岩佐又兵衛ー生々しい大和絵ー
今日も生きてます。
幻冬舎から出版されている「知識ゼロからの日本絵画入門」を読んでます。
安河内眞美(やすこうちまみ)さんが書いています。
この方は「開運!なんでも鑑定団」に出演されてるんですね。知らないで買ってました。
今まで、狩野派、土佐派、曾我派、とみてきました。
知らない巨匠ばかりでした。
日本人なのに西洋絵画の方詳しかったかも知れません。
やはり続けて日本の美術の歴史も勉強が必要ですね。続けていきたいと思います。
今東京都美術館で開催中の「奇想の系譜展」も開催中にいきたいところだ。
そして今日は岩佐又兵衛いわさまたべえ(1578-1650)について見ていきます。
↑は自画像 MOA美術館
岩佐又兵衛は織田信長の配下である大名・荒木村重の息子として生まれました。
岩佐又兵衛が生まれたばかりの頃、父である荒木村重は信長に謀反を起こします。
しかし謀反は失敗します。
そして一族はほとんど斬殺されます。
その頃。又兵衛2歳。
乳母に救い出され、石山本願寺に保護されます。
戦国時代は当たり前だったのかもしれませんが、岩佐又兵衛は2歳にしてドラマチックな人生を歩んでいます。
大人になった又兵衛は信長の息子・織田信雄に仕えます。
その頃から岩佐(母方の姓)と名乗りはじめます。
その後仕えていた信雄が改易すると、浪人になり、勝以(かつもち)を名乗ります。
そして京都で絵師として活動しはじめます。
20年あまり過ごします。
そのつぎは徳川秀忠の招きで江戸に移り住みます。
江戸で活躍後、73歳で亡くなります。
波瀾万丈の人生を歩んでいる岩佐又兵衛ですが、仕えていた権力者(パトロン)が力を失ってもどうにかうまく次をつかんでいます。
岩佐又兵衛は町絵師として風俗画を多く描きました。
↑の作品は人形芝居で江戸時代人気があった浄瑠璃の物語を描いたものです。
又兵衛は工房制作をしていたので、全てを一人で書いていたわけではありません。
このむちっとした顔は豊かな頬と長い顎で「豊頬長頤(ほうぎょうちょうい)」といって、又兵衛の独自のスタイルでした。
そして、鮮やかな畳の緑は、天然の孔雀石を砕いた緑青(ろくしょう)という絵の具で、大変高価なものでした。
又兵衛の作品には金箔もたくさん使われています。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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中目黒アート花見会Vol.4
「Sakura Pink」展
メイン会場:MDP GALLERY
住所→東京都目黒区青葉台1‐14-18
会期:2019年3月22日(金)-4月13日(土)
時間:11:00-19:00
※最終日は18:00まで
日・月・祝祭日休廊
レセプションパーティー
2019年3月22日(金)18:00-(予定)
レセプションパーティーに参加する予定です。
「中目黒の桜まつり」の開催期間に併せ、今年で4回目の中目黒アート花見会「Sakura Pink」展が開催されます。
「花見をしながら、アートを楽しむ」をコンセプトに、桜をイメージした作品をMDPギャラリーを拠点に、中目黒エリアの飲食店などの協力店舗にも作品を展示する「お花見ART WALK!」も同時開催!
「桜、桃色、Pink」をテーマに、さまざまなアーティストによるイラストや油彩、日本画などの平面作品、立体作品など様々なアート作品を展示致します。