あやしい村山槐多
今日も生きてます。
美人画はジャンルとして有名だけれど男性の絵は少ない…と思っていたけれど、江戸時代の役者絵は当時美人画と渡り合えるぐらいメジャーな存在だったと考えると、男性が鑑賞される時代もあったのかなあと思います。
しかし浮世絵は今でいう雑誌感覚だったのかなあ…そこらへん微妙ですね。
というようなことを借りた「美男美術史入門(美術出版 池間草箸)」を読みながら思いました。
池上英洋さんの美少年美術史のように少年絵画を歴史の中で紐づけてジャンル分けしたり、変遷をみたりする内容ではなく、ただ美男が出てくる絵を紹介している本ですが、西洋と日本と分けて絵画を紹介しているところが面白いです。
さて、今日もあやしい美人画(東京美術 松嶋雅人著)を読んでいます。
今日の一枚↓
「村山槐多(むらやまかいた)」の「湖水と女」という作品です。
村山槐多(1896年 - 1919年)は愛知県で小学校教諭の家の長男として生まれました。
槐多の母は結婚前に森鴎外家で女中奉公をしており、その縁で鴎外が槐多少年の名付け親になります。
従兄の画家に感化され、画家を志すようになります。
中学卒業後に上京し、日本美術院洋画部の研究所に通うようになります。
そして院展で賞を獲るようになります。
しかし退廃的な生活を始めるようになり、肺炎で亡くなります。
まだ22歳でした。
村山槐多の作品も教科書に載っていたような気がするので有名な作家だと思います。
上の湖水と女という作品はポーラ美術館でみました。
昔からなぜ村山槐多が有名なのかわからず、作品を実際見た後の今でもわからぬままです。
しかし美大の中でも作家仲間の中でも村山槐多が好きだという人に会います。
それに加え何かの本で実業家が画商に村山槐多の作品をいくらかかってもいいからオークションで落としてこいというような内容の物をどこかで読みました。
村山槐多の作品には人を惹きつける魅力があるんだろうと思います。
村山槐多の自画像↑
ちなみに今年は村山槐多没後100年の年です。
愛知県岡崎市の「おかざき世界子ども美術博物館」では村山槐多展が7月15日まで開催しています。
村山槐多は文の才能もあったらしく、青空文庫では槐多の作品を読むことができます。
あとで読んでみます。
槐多の作品にもっと歩み寄れるかもしれない…
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。