の名前は吉野川。
二人は慕い合う中ですが、親が領地争いをしていて直接会うことができません。
そんな中、悪の蘇我入鹿が両家の親を呼び出し(色々な思惑のもと)雛鳥を自分の妻として、久我之助は家来に差し出せと命令します。
悩む両家の親。
蘇我入鹿に従う場合は吉野川に桜のついた枝流し、従わない場合は桜の花を散らすという合図を約束して別れます。
それぞれ事情を聴かされた雛鳥と久我之助。
色々な背景もあり二人はそれぞれ命令には従わないこと(自決)を決意します。
しかし、互いに相手には幸せになってほしいと思い、川には蘇我入鹿の命令にしたがった合図である桜の花がついた枝を流します。
そして操を守りたいという雛鳥は母に首を落とされ、久我之助は切腹します。
雛鳥の母は吉野川に雛人形と一緒に雛鳥の首を流し、久我之助の家へ受け取らせます。
無言の嫁入りをし、二人は死して一緒になったのでした。
ラストが重い!重すぎる!
しかも首が川に流れる情景が頭に浮かんでしまう…
この濃密な話が全ての段にあると思うとこの演目すごいですね。
話を知るとこの演目の歌舞伎や人形浄瑠璃見てみたくなりますね。
きょうはここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。