あやしい歌川国芳
今日も生きてます。
今週は浮世絵の知識を深めるべくこれを読みます。
今日の一枚↓
歌川国芳(うたがわくによし)の浮世絵「四代目市川小団次の於岩ぼうこん」です。
歌川国芳は江戸時代後期の浮世絵師です。
歌川国芳で有名なのは↓の作品ではないでしょうか?
『相馬の古内裏』
歌川国芳(1797-1861)は日本橋の染色屋の子供として生まれます。
15歳で歌川豊国入門しました。
1827年頃に発表した大判揃物『通俗水滸伝豪傑百八人』の『水滸伝』のシリーズが評判となります。
“武者絵の国芳”と称され、人気絵師の仲間入りをしました。
しかしその後、水野忠邦による天保の改革で質素倹約、風紀粛清の号令のために1842年には国芳の人情本、艶本が取締りによって絶版処分となってしまいます。
『源頼光公館土蜘作妖怪図』(1843年)
平安時代の武将源頼光による土蜘蛛退治が題材ですが、妖術に苦しめられているのは頼光ではなく将軍・徳川家慶を表現していて、国家が危ない時に惰眠をむさぼっていると批判しています。
そして妖怪たちは天保の改革で禁止されたものを比喩しています。
富くじが禁止された富くじ妖怪、歯のないろくろ首には歯なし→噺など寄席の禁止を恨んだものなどなど。
幕府は国芳を要注意人物と徹底的にマークします。
国芳は尋問を受けたり、罰金を取られたり、始末書を書かされたりしましたが、国芳の筆は止まらず、幕府を風刺する国芳は江戸の人々から人気を集めました。
そして水野忠邦が失脚したあとも江戸の人々が驚く作品を制作します。
1861年に65歳で亡くなりました。
↑こんな面白い絵も描いてます。
『みかけハこハゐが とんだいゝ人だ』
幕府に対して風刺画を描いていたとはまさに江戸っ子という感じです。江戸の人々から愛された絵師だったんだろうなあ。
秋田生まれの私には反骨精神ないなあ。マイルドだからね。
↓は歌川国芳の自画像
きょうの一枚の於岩ぼうこんは、四谷怪談を元とした歌舞伎の演目が題材となっています。
四谷怪談とは元禄時代に実際に起きた事がもととなってできた怪談です。
その怪談は歌舞伎や落語など、様々な演目の元となっています。
それぞれ話はアレンジされていますが、基本的には妻お岩が、夫である伊右衛門に惨殺され、それをお岩が幽霊となって復讐を果たすというものです。
歌川国芳の浮世絵では惨殺されたお岩が着飾った姿で現れ、やがて変わり果てた幽霊の姿になるという場面を着飾った姿の於岩と亡霊が重なって踊るという風な表現をしています。
後ろの霊がこわいですね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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