手長足長族ー神様なのか悪者なのかー
今日も生きてます。
左側の人(?)は足が長い
右側の人(?)は腕が長い
この絵は河鍋暁斎の『手長足長図』です。
このように腕や足がなが~い人たちは「手長足長」と呼ばれ、絵がたくさん残されています。
歌川国芳「浅草奥山生人形」
手長足長は、中国最古の地理書と言われる『山海経』(せんがいきょう)に、長臂国・長股国に暮らす住人として記されています。
地理書に載ってたということはということは、本当に存在していたのか?!
と驚きますが、『山海経』の内容は、実在の動植物や空想の生物、神仙などが記されているものです。そこに古い時代の中国各地の神話が伝えられていると考えられています。
日本で手長足長が描かれたもの最古のものとしては、平安時代の清涼殿の「荒海障子」に描かれたものがあり、荒海を中央に挟んで手長足長が描かれています。
宮中では手長足長は長寿の神仙として扱われ、天皇の長寿を願って描かれました。
和漢三才図会の長脚(右)と長臂(左)↑
江戸時代には、百科事典「和漢三才図絵」に長臂、長脚として紹介されています。
歌川国芳「小林朝比奈諸国廻りの図」
ちなみに手長足長は東日本では伝説・昔話に登場します。
私の故郷・秋田でも伝説として伝えられているものを紹介します。
秋田では鳥海山に棲んでいたとされ、山から山に届くほど長い手足を持ち、旅人をさらって食べたり、日本海を行く船を襲うなどの悪事を働いていた。鳥海山の神である大物忌神はこれを見かね、霊鳥である三本足の鴉を遣わせ、手長足長が現れるときには「有や」現れないときには「無や」と鳴かせて人々に知らせるようにした。山のふもとの三崎峠が「有耶無耶の関」と呼ばれるのはこれが由来とされる。
それでも手長足長の悪行は続いたため、後にこの地を訪れた慈覚大師が吹浦(現・山形県 鳥海山大物忌神社)で百日間祈りを捧げた末、鳥海山は吹き飛んで手長足長が消え去ったという。
(手長足長 - Wikipedia)より引用
秋田にも昔手長足長がいたのは知らなかった…!!
巨人としての手長足長ではなく、神として、不老長寿の神仙としての手長足長もいます。
長野の上諏訪町(現・諏訪市)では、手長足長は諏訪明神の家来とされており、手長と足長の夫婦の神であるといわれ、手長足長を祀る手長神社、足長神社が存在します。
ところによって扱いがまったく違う…
いや、手長足長にもさまざまな人(?)がいるんですね。
足短手短はいないのがふしぎだ。
ちなみに水木しげるロードにも手長足長いるそうです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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