佐竹曙山ー政治より絵!でも藩主!ー
今日も生きてます。
昨日の秋田蘭画の続きです。
江戸時代、蘭学者・平賀源内から技法などを学んだ小野田直武が秋田の藩主、佐竹曙山や佐竹義躬に対し絵の指導を行った。この3人が中心になった一派が「秋田蘭画」と呼ばれるようになります。
今日は佐竹曙山(さたけしょざん)を紹介します。
佐竹義敦像(天徳寺蔵)
上は本名でペンネームは曙山でした。
佐竹曙山の一生
1748- 1785
誕生
出羽秋田藩主の子供として、江戸の佐竹藩邸で生まれます。
11歳
家督を相続します。
第八代目藩主になります。
17歳
初めてお国入りの許可を得ます。
(レッツゴー秋田)
この頃の久保田藩では飢饉や農村の荒廃、佐竹騒動(経済政策の失敗)などにより藩政が混乱していました。
曙山は絵を書くことに安らぎを求めます。
26歳
平賀源内、小野田直武から洋風画を学びます。
31歳
日本初の西洋画論の本を書きます。
38歳
亡くなります。
湖山風景図
⚫逸話など
癇癪もちだった?
平賀源内から絵の素晴らしさを讃えられる一方、癇癪もちで、家老を一度に30人あまりを罷免したことがあったそうです。
また、上屋敷を改築したさいには豪華な遊芸に散財し、藩の財政は貧窮の極みであったとか…
まるでマリーアントワネットみたいだ。
竹に文鳥図
小野田直武の作品は美術館で見たことありましたが、佐竹曙山の作品は見たことないです。
秋田蘭画というものがわかってなかったのですが、日本画の画材を用いながら技法やモチーフは西洋のものを選んでいます。
確かに日本画でありながら少し洋画のテイストが入った絵がなんだかとてもおしゃれ(粋?)に感じます。
今度秋田に帰ったら実際に見てみたいなあ。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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画像引用・参考
知識ゼロからの日本絵画入門
幻冬舎 安河内眞美