鯰絵ーなまずと地震ー
今日も生きてます。
気持ちは22歳ですが、明日で27歳です。
実感ゼロ…
いつの間にか死んでるんだろうな。
と思う今日この頃です。
そして美術系の本をずっと読んできましたが、「怖い絵」シリーズで有名な中野京子さんの本を読んだことなかったなあと思い、借りてみました。
中は読み物風ですぐ読める優しい感じです。
楽しみです。
さて、前々回は瓢鯰図、前回は大津絵について書きました。
前々回 「瓢鯰図」
ひょうたんナマズって何?ー鯰絵の変遷ー - リアル絵描き日記
前回「大津絵」
今日は江戸時代に大流行したとされる「鯰絵」についてです。
⚫鯰絵とは?
鯰絵は江戸時代に流行した錦絵で、ナマズを題材に描かれたもののことです。
なぜ描かれたのか?というと、安政時代に全国で連発した地震が関係します。
安政の大地震と呼ばれ、その期間に全国で発生した地震は13回、特に安政2年に江戸を中心として発生した安政江戸地震は被害が大きく、死者は7000人にまで及びました。
安政の大地震絵図。
⚫地震と鯰の関係
その昔、大鯰が地下で活動することによって地震が発生するという民間信仰がありました。
経津主神(フツヌシ)が、地震を起こしていた地中の大鯰を、深く石棒をさし込むことで鎮めたというお話です。
このときの石は要石と呼ばれています。
鹿島神宮の要石↑
ちなみに要石は、
にあり、地震を鎮めているとされています。
⚫護符としての鯰絵
鯰絵は安政の大地震の発生直後から出版が始まります。
身を守る護符として、あるいは不安を取り除くためのまじないとして庶民の間に急速に広まったそうです。
鯰絵が普及した背景のひとつには、天保の改革で浮世絵が規制の対象となったことも関係しています。
役者絵・美人画は発行を厳しく制限されたうえに、地震により歌舞伎の興行が中止となり、芝居絵による収入を頼りにしていた版元は大ピンチでした。その代わりとして鯰絵がたくさん普及したのでしょう。
⚫鯰絵のモチーフ
鯰絵を調べると鯰というモチーフを扱いつつ、様々な絵柄があり、なかなか面白いです。
ナマズが震災復興を手伝っている。
地震後の復興景気により大工や木材商が莫大な利益を上げたことを風刺している。
大鯰を押さえつける鹿島大明神。
この鯰絵の流行により、大津絵にも鯰の絵が加えられました。
鯰と地震の繋がりや、要石のこと知りませんでした…。
こんなに鯰絵がたくさん残っているということは、昔から日本人が地震に苦しめられていたということですね。
ちなみに埼玉県の吉川というところはナマズの里らしく、鯰料理を食べることができるお店があるそうです。
行く機会があったら鯰料理を食べて地震を制したいです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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