菅原道真ーさまざまなお姿ー
今日も生きてます。
少し涼しいですね。
日曜日の朝は掃除しています。
さて、今日も「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(監修矢嶋新)を読んでます。
今日はこのお方です。
↑は浮世絵師・小林清親の「教導立志基」(きょうどうりっしのもとい)より 『菅原道真公』です。
教導立志基(きょうどうりっしのもとい)とは教訓絵のシリーズで、日本の偉人が取り上げられています。他にも月岡芳年、水野年方、井上安治等も手掛けました。
絵のなかに描かれているおじ様、菅原道真(すがわらみちざね)が今日の主役です。
⚫菅原道真ってどんなヒト?
菅原道真は平安時代の貴族です。歌も上手で百人一首にも和歌が選ばれています。
最初の浮世絵の中で道真が持っている紙には、百人一首に選ばれた和歌が書かれています。
菅原道真は子供の頃から才能を発揮し、5歳で和歌を詠んだそうです。
↑月岡芳年
そしてすくすく成長し、学者として最高位の文章博士(もんじゅはかせ)になります。
弓の腕前も相当のもので、文武両道でした。
そして朝廷で仕えるようになると、異例の出世を重ね、右大臣へ。
しかし、左大臣であった藤原時平の策略のため失脚し、太宰府に左遷されてしまいます。
子供たちも流刑に…。
このことは昌泰の変と呼ばれます。
その後は自分無実を天に訴えていましたが、左遷先で亡くなりました。
↑緒方月光「天拜山」
山で激しく祈っている様子の絵です。
⚫死後起こる奇怪な現象
↑月岡芳年「皇國二十四功」より 『贈正一位菅原道真公』※雷を呼ぶ菅原道真
話はこのままでは終わりません。
道真の死後、都では奇怪な現象が続きます。
・道真の政敵藤原時平が病死
・道真失脚の首謀者の一人とされる右大臣源光が溺死
・後醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王と、その息子で皇太孫となった慶頼王、次々に病死。
・清涼殿落雷事件
清涼殿が落雷を受け、昌泰の変に関与したとされる大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出ます。
これらを道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦し、子供たちの流罪を解きます。
⚫そして神へ
清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられるようになります。
朝廷は北野天満宮を建立し、太宰府では安楽寺の廟を安楽寺天満宮に改修して道真の祟りを鎮めようとしました。
もともとは火雷神が祀られていた。
それから大災害が起きるたびに道真の祟りとされました。
「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まります。
鳥居清長「天神(菅原道真)」
社殿の中に平安時代の宮廷服姿の道真が描かれています。
⚫北野天神縁起絵巻
他にも菅原道真が歌舞伎のモチーフになりました。
⚫様々なお姿になる菅原道真
色々な姿で描かれる道真ですが、大まかに三パターンです。
・「束帯天神」
遣唐使姿、宮廷服姿で描かれる道真
・「綱敷天神」
左遷されたときの怒りの表情の道真
・「渡唐天神」
道服姿の道真
↑は仙崖「天満宮 渡唐天神図」
かわゆい道真だ…
↑は雪舟の天神さま
↑は小林永濯の「道真天拝山祈祷の図」
宮廷服姿の場合、道真が梅を愛好していたことから絵のなかに梅が書き加えられることが多いです。
やがてもともと道真が学問に優れていたヒトであったことから学問や文筆の神として天神信仰が高まりました。
きょうはここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。