お傳地獄
今日も生きてます。
元気に息をしています。
きょうの一枚↓
小村雪岱(こむらせったい)の「お傳地獄」の挿絵です。
小村雪垈(1887-1940)は埼玉県に生まれます。
16歳の時に画家を志して日本画家の荒木寛畝に入門します。
明治37年に東京美術学校日本画科選科入学し、下村観山教室に学びます。
下村観山とは?↓
大正3年、泉鏡花の作品の多くの装幀、木版多色摺りによる挿絵の仕事を手がけるようになります。
本の装丁の他にも、新聞小説の挿絵や、舞台美術の分野でも才能を発揮します。
また、資生堂意匠部にも勤め、グラフィックデザイナーの先駆けでもありました。
昭和15年に脳溢血にて死去します。享年54。
紹介した一枚のお傳地獄のお傳とは、明治に実際にいた人物です。写真が残ってないのは残念です。
お傳は夫の病のためにお金を工面しますが、お傳が持っている美貌のため男たちに翻弄されます。
(借金の面倒を見てやるから愛人になれなど…けしからんな)
そして最終的に殺人を犯してしまいます。
斬首刑がお傳の最後です。
波乱万丈人生ですね。
読売新聞ではこのお傳をモデルにした小説が連載され、小村雪岱はその挿絵を担当します。
今ではどの新聞が何の小説を連載してるかというのはあまり話題にも上りませんが、昔は影響力が大きかったのでしょうか?
このお傳地獄の挿絵は小村雪岱の代表作になりました。
今回は小村雪岱よりもお傳のことが気になってしかたありません。
小説や歌謡曲や映画にもなっているそうです。
明治の毒婦と呼ばれていたそうで、有名な話だったのですね。
何で人間ってこういう話に惹かれるんでしょうね。
個人的には嫌われ松子の一生という映画を彷彿としました。
映画をみられたらみたいとおもいます!
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
明石 恵 Aya Akashi website - 明石 恵 Aya Akashi website