あやしい岸田劉生
今日も生きてます。
いろいろと実験中です。
木は理想通りに彫るのが難しいです。
さて、今日もあやしい美人画(東京美術 松嶋雅人著)を読んでます。
今日の一枚↓
「岸田劉生(きしだりゅうせい)」の「麗子微笑」です。
岸田劉生の麗子像は一度見たら忘れられないインパクトがあります。
モデルの「麗子」は岸田劉生の娘です。
岸田劉生のは麗子像を数多く制作しました。
いろいろなパターンの麗子像が残っています。
岸田劉生(1891年 - 1929年)は、薬屋「楽善堂」を経営する岸田吟香の四男として東京銀座に生まれます。
裕福な家庭に生まれたんですね。
東京高師附属中学中退後、白馬会葵橋洋画研究所に入り黒田清輝に師事します。
バーナード・リーチ、柳宗悦、武者小路実篤ら『白樺』周辺の文化人とも知り合うようになります。
ヒュウザン会、草土社、春陽会などの美術の会に関わります。
劉生は絵だけではなく『初期肉筆浮世絵』、『図画教育論』、美の本体』、『演劇美論』など、多くの文章を残しました。
潔癖症で知られており、汚物が腕に付着し「腕を切り落とせ」と言い張ったり、くしゃみをすればアスピリンを服用し、寒い時には布団を五・六枚掛けたり、トイレでは紙を一丈使っていたりしたそうです。
神経質な人だったんですね。
デューラーに傾倒し、写実的な表現を追い求めました。
何度か岸田劉生の作品を美術館で見たことがあります。
とても集中して描かれたであろう麗子像は描かれた時間が圧縮されたような密度でした。
岸田劉生の急死によって麗子が16歳の時の作品が最後になります。
その後麗子も絵の道を進んだそうです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。