あやしい速水御舟
今日も生きてます。
先日は休暇を長崎で過ごしました。
↑長崎ちゃんぽん
個人的には佐世保バーガーがとても大きくて具がしっかりしていておいしかったです。
パンの間に本物のハンバーグが挟まってました。感激。(マックのバーガーに挟まってるパテとは違う。)
長崎にいく方にはおすすめできます。
さて、ということで今日も「あやしい美人画」(東京美術 松嶋雅人著)を読んでます。
きょうの一枚↓
速水御舟(はやみぎょしゅう)の「萌芽」です。
速水御舟の作品で有名なのは炎に蛾が集まっている作品だと思います。↓
速水御舟「炎舞」
私は炎舞の存在を知っていたので、まさか「萌芽」のような作品も描いていたとは驚きでしたが、速水御舟は生涯の中で画風をどんどん変えていった方のようです。
速水御舟(1894-1935)は東京の浅草に質屋の家の次男として生まれます。
少年期から画に興味を持ち、1908年(明治41年)に小學校卒業すると、家近隣にある安雅堂画塾に入門します。
安雅堂画塾は画家の松本楓湖が主催していました。楓湖は自称「なげやり教育」というユニークな教育方法で数百人と言われる門人を輩出していたそうです。
その後「巽画会展」(明治時代に結成された美術団体)や「院展」(岡倉天心の流れを汲む美術団体であり公益財団法人「日本美術院」の公募展)で活躍します。
その後、美術団体・赤曜会を結成します。
1919年、浅草駒形で線路に下駄が挟まり、左足切断の災禍に見舞われます。
洋画家の岸田劉生の影響を受け、今までの日本画にはなかった写実的な様式の静物画を描きます。
イタリア政府主催ローマ日本美術展覧会の美術使節として横山大観夫妻らと共にヨーロッパ各地およびエジプトを巡り、10月に帰国します。
イタリアやドイツで作品が評価されます。
日本画の新しい表現方法を模索し続け、数々の名作を発表します。
1935年腸チフスで急逝します。40歳でした。
『名樹散椿図』
事故に見舞われながらも順風満帆な人生ですが、40歳でなくなっているんですね。
炎舞を長年みたいなあと思っていて調べたら今年(2019)の8月4日まで恵比寿の山種美術館で速水御舟展が開催中で、そこで炎舞も展示されているそうです!
見に行きたいと思います!
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございましたり