あやしい歌舞伎絵
今日も生きてます。
もともと歌舞伎に興味を持ったことはあまりなかったのですが、深夜テレビで初音ミクが歌舞伎と共演している演目をたまたまみて、衝撃を受け、その後少し気にかかる存在です。
調べてみると、伝統が廃れないようにがんばって新しいものに挑戦しているという印象です。尊敬です。
さて、今日もあやしい美人画(東京美術 松嶋雅人著)を読んでいます。
今日は狩野長信の「花下遊楽図」です。
何が描かれているかというと、まさに歌舞伎が行われている様子です。
歌舞伎が小屋の中などの屋根の下で行われるようになったのは享保の時代からで、それまでは絵の中にあるように外で行われていたのでしょう。
踊っているのは女性です。
歌舞伎の起源は出雲阿国だということは教科書にも載っていますね。
もともとは女性だけが行っていたものが若衆(少年青年)に広がっていったそうです。
内容が性的であったり、露出が上がったり、歌舞伎の役者の取り合いでもめ事がおこったりなどで幕府の監視と規制が入るようになります。
そして結果的には野郎歌舞伎と呼ばれる成人男性だけがするようになり、今につながっていくそうです。
絵を見ると絵の端にはランチの準備と思われるものもあり、食事をとりながら歌舞伎をみて楽しんでいる様子が感じ取れます。
今だと敷居高いイメージありますが、最初は気楽なものだったのかなあ。
踊り手も楽しそうですよね。
出雲阿国で調べていると上の絵が出てきますが、特定されているのでしょうか。
お国のかぶき踊りは、名古屋山三郎役の男装したお国と、茶屋の娘役として女装したお国の夫・三十朗が濃密に戯れるものであった[7]。一座の他の踊り手も全て異性装を特徴としており、観客はその倒錯感に高揚し、最後には風流踊や念仏踊りと同様に出演者と観客が入り乱れ熱狂的に踊って大団円となった[7]。 このように、お国がかぶき踊りを創始するに際して念仏踊りを取り入れたとする記述が一般向けの解説書や高校生向けの資料集により一般的であるが(山川出版『詳細日本史図説』、『日本の伝統芸能講座 舞踊・演劇』)、この従来説に対して、ややこ踊の一座やお国が念仏踊りを踊った可能性は低いと主張する者もいる[4]。
出雲阿国 - Wikipediaより引用
と記されています。
最終的に観客も踊るなんてどんな踊りであったのだろう。
気になります。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。