自由奔放な僧ー寒山拾得(かんざんじっとく)ー
今日も生きてます。
あやしい…
あやしい微笑みを浮かべている人間がこちらを見ている絵です。
↑の作品は顔輝の『寒山拾得図』(かんざんじっとくず)です。
こちらが寒山
こちらが拾得
ひひひひひって引き笑いしてそうな顔ですね。
この二人、実は有名人。
この二人を描いた絵がたくさん残されています。
霊彩
「寒山図」大東急記念文庫蔵
周文
この二人はなぜ描かれたのか、そもそもこの二人は誰なのか、ということについて見ていきます。
⚫誰なのか?
二人とも唐の時代に天台山国清寺にいた僧です。
・寒山(かんざん)
寒巌幽窟に住んでいたため寒山と呼ばれ、樺の皮をかぶって大きな木靴をはいていました。
・拾得(じっとく)
天台山国清寺の豊干(ぶかん)に拾われたので、拾得と呼ばれるようになります。
二人は7世代にわたる仇敵同士の家に生まれましたが、豊干(ぶかん)がふたりを悟りに導きました。
豊干は国清寺の禅僧です。
虎に乗って道歌を口ずさみながら門を入ってきたという逸話があります。
上野若元筆『豊干寒山拾得図』
中央が豊干、向かって左が寒山、右が拾得
それから二人は国清寺の食事係となります。
寺のなかで奇声・叫声・罵声をあげ、放歌高吟して廊下を悠々と歩きました。
困惑した寺僧が追いかけると手を打ち鳴らし、大笑しておもむろに立ち去ったそうです。
⚫なぜ絵に描かれるようになったの?
二人とも詩作をよくしました。
とくに寒山は多数の詩を残しています。木や岩、壁に落書きをするように詩を書いていたようです。
「寒山詩」としてまとめられていますが、その序文に寒山の風体や国清寺にいたことなどが書かれています。
豊干禅師を釈迦如来に見立て「三聖」あるいは「三隠」とも言われました。
⚫絵に描かれる寒山拾得
この二人を描いた描いたものを「寒山拾得図」といいます。
箒を持つ方が拾得
巻物を持つ方が寒山
として表現されます。
雪村「寒山拾得図」
ちなみに森鴎外が『寒山拾得』のことを書いた小説を残しています。
小説「寒山拾得」のあとがき的な文「縁起」も合わせて読むとなるほどとなりました。
青空文庫で読めるので(しかも短い)おすすめです。
寒山の詩はまだ見てないので、まだ風狂の僧であったことしかわかりません。どんなに素晴らしい詩を残してるんだろう…
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。