日本人なら知っておきたい狩野派の歴史①
今日も生きてます。
描写の表現、装飾の表現、物質的な表現、どこに密度を持っていくか、鑑賞者の目線の動きの誘導をどうもっていく構図にするか、絵の具の厚さはどの程度にするか、主役と脇役のモチーフの表現をどう変えるか、色の彩度は、そもそもキャンバスの大きさは…
一枚の絵を描くなかでも決めることはたくさんあります。
前にかいた作品と似たような作品を描くのだったらまた違うかもしれませんが、それでもたった一枚の絵なのに選択肢が多いこと多いこと。
しかも組み立てたり考えたりしても結果的に感性にしたがいます。
一枚の描くだけでもすごい冒険をしているような気分です。このダンジョン(描写)手強いな~とか。
ゴールがわからなくて迷ってばかりですが、いつの間にかすぐそこに出口があることに気がつくのです。
そして私は今、
二月の展示を前に迷子なのです…!
とりあえず進むのが俺流の攻略法なのでガンガンいきます。
ちなみに現実でも方向音痴です。
(阪神集合なのに阪急に行ってたことがあるぞ!)
その展示の情報はこちら↓
金銀箔展
輝くマテリアルの世界
会場 伊勢丹浦和店 美術画廊
会期 2019年2月6日ー2月12日
最終日は17時終了
全日在廊予定
展示会場であれ?これまだゴールじゃなくない?と思ってもそっとしておいてください笑
さて、今日から狩野派について見ていきたいと思います。
歴史ある集団なので何回かに分けて続けていきます。
おつきあいよろしくお願い致します。
狩野派は室町時代から江戸末期まで400年続いた絵師の集団である。
狩野派の説明は大体このような形で始まります。
この狩野派の祖は狩野正信(1434?ー1530?)です。
周茂叔愛蓮図 九州国立博物館蔵 国宝
伝承によると正信の父は、駿河今川宇治の家臣、狩野出羽二郎景信で、武士の子ということになります。足利義教が1432年に富士を見物したときに、その命で景信は富士図を制作、その縁で義教に仕えたとされています。
正信が誰から絵を学んだかというと、足利義政の御用絵師であった宗湛(そうたん)からでした。
そして足利義政が正信に襖絵の依頼をし、その出来に義政が大変満足しました。義政に気に入られた正信は室町幕府の御用絵師としてどんどん活躍していきます。
正信が新しかったのはそれまでの漢画と大和絵を融合させたような絵をかいたことです。
漢画のような技法に大和絵のようなスッキリした構図。
それからの狩野派のスタイルの原型が確立しました。
今日は簡単ですがここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございましたございました。